「卵巣がんの疑い」で今月初めに手術を受けた、ライター歴40年を超えるベテラン、オバ記者こと野原広子(65歳)。手術を終え退院したが、検査漬けの日々や入院、手術で感じた疑問について“病人”の視点で綴ります。
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病院での気持ちが“健康な人”とまるで違う
この夏から秋にかけて「卵巣がんの疑い」で検査に次ぐ検査。1日おき、または連日、大学病院に通ったんだけど、そのたびに思ったのが病人にはキツイ大学病院の広さと“不案内”。
「いやいや、何言ってんの。病院はちゃんとパンフレットで全体図を見せているし、入り口付近にはいつも案内係の人が何人もいて声をかけたらすぐに対応してるじゃないの」と病院側は言うに違いない。確かにその通りなんだけどね。それはあくまでも“健康な人”の発想なんだよね。
私が尋常じゃないほどふくらんだお腹をかかえた“病人”になって初めてわかったんだけど、病院に足を踏み入れたときの気持ちが、“健康な人”のときとまるで違うんだわ。
検査前の待合室で「広い荒野に置いてきぼり」
たとえば予約票に書き記された予約時間の15分前に病院に到着したものの、広い荒野にポツンと置いてきぼりにされたような心細さをどう表現したらいいのかしら。
「卵巣がんの疑い」の私がどんな検査をしなければならないかは医師から知らされている。いくつか検査で回るべき科の順序と予約時間も予約票に書かれているからわかる。だけど、そこでハタと立ち尽くすわけ。
前回、女性外来の担当医は「まず〇〇科で××の検査をすませてから、△△にかかってからもう一度〇〇科に戻って…」と言っていたけれど、〇〇科と△△科の予約時間の間隔がやたら迫ってないか。医師の通りに回っていたらムリじゃないか?
慣れない病院で不安はマックス!
慣れない大病院で私の不安はマックス! あわてて〇〇科の事務局の前にできている列に並んで、私の行き先を聞いて…。これだけでクタクタ。
時計を気にしてあわてて病院を上下、左右に移動しているとき、もしこのまま廊下で行き倒れたらどうなるのか。病院の中だから適切な科に運んでくれるかしら、なんて想像したわよ。
だけど、そんな心配は無用だったと、今ならよくわかる。病院内の検査開始時間は、“医師の努力目標”であってガチじゃない。後ろにずれるのは当たり前なんだよね。
患者は自分の順番が来たときにそこにいればいいわけで、もし都合で遅れたら看護師さんやら事務局の人に声をかけたら何とかなる。この約束事がわかるまで、半月はかかったもんね。
婦人科での待ち時間は2時間半
大学病院だけじゃない。待ち時間の最高記録はその前にかかった婦人科の専門病院で、予約時間の2時間半後にやっと診察室のドアが開いたんだよ。理由はがんかどうか調べるMRIの専門病院から送られてきた画像が開けないから。
途中、看護師さんが何度か「すみません。もう少しお待ちください」と声をかけてくれたけれど、「もう少し」って、最大でも30分ではないか? なんてスチール椅子に座って待っている“病人”の私はイライラがつのる。
その病院は狭い廊下が待合室をかねていて、扉を開けたところに内診台がある。それがわかっていて小学校高学年の男の子を連れてくる若いお母さんってどうなのよ。
とにかく“病人”になるとイライラの種はあちこちに散らばっているんだよね。そんなときは検査漬けになる直前に、弟に連れて行ってもらった茨城県日立市のパワースポット、「御岩神社」を思い浮かべていた私。鳥居をくぐったとたん酸素濃度がグッと増した気がするんだけど、ふさふさの苔といい、杉の巨木といい、ただごとではないんだわ。ただ境内を歩いているだけで心が静まったっけ。