ライター歴43年のベテラン、オバ記者こと野原広子(65歳)が、介護を経験して感じたリアルな日々を綴る。昨年、茨城の実家で母ちゃんを介護したオバ記者。その母ちゃんが亡くなって3か月。体のあちこちに不調が…。“介護のその後”についてオバ記者が綴ります。
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「ベッタリ介護したら体にこないわけがない」
「お母さんの葬儀から3か月? ちょうど疲れが出るころだね」と言ったのは、10歳上のボーイフレンド・Iさん。
ひょうひょうとした風貌で、広告代理店を経営している都会人の彼とは年に数回、ランチをしているんだけど、出会った日に心房細動という同じ持病を持っていることを知って、「どんな薬飲んでるの?」と薬を見せ合った仲でもある。
「同病相憐む」っていうの? つい最近また、私が2度目の心房細動の発作が起きたことを話したら、「介護疲れ、葬式疲れ」だって。
彼自身、両親と父親の再婚相手、自分の結婚相手の両親と、兄弟の連れ合いの親など、「10人は見送っている」と言うの。それぞれ介護に関わったり関わらなかったりだけど、亡くなったあとのダメージは「必ず来る」だって。
「3か月はひとつの目安だね。あなたみたいにベッタリ介護したら、体に来ないわけがない」
人の慰め方っていろいろだけど、最近、こんなに気持ちが楽になったことはなかったかも。
介護中は自分のことなんかどうでもよくなる
私のかかりつけ医は秋葉原の坪井病院の坪井秀太院長。高血圧症の薬を処方してもらうために秋葉原に引っ越ししてきたときからだけど、3年前に初めて心房細動の発作が起きてからは定期的に通っていたの。命に別状はないというけれど、心臓が鷲づかみにされてのたうち回って、ほんと、もうダメかと思うよ。
それで近所の総合病院、三井記念病院で精密検査を受けていたんだけど、「しばらく様子をみましょう」ということが続いてね。血液サラサラの薬やコレステロールを下げる薬の処方だけになった段階で、母ちゃんの介護に突入したわけ。
とはいえ正直、その薬ものんだりのまなかったり。もう、悪い癖でね。ちょっと調子がいいと自分の体のことを忘れるクセがあるうえ、自宅介護でべったり付き添って、カミ、シモの世話にうんざりしていると、自分のことなんかどうでもよくなるのね。
そういうタイミングで、11歳年下の弟が「姉ちゃん、代わるよ」と言って2泊3日の介護休みをくれていたんだわ。
で、去年の秋、東京に帰って上野マルイで買い物をしたらエレベーターの中にあった「タイ古式マッサージ」のポスターから目が離せなくなったの。40歳のころ、タイには2年間で3回行って、行けば毎日のようにマッサージに通っていたからその気持ちよさはよく知っていたんだよね。
体の“異変”を感じたのは母ちゃんが亡くなってから
なんてことを思い出す余地もない。吸い込まれるようにお店に入って細マッチョ女子のマッサージ師、Nさんに体を投げ出していたわよ。
それから月に1、2度、上京すれば真っ先に上野マルイ通いが始まったんだけど、思えば私の体の大きな異変は母ちゃんを見送った3月からなんだよね。
「肩、動きにくいですね~」と言っていたNさんが、「ゴリゴリです」と言い出したんだわ。施術を受けている私もそれはよくわかる。60分コースを90分に伸ばしてようやく体が自分のものになってくる感じ。それでも足りずにさらに延長したこともある。
とにかく回を増すほどに体の強張りが強くなって、施術を終えた担当のNさんの顔が曇るようになってきたんだわ。
思い当たることはひとつ。実はときどき小動物を飼っているみたいに心臓がピクピク動いていたのよ。
さらに左腕が痺れて左腰が痛くなって、まあ、どう考えてもオカシイんだよね。