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天皇皇后両陛下「ご成婚30年」秘話 お互いの第一印象は「話していて楽しい」「気さくで配慮のある方」

「宮中饗宴の儀」では森英恵さんがデザインしたオレンジ色のローブモンタントをお召しに(1993年6月15日、Ph/JMPA)
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2023年6月9日、ご成婚30年を迎えられた天皇皇后両陛下。5月30日、日本橋高島屋で開催されている「御即位5年・御成婚30年記念特別展 新しい時代とともに―天皇皇后両陛下の歩み」を訪問された際に、愛子さまから陛下にプロポーズの「再現」をお願いされた場面もあったそうです。当時、陛下が雅子さまの心を射止めたお言葉は大きな反響を呼びました。そこで今回、陛下と雅子さまの出会い、プロポーズ、ご成婚までのエピソードを紹介します。

1986年10月|レセプションでの出会い 少ない会話でもお互い好印象に

1986年10月、東宮御所で開かれたエレナ・スペイン王女を歓迎するレセプションで出会われた、26歳の天皇陛下(当時は浩宮さま)と外務省の研修生だった22歳の雅子さま。おふたりは、ほとんど言葉を交わされなかったそうですが、婚約が決まった後の会見でお互いの印象を話されています。

陛下は「非常に強いというか、いい印象を受けました」「話していて楽しいという印象だった」、雅子さまは「話が弾んだということを覚えております」「とても気さくでかつすごく配慮のある方だということでございました」と答えられました。

雅子さまに出会われた1986年の陛下(当時は浩宮さま)(1986年5月9日、Ph/GettyImages)
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その後も夕食会などで、お会いする機会はありましたが、1987年に雅子さまは外務省に入省され、翌年の1988年7月にイギリスのオックスフォード大学に留学するため、日本を離れることになりました。

オックスフォード大学へ2年間の留学をされていた雅子さま(Ph/宮内庁提供)
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1992年10月|約5年ぶりの再会 鴨場で「私と結婚していただけますか」とプロポーズ

1989年に皇太子となり、お妃候補探しは続けられていましたが、雅子さまへの気持ちは変わらず、他のお妃候補に興味を持たれなかったという天皇陛下。

一方、2年間の留学を終え、1990年2月に帰国し、外務省に戻られた雅子さま。帰国後はキャリアウーマンとして忙しい日々を送られていました。おふたりが再会したのは帰国してから約2年後の1992年の8月16日、実に4年10か月ぶりでした。

同年の10月3日に、千葉県市川市の新浜鴨場で結婚を申し込まれた陛下。プロポーズのお言葉は「私と結婚していただけますか」でした。また「外交官として仕事をするのも、皇族として仕事をするのも国を思う気持ちに変わりはないはず」と雅子さまに伝えられました。プロポーズに対し、すぐに明確な答えはなかったそうですが、その後も、おふたりは電話で連絡を取り続けられていました。

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1992年12月|出会いから6年後、プロポーズの返事は「私がもし殿下のお力になれるのであれば…」

1992年12月12日、東宮御所を訪れられた雅子さまは、天皇陛下のプロポーズに、承諾の返事をされました。この日、陛下と交わした会話について、後の婚約会見で明かされています。

結婚を承諾するため、東宮御所へ向かう雅子さま(1992年12月12日、Ph/JMPA)
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「私がもし殿下のお力になれるのであれば、謹んでお受けしたいと存じます。これまで殿下には、いろいろたいへん幸せに思えること、嬉しいと思えるようなことも言っていただきましたので、その殿下のお言葉を信じて、これからふたりでやっていけたらと思います。

お受けいたしますからには、殿下にお幸せになっていただけるように、そして私自身も、自分でいい人生だったと振り返られるような人生にできるように努力したいと思いますので至らないところも多いと思いますが、どうぞ宜しくお願いいたします」

1993年1月|ご婚約会見で明かされた天皇陛下のお言葉

1993年1月19日、皇室会議が開催され、正式に婚約が決まり、ご婚約会見ではプロポーズの言葉や、お互いの第一印象など、記者の質問に答えられたおふたり。会見では、雅子さまにかけられた天皇陛下のお言葉が明かされました。

婚約会見を終えて笑顔でお話される天皇陛下(当時は皇太子)と雅子さま
婚約会見を終えて笑顔でお話される天皇陛下(当時は皇太子)と雅子さま(1993年1月19日、Ph/JMPA)
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特に「皇室に入られるということにはいろいろな不安や心配がおありでしょうけれども、雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから」というお言葉が話題になりました。

また、陛下から「皇室に、ぜひとも来ていただきたいというふうにずっと思っているけれども、本当に雅子さんのことを幸せにして差し上げられるのだろうかということを悩みました」と明かされた際に、雅子さまは「私にできることでしたら、殿下のことを幸せにして差し上げたい」と思われたことも会見で明かされました。

1993年2月|約6年間勤められた職場へ退職の挨拶に

1993年2月9日、外務省を訪れられ、別れの挨拶をされた雅子さま。同僚から中央に「和」と書かれた寄せ書きや花束を受け取りました。

外務省を訪れられ、最後の挨拶をされた雅子さま(1993年2月9日、Ph/JMPA)
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外務省での仕事を辞めるべきか悩まれたという雅子さま。キャリアウーマンとして約6年間、充実した日々を送っていた雅子さまにとって、すぐにプロポーズのお返事ができなかったのは、結婚を決心するまでに時間が必要だったからのようです。

1993年4月|「納采の儀」では振袖姿を披露

ご婚約から3か月の1993年4月12日、小和田家にて結納に当たる「納采の儀」が行われました。納采の儀を終えた後、ご両親と共に上皇上皇后両陛下(当時、天皇皇后両陛下)へ挨拶へ向かわれました。

小和田家で行われた「納采の儀」(1993年4月12日、Ph/JMPA)
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振袖姿で「納采の儀」に臨まれた雅子さま(1993年4月12日、Ph/JMPA)
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1993年6月|結婚式当日はローブ・デコルテ、装束などをお召しに

1993年6月9日の朝、自宅を出発される前に、ご両親と妹に挨拶をされた雅子さま。

結婚式当日の朝 ご家族に挨拶をされた雅子さま(1993年6月9日、Ph/JMPA)
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その後、結婚の誓いをされる儀式「結婚の儀」、天皇皇后両陛下に挨拶をされる儀式「朝見の儀」を終えたあと、皇居から東宮仮御所までの約4.2kmをオープンカーで移動する、ご成婚パレードが行われました。当時のテレビ中継では視聴率は30%を超え、沿道には約19万人の市民が駆けつけ、おふたりのご結婚を祝福しました。

ご成婚パレードの際の天皇皇后両陛下
ティアラをお召しになり笑顔を浮かべられる雅子さま(1993年6月9日)
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この日、雅子さまは自宅を出発された際にはスカイブルーのツーピースを、「結婚の儀」では装束姿でした。そしてご成婚パレードでは森英恵さんがデザインを手がけたローブ・デコルテをお召しになり、話題になりました。

「結婚の儀」で装束姿の天皇皇后両陛下(1993年6月9日、Ph/宮内庁提供)
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1993年6月15日に行われた、結婚を祝う「宮中饗宴の儀」でも森英恵さんがデザインしたオレンジ色のローブモンタントをお召しに。

以上、天皇皇后両陛下の馴れ初めを振り返ってみました。出会った後、途中で交流が途絶えるなど、結婚までの道のりは、万事順調というわけではありませんでした。しかし、雅子さまへの陛下の一途な思い、優しさ溢れるお言葉は、30年経った今でも感動を与えてくれます。

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