
犬が人を噛んでケガをさせた、他の小さな動物を噛んで死なせてしまった、といった事故の報道を、毎年必ず目にします。犬はどうして噛むのでしょうか。また、愛犬に人や他の動物を噛ませないために、飼い主さんにできる対策はどのようなものがあるでしょうか。獣医師の獣医師の山本昌彦さんに話を聞きました。
大前提はもともと噛む動物だということ
犬はなぜ他の動物を噛むのでしょうかー―。その問いに、山本さんは「なぜ噛むかというご質問ですが、そもそも犬にとっては、噛むことのほうが当たり前なんです」と話します。
「犬はオオカミの仲間(ハイイロオオカミの亜種)です。はるか昔に、オオカミの一部が人間に飼われるようになって、家畜として形態が変化してきたのが犬だと考えられています。犬の起源は野生のオオカミたちであり、そのオオカミたちにとって獲物を噛んでしとめることは当然の行為。もし噛めなかったらそのほうが問題です。
“本能的には噛むほうが当たり前”というのは、そういう意味であり、だから家庭で飼育する犬には本能を抑え込むしつけが必要なんです」(山本さん・以下同)
犬は不安感が募って噛んでしまう
オオカミの一部が家畜化し始めたのは1万5000年から3万3000年ほど前とされていますが、犬という種になって年月が経った今でも、野生の本能がどこかに受け継がれているのかもしれません。それでも、多くの犬種では人間との共同生活の歴史が長くなるにつれて、噛みつこうとする本能を抑制する方向で、性質が変化してきたものと思われます。
「闘犬向けに改良した犬種などを除けば、基本的には、犬は人間と共存できるように、うまく本能を抑えるように育てられてきたはずです。したがって、現代に飼われている犬が噛みつくケースといえば、何かのはずみで、反射のような形で本能が表出したとき。それからもう一つ、私が獣医師として犬を診察したり、保険会社の社員として犬の咬傷事故を担当したりするなかで見聞きしたのが、不安感が募って噛んでしまうケースです」
犬が噛むのは本能や恐怖心のせい
不安が募って噛む――。つまり、自分に危害を加えられそうだと感じたときや、自分のテリトリーだと認識している場所に侵入されたとき、犬の性格によっては強い不安を覚えてしまい、自分自身やナワバリを守るために、攻撃してくる相手(だと犬が感じている相手)、侵入してくる相手(だと犬が感じている相手)を噛むことがあるのだといいます。
例えば、実際には攻撃の意図など全くない無害な人であっても、初めて会った犬の頭にいきなり手を伸ばして撫でようとすると、それが怖がりな犬にとってはストレスになります。怯えた反動で、その手を噛んでしまうようなことも。

「私は、犬が噛むのは、全て犬が悪いということはないと思っています。何も、悪い犬だから噛むんじゃないんですよ。怖がりだから、心のキャパシティに限界がきたから、噛むんです」
もちろん、中には狩猟本能や闘争本能などから、好きこのんで対象を追いかけまわして噛む犬もいます。しかし、それも本能であって、犬に悪意はありません。例えば、一部の牧畜犬には家畜の足を噛んで家畜の群れを統制してきた歴史があり、今は愛玩犬としての飼育が主流になっていても、他の犬種に比べて噛みグセが出やすいという調査結果もあります。
このような犬種ごとの傾向、持って生まれた性向も影響しており、噛む犬は悪い犬というわけではないのです。
犬が噛みたくなる状況をつくらない
「だから大事なことは、ストレス耐性が弱いとか、狩猟本能が強いとか、飼っている犬の個性を飼い主さんが把握して、その子が噛みつきたくなるようなイベントを発生させないことです」
例えば、神経質な犬の場合は、撫でたり首輪にリードをつけたりするときに、犬の頭上からではなく、下からゆっくりアプローチするようにしたり、犬が嫌がることを覚えておいてそれをしないようにするなど、その子に合わせた対応が必要です。
「散歩中に他の犬と出くわしたとき、怖がったり過度に興奮したりしている様子が見られるのに、飼い主さんが無理やり近づけて挨拶させようとするのはよくないですね。こうしたビビリさんを含め、家族以外の人や他の犬との接近、交流が難しい子には、首輪やリードに黄色いリボンをつけて、周りの人に知らせるプロジェクトもあります。そうしたものも利用しながら、愛犬の苦手なシチュエーションを回避していきましょう」
「Yellow Dog Project」は、怖がりの犬に限らず、トレーニング中の犬、触れられると痛みを感じる病気・ケガの治療中の犬など、余分にパーソナルスペースを必要とする全ての犬に、適切なスペースを与えるためのプロジェクト。海外の非営利団体が啓発活動を推進し、今では世界に広がって、日本でも一定の認知度があります。
子犬のうちに噛んではダメと教え込む
犬にとってストレスのかかる状況を避けることと並んで、飼い主さんにできる有効な予防策が、やはりしつけです。子犬を飼い始めたら、「人や他の動物を噛んではいけない」と教えましょう。

具体的には、子犬が飼い主さんの手などを噛んでしまったときに、痛くなくても毎回欠かさず叱ること。犬が「構ってもらえた」と誤解するといけないので、低い声色を使って、「ダメ」「止め」など短い言葉で教えます。教えるという対応自体はもちろん、使う言葉や声のトーンを家族全員で統一すると、犬も混乱せず、噛むことはいけない(噛んではいけないものがある)と理解するようになります。
「注意しても噛むのをやめない場合は、飼い主さんが別の部屋に移ったりして、犬を一時的に無視するといいですね。『噛んだから、楽しい時間が終わってしまった』という因果を含めるのです」
犬が噛んだときに飼い主側が怒りをあらわにすることはよくない
逆に、よくない教え方は、犬が噛んだときに、飼い主さん側が怒りをあらわにすること。力まかせに叩いたり怒鳴ったりすると、犬は怯えて余計に噛んでしまうかもしれません。落ち着いて、低く短く注意しましょう。
自分の手をおもちゃにして遊んではいけない
「それから、うっかりやってしまう人が多いのですが、自分の手を猫じゃらしか何かのように使って子犬と遊ぶのは絶対にやめてください。幼いうちは牙も小さいし、噛まれてもあまり痛くないからといって、注意もせずに遊んでいると、犬は『手は噛んでいいもの』と誤った学習をしてしまいます。遊ぶときは必ず、おもちゃを使って。噛んでいいもの、噛んではいけないものを明確にしてあげてください」
それでも噛みグセがついてしまったら、どう矯正すればいいのでしょうか。
「成犬の矯正は容易ではないので、トレーナーなど専門の業者に相談するのも有効な手段です。特に若い犬の場合は矯正できる可能性が高いといいます」

犬を飼う際は噛みつき事故の防止に精いっぱい努めて
獣医師と保険会社社員の経験を持つ山本さんはあらためて、犬の飼い主さんには噛みつき事故の防止に精いっぱい努めてほしいと話します。
「犬は噛む力がとても強いです。飼っている犬が咬傷事故で被害者に怖い思い、痛い思いをさせたり、後々まで影響するケガをさせたりすると、飼い主さんに請求される損害賠償も高額になります。
金銭面でも痛いですが、それ以上に、愛犬を殺処分するしかなくなるなど、非常に悲しい結末を迎えることになってしまう。事故を未然に防げるように、しつけと工夫(犬の苦手な状況の回避)に努めましょう」
◆教えてくれたのは:獣医師・山本昌彦さん

獣医師。アニコム先進医療研究所(本社・東京都新宿区)病院運営部長。東京農工大学獣医学科卒業(獣医内科学研究室)。動物病院、アクサ損害保険勤務を経て、現職へ従事。https://www.anicom-sompo.co.jp/
取材・文/赤坂麻実
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