
ミュージシャン・坂本龍一さん(享年71)の訃報から約1か月。1970年代後半から活動し、映画『ラストエンペラー』の音楽で米アカデミー賞を受賞するなど、50年近くも第一線で活躍し続けた彼の業績は、とても一言では語り尽くせません。惜しむ声が絶えないなか、ライター・田中稲さんが注目したのは、歌番組『ザ・ベストテン』に坂本さんのYMOが初ランクインした1983年5月5日の放送回。田中さんが、その「音楽の魅力」を独自の視点で綴ります。
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『君に、胸キュン。』3位で初ランクイン
遠い存在だと思っていた人が、実は近くにいた——。ふと気づいて驚くことがある。坂本龍一さんの音楽は、まさにそれだった。それはどういうことなのか説明する前に、せっかくなのでご一緒に、今から40年前にタイムスリップしてみようではないか。エイッ!
1983年5月5日。坂本龍一さん、細野晴臣さん、高橋幸宏さんによるユニットYMOの7thシングル『君に、胸キュン。』が、歌番組『ザ・ベストテン』に3位で初ランクインした日である。このランキングがかなり興味深いのだ。ダララララ(ランキングボードの回る音)! 10位まで記してみよう。
1位:1/2の神話(中森明菜)、2位:矢切の渡し(細川たかし)、3位:君に、胸キュン。(YMO)、4位:めだかの兄妹(わらべ)、5位:夏色のナンシー(早見優)、6位:め組のひと(ラッツ&スター)、7位:ボディ・スペシャルII(サザンオールスターズ)、8位:氷雨(佳山明生)、9位:Hey!ミスター・ポリスマン(石川秀美)、10位:ピエロ(田原俊彦)
なんとバラエティ豊かなのか。アイドルから演歌、歌謡曲にロックにテクノポップスにダンスミュージック、いやはやベストテンの素晴らしいところはこれだよ、これなんだよと言いたくなるような多彩さである。
特にベスト3。YMOとたかしと明菜ちゃんを続けて聴けるとは、なんと贅沢な……と今なら思うが、当時の私は、『君に、胸キュン。』の良さがわからなかった。さらに坂本龍一さんに関しては、1年前にリリースした忌野清志郎さんとの『い・け・な・いルージュマジック』の濃厚なパフォーマンスがインパクト大で、ド田舎の中学生にはただただカルチャーショック。これが尾を引き、遠い星から来た人を見る感覚であったのだ。

4位『めだかの兄妹』の編曲者だった
このランキング内で一番好きだったのは、4位に入ったわらべの『めだかの兄妹』である。バラエティ番組『欽ちゃんのどこまでやるの!』発の女性ユニットで、たどたどしい歌声が童謡的なメロディに乗り、ふんわりと心地よかった。誰でも歌えて、笑顔になる! イントロのキュルリンと鳴るカスタネット、サビのシャンシャンシャン、という音が春のせせらぎのようで、すっかりハマってしまった。
なんと、この曲の編曲者が坂本龍一さんだったのである。5月5日の初ランクインより前、「スポットライト」というコーナーでYMOが出演した際、黒柳徹子さんが坂本さんについて「『めだかの兄妹』のアレンジもなさっている」、と紹介。「あの可愛い曲をこの人が!?」と本当にビックリした。とはいえ、当時私はまだ「アレンジ」という仕事が何かわからない状態。結局坂本さんのイメージは『めだかの兄妹』と『君に、胸キュン。』に関わる、すごいルージュマジックの人……と、完全に困惑状態であった。ご本人も『めだかの兄妹』については、「どうしてこの仕事が自分に来たのか」と不思議だったらしい。

『アメリカン・フィーリング』でレコ大編曲賞受賞
驚いたといえば、男女4人組のコーラスグループ・サーカスの『アメリカン・フィーリング』もそう。サビの盛り上がりからのグアーッと広がる音の重なりから、飛行機が離陸して空が見える雲が見える。4人のコーラスとともにたくさんの音が重なる感じの疾走感がたまらない。クーッ!
1979年のリリース当時から大好きで何度も聴いたものだが、編曲が坂本龍一さんだということを全然知らなかった。30代の時に知り、ビックリした。私はまたも、知らないうちに坂本さんの音マジックにやられていた……! この曲で彼は日本レコード大賞編曲賞を受賞している。
さらに坂本さんは、私の初恋、西城秀樹さんにも関わっていた。彼のシングルのなかでも独特なパライソ感と壮大なスケールを放つ『愛の園(AI NO SONO)』(1980年)。情熱をぶちまける炎の化身のようなヒデキもいいが、この曲は、静の魅力。言葉を音符に置くように、ていねいに、囁くように歌う。それを包むようにかぶさってくる子どものコーラスが、不思議な「秘密の花園」を思わせる。ああ、ヒデキはまるで森の妖精の長——とウットリする。
作詞・作曲がスティーヴィー・ワンダー(※詞は追詞として山川啓介さんが参加)という事ばかりに驚いていたが、またもや編曲が坂本龍一さん。すごい組み合わせによる生命讃歌だった。
遠いと思っていた坂本さんの音はすぐ横にあり、小さい頃から、たくさん私を熱狂させていたのだった。

ピアノで練習した『戦場のメリークリスマス』
ならば、「坂本龍一」という名をはじめからキッパリ確認して買った最初の曲は何だったかと思い出してみると、大島渚監督の映画『戦場のメリークリスマス』のサントラなのである。
メインテーマ『Merry Christmas, Mr. Lawrence』のメロディに、粒子のようにまとわりつく「シャンシャンシャン」が大好きだった。どうやら私は坂本さんの入れるシャンシャンシャンが大好きなようである。「プロフェット5」という電子楽器(シンセサイザー)を駆使しているそうだが、高度過ぎてよくわからないため、シャンシャンは諦め、素直にピアノの楽譜を買った。
ふっ、この私、ピアノの実力はないが妄想力はある。坂本龍一さんと同じレベルで弾いたるくらいの鼻息の荒さで練習したものだ。
結果は、サビのほんの少しの部分だけ練習し、そこだけグルグル繰り返し弾いて満足するという……。ピアノあるあるである。
そして私は1999年に大ヒットした『energy flow』でもまったく同じことをした。三共製薬(当時)が発売したリゲインEB錠(ビタミン錠剤)のCMでこの曲を聴き、感動して楽譜を買った(エモーショナルなナレーションは大杉漣さん!)。そして、CMの部分を習得した時点で燃え尽き、そこばっかり繰り返し弾き「ふふふリゲイン……」と悦に入ったものである。
『energy flow』は、私が知りうる限りの栄養剤CMのなかで、一番静かで悲しい音楽である。今も、ワーナーミュージックジャパン公式YouTubeチャンネルでMVを見ることができるが、聴くと胸がギューッとする。けれど次第に、心にピンと張りつめた糸みたいなものが、ふっと緩む。ちょっと肩の力が抜ける。悲しいのになんでこんなにほっとするのかな、と不思議に思う……というフローが私のなかで生まれる。答えは永遠に謎だ。

坂本龍一さんの音楽は不思議だ。遠くから流れているように思うのに、横にある。
コバルトの風に乗り、めだかのスイスイ泳ぐ音やすずめの鳴き声に乗り、ときにはスクランブル交差点を渡る人の足音に乗り、「きれいだなあ」と思うのだ。
そして、絡まったなにかが、ほどけていくのである。
◆ライター・田中稲

1969年生まれ。昭和歌謡・ドラマ、アイドル、世代研究を中心に執筆している。著書に『昭和歌謡 出る単 1008語』(誠文堂新光社)、『そろそろ日本の全世代についてまとめておこうか。』(青月社)がある。大阪の編集プロダクション・オフィステイクオーに所属し、『刑事ドラマ・ミステリーがよくわかる警察入門』(実業之日本社)など多数に執筆参加。他、ネットメディアへの寄稿多数。現在、CREA WEBで「勝手に再ブーム」を連載中。https://twitter.com/ine_tanaka