多くの人が祈るように
1989年から1年ほど活動休止したが、1990年7月から復帰後も、歌声、美的センスはなんら衰えることなくバリバリに健在だった。天女のような『二人静』もよかったが、私が最もシビれたのは、ロカビリーバンドMAGICと組んだ『TOKYO ROSE』だ。宝塚チックな赤のスーツとフワッフワのマフラー、そしてショートカットが凄まじく粋! コントラバスに背中をあずけ、ゴリゴリに攻めてくる明菜さんは豹の如しである。
きっと、多くの人の青春の一ページに、いくつもの「明菜ちゃんのあの衣装好きだった!」があるのではないだろうか。歌声だけでも圧倒的なのに、衣装・メイク・振り付け・髪型まで華麗に姿を変えていた彼女は、それぞれの楽曲の世界に身を馴染ませてお忍びで旅する姫のようだった。真似をするにはハードルが高かったけれど、麗しい彼女に誘われ、画面の前にいながら遠く遠くを見ることができたし、感情が波のように揺さぶられた。
私が、歌唱とともに衣装も楽しみにしていた歌手の中に、南野陽子さんがいる。彼女が中森明菜さんに憧れていた、というのを何かの記事で知り、ああ、なるほど、と嬉しくなってしまった。
毎年暮れに放送された「ザ・ベストテンスペシャル」で、3〜4時間かかる通しリハのなか、自分の番が終わっても、ソファでずっと人の歌を聴いていたのが中森明菜さんと南野陽子さんだったという(山田修爾『ザ・ベストテン』新潮文庫より)。
感性豊かな二人は、多くの歌手の歌声やパフォーマンスに、どんなキラキラを感じていたのだろう。一緒に歌の話や衣装の話もしたのかな、と勝手に妄想しては萌えている。
デビューから40周年。中森明菜さんのステージが今年中に見られるのかは、まだ確定していない状況だ。けれど、きっと多くの人が祈るように思っているはず。
楽しみにしていいですか。ゆっくり、でもずっと待っていますから、と。
◆ライター・田中稲
1969年生まれ。昭和歌謡・ドラマ、アイドル、世代研究を中心に執筆している。著書に『昭和歌謡 出る単 1008語』(誠文堂新光社)、『そろそろ日本の全世代についてまとめておこうか。』(青月社)がある。大阪の編集プロダクション・オフィステイクオーに所属し、『刑事ドラマ・ミステリーがよくわかる警察入門』(実業之日本社)など多数に執筆参加。他、ネットメディアへの寄稿多数。現在、CREA WEBで「勝手に再ブーム」を連載中。https://twitter.com/ine_tanaka