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「つらいときは中島みゆきを聴け」『ファイト!』『地上の星』…感情のダムを放流する歌声

『ファイト!』はアルバム『予感』(1983年)に収録。1994年、ドラマ『家なき子』の主題歌『空と君のあいだに』との両A面としてシングルカットされた
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1975年にデビューし、1970〜2000年代の各年代でヒットチャート1位を記録した唯一無二の存在。研ナオコ、工藤静香、TOKIO、ももクロと、楽曲提供したアーティストもまた、各年代でオリコン1位を獲得。ドラマや映画はもちろん、テレビドキュメンタリーの主題歌としても大ヒット。もはや「国民的歌手」といっても過言ではない、シンガーソングライター・中島みゆきの存在について、懐かしエンタメ事情に詳しいライターの田中稲さんが綴ります。

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早いものでもう今年もあと少し。2022年はニュースを観るのが怖いほど、国内・国外共に大変なことばかりの一年だった。日本漢字能力検定協会が発表した今年の漢字は「戦」──。個人的にも節約とかコロナ予防とか日常の静かな戦いを強いられた。いやもうヘトヘトである。

せめて来年は平穏に過ごしたい。「大変なことばかりでもう嫌」的思考を持ち越したくない!

そんな風に思っていたら、ひょっこり「12月30日から『中島みゆき 劇場版 ライヴ・ヒストリー2』が全国公開されますよ!」という素晴らしい情報をいただいた。予告を観ただけで震える。90分、大スクリーンで『銀の龍の背に乗って』が!『命の別名』が!『化粧』が!『ホームにて』が! 聴ける!!

あの、いろんな汚れたものを流し心がスーッと浄化されるような、壮大なパワー。ああ、疲れている今こそ、中島みゆきを浴びたい!

ファイト!』の奇跡を目撃!

思い出せば、これまで彼女の歌に何度助けられただろう。初めて聴いたのが何の曲だったかは覚えていないのだが、いつからか自然と「つらいときは中島みゆきを聴け」──。風の便りにそう教えられ、長年実践し今がある。

1975年、『時代』で「第6回世界歌謡祭」グランプリを受賞(Ph/JIJI PRESS)
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例えば、失恋してハートが木っ端みじんになったとき。フラレた恨み&愚痴を詰め込んだ彼女の歌詞は、聴くタイミングを間違えると地獄の三丁目まで行ってしまうが、時期さえ合えば毒が妙薬となり、心の痛みが和らぐ。中島みゆき自身が歌う『ひとり上手』『わかれうた』、彼女の作詞作曲で研ナオコ with アルフィーが歌った『窓ガラス』はよくお世話になった。ものすごく寂しい歌詞とメロディなのに、なぜか聴き終わったあと、ものすごいスッキリする。カタルシスの仕組みって本当に不思議。「気が済むまで落ち込む」って意外と大事だと気づくのだ。

1977年発売の5枚目シングル『わかれうた』で初のオリコン1位を獲得
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失恋だけではない。仕事で行き詰まったときも、中島みゆきさんの歌は効果絶大だ。

こんなシーンを目の当たりにしたことがある。ある時期、事務所の社長が明らかにオーバーワークになっていた。社長の席は私と向かい合わせなので、顔が般若のようになり、切羽詰まっていく様子がありありと見て取れる。これはヤバい──。

ところがある日ラジオから中島みゆきの『ファイト!』がかかったその瞬間、社長の顔がドッと緩み、涙声で「ファイト……」と一緒に歌い出したのだ。そして不思議なエネルギーを得たかのように、キーボードを叩く速度がカカカカと速まっていったのである。その変化の瞬間は今でも忘れられない。私はこれを「『ファイト!』の奇跡」と呼んでいる。

でも確かに、私自身も、荷が重い仕事のBGMとしてNHK『プロジェクトX〜挑戦者たち』の主題歌として大ヒットした『地上の星』は定番。「プロジェクトエーックス……」という囁き声とセットで心の中でこの曲を歌うと、不可能な任務を可能にできる錯覚に陥る。彼女の歌には、アドレナリンが出るサブリミナル効果が仕込まれている気がする。

『地上の星』は、極寒の黒部ダムで歌われた2002年の紅白歌合戦のパフォーマンスが話題になった。あれからもう20年も経つのか……。

2014年紅白『麦の唄』に涙腺を破壊された

私が今思い出しても震えるのは、2014年の紅白、101スタジオで披露された『麦の唄』。あれは忘れられない! 紅白歴代ベスト3に入る名シーンだと思っている。

『麦の唄』は、朝の連続テレビ小説『マッサン』の主題歌で、主演の玉山鉄二さん、シャーロット・ケイト・フォックスさんが見守る中の歌唱であった。中島みゆきさんが朗々と歌うステージのバックには、マッサンの名場面が映し出され、迫力と威厳のあるあの声がそこに乗り、美しいの極み! さらに私が感動したのは、それを聴いていた玉山さんとシャーロットさんの「在り方」だ。手を握り合い、潤んだ瞳でみゆきさんの歌唱を見つめる姿はマッサンとエリーそのものだった。二人が天国で待ち合わせをして、一緒に走馬灯を観ているよう。もう一度あの役に戻り、世界に憑依していた感じがすごかったのである。

命を感じるような歌声、広がるオーケストラと合唱、美しい映像、そしてドラマを1年間演じたリアル俳優さんの心から役が溢れ出すような佇まい──。この「全方位エモーショナル攻撃」に、私の涙腺は破壊された。ドバシャッと吹き出し続ける涙と鼻水を吹きながら、このステージが終わらないでほしい、と願った。

全国の映画館で中島みゆきのライブ映像が上映される(12月30日より全国ロードショー。ホームページより)
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ちなみに、『麦の唄』のミュージック・ビデオで中島みゆきさんが歌唱しているシーンが出てくるが、この紅白の映像である。ああ、また聴きたくなってきた!

心の奥から悲しさ、苦しさ、情念、勇気、いろんな感情のダムをドワーッと放流してくるような彼女の歌声。ドラマ『PICU 小児集中治療室』(フジテレビ系)の主題歌『倶(とも)に』も、通り過ぎた日の怖さや疑いを振り返っているヒマはないよ、と背中を撫でてくれる。

そうだそうだ、「大変なことばかりでもう嫌」というクタクタ感はすぐには消えないけれど、過去に足を取られていても仕方がない。2023年も歩いていこう。怖くて足がすくんでしまったら、また「みゆき節」にまみれて魂を奮い立たせよう。ファイト!

◆ライター・田中稲

田中稲
ライター・田中稲さん
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1969年生まれ。昭和歌謡・ドラマ、アイドル、世代研究を中心に執筆している。著書に『昭和歌謡 出る単 1008語』(誠文堂新光社)、『そろそろ日本の全世代についてまとめておこうか。』(青月社)がある。大阪の編集プロダクション・オフィステイクオーに所属し、『刑事ドラマ・ミステリーがよくわかる警察入門』(実業之日本社)など多数に執筆参加。他、ネットメディアへの寄稿多数。現在、CREA WEBで「勝手に再ブーム」を連載中。https://twitter.com/ine_tanaka

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