エンタメ

玉置浩二「安全地帯は自分のふるさと」、37年ぶりの紅白で体現したその言葉の意味

35周年ツアー、香港公演での安全地帯。昨年逝去したドラマー田中裕二さん(左から2番目)の姿も(2017年、Ph/imaginechina/時事通信フォト)
写真5枚

御歳66〜67歳の同年代ミュージシャン、桑田佳祐、佐野元春、世良公則、Char、野口五郎、大友康平、原由子らによるパフォーマンスが話題となった大晦日の紅白歌合戦。しかし、還暦を過ぎても変わらぬ歌声と演奏を響かせたのは、彼らだけではありません。昨年、デビュー40周年と37年ぶりの紅白出場、そしてメンバーの訃報が重なった北海道出身のロックバンド・安全地帯について、1980〜1990年代のエンタメ事情に詳しいライターの田中稲さんが綴ります。

* * *

26年前の『I Love Youからはじめよう』

長かった。何が長かったかと言うと、安全地帯の紅白出場までが、である。昨年40周年という節目だったので紅白で絶対聴きたいと思っていたのだ。そして早くも昨年10月17日「安全地帯、紅白内定」とニュースが流れてきた。オオさっそく嬉しい! と喜んだのもつかの間、11月16日の出場歌手発表を見ると、なぜかその名が見当たらない。首を傾げ、ニュースやツイートをオロオロチェックする日が続いた。

そうしているうちに1か月が過ぎ、12月23日、安全地帯が『I Love Youからはじめよう』で紅白出場することを知った。そして同時に、卓越した演奏と穏やかな笑顔が素敵な名ドラマ—、田中裕二さんが死去したことも知った。

1996年11月22日に開催された玉置浩二さんのソロツアーを収めたDVD『SHALL I MAKE T FOR YOU? CAFE JAPAN TOUR』に、こんなシーンがある。『I Love Youからはじめよう』で玉置さんと田中さんがなぜかいきなり、ドラムとボーカルを交代。田中さんが少し照れ臭そうに真ん中で歌い、玉置さんとメンバーが演奏しながら、すごく嬉しそうな笑顔でその様子を見つめている。そして、その田中さんの歌声をバックに、ツアーの名場面が流れていくのだ。田中さんの『I Love Youからはじめよう』は、とっても澄んだ歌声だった。

昨年の紅白のステージが素晴らしかったことを書く前に、ちょっとだけ時間を巻き戻してみたい。

「1985年紅白初出場をメンバー全員で観る」貴重シーンも

バンドとして紅白に出場するのはなんと37年ぶりだった安全地帯。1回目は1985年で歌唱曲は『悲しみにさよなら』。麗しい衣装で演奏するメンバー。そして彼らからかなり離れたところで、黒い三角帽をかぶったダンサーがものすごく遠慮がちに踊るという不思議ミステリアスな演出だった。

35年間の活動で3回活動休止も(写真は1985年、ph/SHOGAKUKAN)
写真5枚

2017年、玉置浩二さんがホストを務める音楽番組『玉置浩二ショー』(NHK BSプレミアム)で安全地帯のメンバーが35周年記念で出演したとき、この1985年の紅白のステージを全員で観ていたが「ちゃんと全員映してくれてる」などワチャワチャはしゃぐ感じがなんとも少年! 若かりしお互いの姿に笑い、ツッコみ合い、思い出話があちこち飛び、テンションが子どもになるという「幼馴染が久々に集まるとこうなるあるある」を制覇していた。そしてワイワイ騒いだ後は、当然の如く楽器を持ち寄り、ポロロンとセッションが始まる──。この息を吸うように音楽を合わせる感じに本当に驚いた。

35年の間には音楽性のすれ違いを含め、3回活動休止をしていた安全地帯。いろんなことがあったことは想像に難くないのだが、同時に信頼性も想像できる。年末の紅白歌合戦で、司会の大泉洋さんが「玉置さんは『安全地帯は自分のふるさとだ』とおっしゃっていました」と紹介していたが、確かにこれ以上当てはまる言葉はないだろう。

ギターの矢萩渉さんが2016年のオリコンミュージックの記事で安全地帯が長く続く秘訣を聞かれ、「よく聞かれますけど、まったく分からないです(笑)」と答えていたが、これもなんとも「ふるさと」っぽい答えだ。

ポプコン北海道予選で中島みゆきと競った

さらに安全地帯の始まりまで遡ると、中学2年生。玉置さんとギターの武沢侑昂さんがバンド「インベーダー」を結成、その後名前を「安全地帯」に変え、オリジナル楽曲を作り、ポプコン(ヤマハポピュラーソングコンテスト)にも積極的に出場したという。中学生でポプコンとはなんと早咲きな! 私が中学生の頃なんて、ただただオロオロしていただけである。

さらにテンションが上がるのが、彼らと同時期、同じ北海道大会でポプコン本選へのきっぷを競っていたなかの一人に、中島みゆきさんがいたことである。安全地帯の演奏を聴いて彼女は「プロが歌っている」と勘違いし、後に彼らが年下と知りビックリしたのだとか。想像しただけですごすぎる、中島みゆきと安全地帯が競う予選!!

第1回日本ゴールドディスク大賞授賞式にて(1987年、Ph/SHOGAKUKAN)
写真5枚

1977年には玉置さんがライバルバンドの六土開正さん、矢萩渉さん、田中裕二さんに声を掛け、安全地帯の完全形ができる。つまり全員、地元じゃ既にゴリゴリに上手い音楽小僧だったということか! デンジャラスな才能集団、安全地帯は1982年にメジャーデビュー。

私も1985年の『碧い瞳のエリス』からその扉を開き、底光りするような名曲に心揺さぶられた一人。『プルシアンブルーの肖像』『Friend』『あの頃へ』、そして猛烈につらいとき、何度も何度も支えになってくれた『ひとりぼっちのエール』!

絶対全員こだわりが強いであろう職人肌、天才肌の集まりが、ぶつかりまた寄り合って名曲を生み、60代半ばになった今もなお鳥肌が立つようなパフォーマンスを見せてくれている。聴いていて勇気が出ないわけがない!

ソロで初出場した紅白歌合戦では、『田園』を披露(1996年、Ph/SHOGAKUKAN)
写真5枚

待っていて良かった

そして2022年の紅白のステージ! 圧巻、ひたすら圧巻だった。玉置さんが盟友・田中さん、そして視聴している人すべてに語り掛けるように歌うソロ曲『メロディー』から始まり、メンバーが待つステージに移動して『I Love Youからはじめよう』へ──。

ああ、安全地帯は本当にブルーのライトが似合う。まさに高温の情熱! フワシャーッとほとばしるような音と声のエネルギーが画面を超え降りかかってくるようだ! 4人横並びになり、ギターの向きを合わせ弾く姿は失礼を承知で言う。クッ、キュート!!

一緒に拳を突きだし歌ったのは言うまでもない。アイラビュ、モーオーゥ……。

演奏を終え、「やったぜ」と称えるように、玉置さんがメンバーを肘で突く姿がなんとも「ふるさと」。待っていて良かった、安全地帯!

前述した1996年のツアーDVDに収録された終演直後の楽屋風景に、こんなやり取りがある。玉置さんが「みんな笑顔なのに最後1人だけ泣いてるんだもん」と田中さんにツッコミ、彼はナハハ! と照れ笑い、こう返していた。

「『メロディー』いつも泣いちゃうんだよなあ、あれ。どうしてもダメなんだ〜!」

◆ライター・田中稲

田中稲
ライター・田中稲さん
写真5枚

1969年生まれ。昭和歌謡・ドラマ、アイドル、世代研究を中心に執筆している。著書に『昭和歌謡 出る単 1008語』(誠文堂新光社)、『そろそろ日本の全世代についてまとめておこうか。』(青月社)がある。大阪の編集プロダクション・オフィステイクオーに所属し、『刑事ドラマ・ミステリーがよくわかる警察入門』(実業之日本社)など多数に執筆参加。他、ネットメディアへの寄稿多数。現在、CREA WEBで「勝手に再ブーム」を連載中。https://twitter.com/ine_tanaka

●デビュー35周年の工藤静香、カラオケで“追い静香”をしたくなる「魔力と中毒性」

●「つらいときは中島みゆきを聴け」『ファイト!』『地上の星』…感情のダムを放流する歌声

関連キーワード