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薄井シンシアさんが2人のアラフォー女性に聞く いま「専業主婦」というキャリアブレイクを選択する理由

左から)大戸菜野さん、薄井シンシアさん、松本優季
(左から)大戸菜野さん、薄井シンシアさん、松本優季さん
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専業主婦から47歳で本格的にキャリアを再開し、スーパーのレジ打ちから有名ホテルの営業開発副支配人まで、さまざまな仕事を経験した薄井シンシアさん(63歳)。今回、フルタイムワーカーから専業主婦になった2人のアラフォー女性に話を聞きました。現在、外資系ホテル社長の職を辞して、2度目のキャリアブレイク中のシンシアさんが、女性の生き方に迫りながら自身の歩んだ道についても振り返ります。

悩むより計算して考える

――今回、シンシアさんの鼎談の相手となったのは、大戸菜野さん、松本優季さんという2人の女性。バリバリのキャリアウーマンだった彼女たちは今、仕事をやめ、専業主婦として毎日を送ります。2人に話を聞こうと思った理由についてシンシアさんはこう語ります。

「私自身、ホテルの仕事をやめたばかりでキャリアを失った状態です。次は何をしようか今は何も決めていませんが、不安はありません。でも、世の中を見てみると、キャリアを失うことに躊躇して、仕事をやめられない人が多いですよね。それでも、なぜ2人は仕事をやめる決断をできたのか――ぜひお話を聞いてみたいと思ったのです」

薄井シンシアさん
シンシアさんが専業主婦の2人を直撃
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そんなシンシアさんの言葉からこの鼎談は始まりました。まずは、専業主婦になった経緯について2人に聞くと――。

菜野さん:私は出産して育児休業を2年取ったあと、当時の勤め先(大手自動車メーカー)に復帰して2年働きましたが、幼い子供と一緒にいる時間を確保したいと思って、2021年11月に退職しました。夫とはルームメイトのような暮らし方で、贅沢はしてないので、働いていた頃の蓄えで生活しています。

優季さん:私は専業主婦をするのは、今回が2度目です。1度目は出産して1年間の育児休業から歯科衛生士として職場復帰しようとしたとき。息子が小児がんを患っていることが分かって、看病に専念しました。息子が3歳のとき、保育園に通えるようになったのを機に、仕事に戻りました。

ところが、息子が小学5年生の後半から不登校ぎみになったり体調を崩したりするようになったので、側にいたくて今春、退職しました。息子が1歳半のときに離婚したので、私も貯蓄を切り崩しながらの生活です。

「キャリアブレイク」という考え方

――2人ともこのままずっと専業主婦を続けるのではなく、いずれ仕事を再開することも視野に入れているといいます。日本では子育てや介護などを機に仕事を離れることをネガティブに見る傾向にありますが、キャリアの中断を肯定的にとらえる「キャリアブレイク」という考え方が注目されています。

大戸菜野さん、薄井シンシアさん、松本優季
偶然同じ黒ベースの服だったお三方
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シンシアさん自身も30歳で出産したのを機に専業主婦に。それから17年後、子育てが落ち着いた47歳のときにキャリアをリスタートさせました。シンシアさんはこう言います。

「”Retire Now, Work Later(今は仕事を辞めて、あとでまた働く)”という考え方。私が選んだ道であり、もっと広まるといいなと思う形です」

現在も、社長を務めていた外資系ホテルを退社したばかりでキャリアブレイク中の身。そうした経験があるからこそ、時代の流れと逆行するような2人の決断も前向きにとらえられるのでしょう。質問は2人の決断のプロセスに及びます。

シンシアさん:もちろん、お2人が実際にまた仕事に復帰してからのことも5年後、10年後にうかがいたいし、楽しみにしているけれど、まずは今なぜ専業主婦になる決断ができたのか、聞いてみたいです。今は仕事と子育てを同時進行で両立させていくのが当たり前という価値観が広まっていると思いますが、お2人はどういったプロセスで決断を下したんですか?

菜野さん:私は育休が終わってから2年間、子供を保育園などに預けながら働いていたんですが、自分のその状態って、実は「両立」と呼べないのでは、ということに気づきました。子育ての大部分をアウトソースすることで、正社員として働きながら、子供の養育ができているという状態。育児と仕事の両立って、実は学生時代の自分ひとりで勉強もスポーツなどの部活もやる「文武両道」のような、「両立」とは違うんですよね。

大戸菜野さん
大戸菜野さん
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それで改めて、私は子育てをアウトソースしたいんだっけ?と疑問が浮かびまして。ちょっと、計算してみたんです。私が子育てに割きたいだけ時間を割いたとしたら、1日に働ける時間はどれぐらいだろうって。5時間でした。これだと正社員は難しいですよね。時短勤務もありますが、私は当時、管理職だったので、業務量がどうしても5時間には収まらないと思いました。

シンシアさん:くよくよとただ悩んだり、会社や社会の制度が思うようになっていないと嘆いたりするのではなくて、冷静に計算を始めたところがいいですよね。

菜野さん:計算しましたね。計算して、私1人が仕事と子育てを同時にやることはできないなと思ったので、時間を子供に全部割こうと決めて。今度は、お金の計算をしました。うちは夫に養ってもらう形ではなかったので、私と子供と2人、1か月いくらあれば自分の思うような生活ができるか見積もりました。そこから、預金残高と見比べて、いつまで働かないでいられるか割り出して。

「パートをした場合」なども検討

シンシアさん:ちなみに、1か月いくらあればいいと思った?

菜野さん:自動車税なんかの毎年かかる税金や保険なども入れた総額を12か月で割ると月平均25万円ですね。それもやっぱり、遊園地やレジャー施設にどれぐらいの頻度で遊びに行きたいかとか、そういうことは少なくてもいいんじゃないかとか、“要る”“要らない”に仕分けして考えました。1日5時間以内のパートをした場合は、この生活をさらに延ばせるとか、逆に散財してしまうとこれだけ短くなるとか、いろんなパターンを検討しましたね。

大戸菜野さん
いろんなパターンを検討したそう
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シンシアさん:仕分けで、捨てにくい、捨てるのが苦しいと思ったものはある?

菜野さん:自分の自由になるお金ですかね。洋服や食べ歩きが好きで、働いていた時代はある程度は好きなように使えていたので。買い物や外食もそうだし、マッサージに通ったりもできなくなるんだ、とは思いました。ただ、よく考えたら、十分に睡眠時間が取れるようになったらマッサージには行かなくても大丈夫だし。買い物も、永遠にできないわけじゃない。例えばこの5年間だけ、フリマサイトで工夫しながらっていうのも、期間限定なら耐えられないことじゃないと思いました。

知り合いの医師が「大きくなってから幼少期を振り返って『もっと外食や旅行に連れて行って欲しかった』と言う子はほとんどいない。『もっとお母さんに話を聞いてほしかった』と言う子は多い」と言っていて。そういうことも、仕分けのヒントになりました。

目標の年収に到達しても幸せだと思えなかった

シンシアさん:優季さんはどう? 専業主婦になる決断をするまでのプロセス。

優季さん:1年の予定だった育休が、息子の病気のことがあって3年弱になりました。休業前は正規スタッフ(歯科衛生士主任)でしたが、パートとして復帰することになって、仕事内容も歯科衛生士の資格がなくても務まる助手や雑用が中心に。私も3年のキャリアブレイクで浦島太郎状態だし、自分が必要とされていない空気を、復帰初日に感じ取りました。

松本優季さん
松本優季さん
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シンシアさん:どんな職場でも、誰がいなくなっても回るものだよね。良くも悪くも、世の中はその人がいなくても進んでいく。

優季さん:そういうことだと思います。でも当時はそう割り切れなくて、悔しかったですね。絶対に、休業前のお給料を超えてやるんだ、という気持ちになって。与えられた仕事を選り好みせずに真剣にこなして、新規開業の歯科クリニックに移籍して組織マネジメントの仕事を始めて、5年後にはまた別のクリニックのゼネラルマネジャーに就任しました。

途中で“元のお給料”という目標はクリアしたんですが、また別の目標を掲げて突き進みました。“一般企業の管理職クラスの年収”だとか。<シングルマザー><大病した息子>というタグが付いた私が、平日17時半に必ず退社しながら、そういう事情がない人たち以上に稼いでみせる、という気持ちでしたね。社会に認められたかったんだと思います。

シンシアさん:分かる。元のお給料って変にこだわってしまいますよね。私もそうだった。でも、達成してみると、だから何なのっていう程度の話なんですよ。

松本優季さん
社会に認められたかったという松本さん
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優季さん:お金では結局、満足できないんですよね。それで一般企業の管理職並みの年収に到達したあとは、新しい目標を設定する気になれなくて。ちょうどそんな頃に、息子が学校をポツポツ休むようになって。心と体の調子がどうもよくない。それで「1円でも多く稼いでやる!」みたいな、これまでの自分の価値観を、はたと見直しました。お給料ってまだそんなに上げていかないといけないんだっけ、と私も計算を始めたんです。

シンシアさん:やっぱり計算ですよ、鍵は。

優季さん:今これぐらい蓄えがあって、年収はこう。だったら、もう収入アップに躍起にならなくてもいいと思えた。それどころか、むしろ親子2人、しばらくのんびり暮らしていけるだけのお金はあるんだなって納得ができました。それで、専業主婦になったんです。

他の生き方をけなさずに、自分の選択を自分で信じたい

――シンシアさんは、専業主婦として子育てをした17年間の日々を「娘とたくさんの時間を過ごせたその日々はかけがえのない愛しいものでした」と振り返ります。その一方で、キャリアを再開しようとしたときに専業主婦の経験はキャリアとして認められず、応募できる仕事が少なく悔しい思いもしたといいます。

シンシアさんが経験したように専業主婦からのキャリア再開で苦労するケースは少なくありません。2人はこの点をどう考えているのでしょうか。

大戸菜野さん、薄井シンシアさん、松本優季
自分の生き方について語る3人
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菜野さん:どの生き方を選ぶにしても、メリットとデメリットに自覚的でありたいですよね。

優季さん:全部取りとかいいとこ取りができていると思わないことが大事だし、子供に対してもそれが誠実な態度なんじゃないかなっていう気がします。

菜野さん:ある記事で、ファッションブランド「ユキトリヰ」の鳥居ユキさんは、妻は家を守るべしという考えが微塵もなかった」とおっしゃっていました。育児も、出産の際病院で付き添ってくれた乳母さんにそのまま自宅にも来てもらえるようにしたと言っています。夫も理解ある人だという話をインタビューでされていて。

ユキさんは1975年から一度も休まずに毎年コレクションを発表していて、日本を代表するデザイナーとして活躍しています。私の選択とは違いますが、いろんな考え方があるんだなって。そういう人生を選んでもいいよねって。

とにかく、自分が選ばなかった生き方や、それを実践している人を否定することで自分を上げるとか、そういうのはもうやめにしたいですよね。みんなが自分で生き方を選んで、その選択を自分でよしとするしかないんじゃないのかな。

専業主婦が“正しい選択”とは限らない

シンシアさん:そうだよね。専業主婦が誰にとっても正しい人生の選択だなんて、言うつもりは私も全然ない。専業主婦は稼げないし、労働市場であとあと不利になるというデメリットがあるけど、子育ての上ではメリットが多いと感じる人がいるというだけの話。子供の話を毎日たくさん聞けるので、子供の可能性をどんなに小さくても見逃さないで、一緒になって取り組んで、応援して伸ばしていけるのはいいよね。

優季さん:才能を伸ばせたらもちろんいいですけど、そこまでではなくても子供の好きなことを一緒にできるのって幸せな気持ちになります。うちの子は映画が好きなので、一緒に映画館に行ったり、テレビで放送している映画を一緒に見たり。そういうことがすごく楽しいです。

大戸菜野さん、松本優季さん
シンシアさんと真剣に談義するお2人
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シンシアさん:私も娘と並んで、『東京ラブストーリー』とか『ロングバケーション』とか一気見したりしたなあ(笑い)。うちは、おやつを食べるのにも毎日1時間かかる家庭だった。学校で何があったとか、おしゃべりしながらだから。

菜野さん:子供の話って聞けば聞くほど面白くなってきますよね。幼稚園では誰と誰が仲良しで、誰が何を得意にしていて、誰が最近どんなことで泣いちゃったとか。そういうのを全部聞いていると、参観日が何倍も面白くて。名札を見て「あ、この子が○○くんか。いつもみんなを楽しませてくれるひょうきんな子ね。」とか分かるんですよ。私、今だったら、幼稚園の相関図を描けます(笑い)。

――今回、紹介したのは子育てを機に進んでキャリアブレイクしている2人の女性のケース。彼女たちよりも上の世代では、前述のように介護や、自身や家族の病気などさまざまな理由でキャリアを中断せざるをえない人もいるでしょう。そうした世代の女性たちにも、メリットやデメリットを慎重に“計算”しながら行った2人の決断のプロセスは参考になるはずです。

次回は、2人のキャリア再開への思いや仕事観などにシンシアさんが迫ります。

◆薄井シンシアさん

薄井シンシアさん
薄井シンシアさん
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1959年、フィリピンの華僑の家に生まれる。結婚後、30歳で出産し、専業主婦に。47歳で再就職。娘が通う大学のカフェテリアで仕事を始め、日本に帰国後は、時給1300円の電話受付の仕事を経てANAインターコンチネンタルホテル東京に入社。3年で営業開発担当副支配人になり、シャングリ・ラ 東京に転職。2018年、日本コカ・コーラ社に入社し、オリンピックホスピタリティー担当就任するも五輪延期により失職。2021年5月から2022年7月までLOF Hotel Management 日本法人社長を務める。近著に『人生は、もっと、自分で決めていい』(日経BP)。@UsuiCynthia

撮影/黒石あみ 構成/赤坂麻実、編集部

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