
2023年6月17日から7日間、インドネシアを訪問された天皇皇后両陛下。皇后雅子さまにとっては、約20年ぶりの国際親善を目的とした外国へのご訪問ということもあり、注目が集まりました。外国へのご訪問といえば、17年前の2006年8月、天皇陛下(当時は皇太子)と雅子さま、愛子さまの3人で約2週間にわたってオランダに滞在されたことがありました。オランダ王室との深い絆を感じさせる“夏休みの思い出”を振り返ります。
オランダ女王の招待で王室の離宮にてご静養
2004年7月に適応障害と公表された雅子さま。公表の2か月前、健康の回復が十分ではないという理由で、海外へのご訪問を断念されています。その後は、天皇陛下がおひとりで外国への親善訪問をされていました。
そんな折、雅子さまの体調を心配したベアトリックス前女王の招待により、ご一家で、2006年8月17日から8月31日までオランダに滞在されました。愛子さまにとって、初めての海外でした。

療養中の雅子さまを気遣い、家族の時間を落ち着いて過ごせるようにと王室の離宮、ヘット・ロー宮殿が提供されました。離宮は首都・アムステルダムから車でおよそ1時間の場所にあるアペルドールンという都市にあり、王族の避暑地や、外国からのゲストを迎えるために使用されています。



ご一家は、ベアトリックス前女王、アレキサンダー国王とマキシマ王妃(当時は皇太子と皇太子妃)と共に馬車庫へ。アレクシア王女は国王に抱きかかえられながら、カタリナ・アマリア王女は、愛子さまと手をつなぎながら報道陣の前に姿を見せました。両陛下はリラックスされた様子で子供たちを眺め、柔和な表情を浮かべられていました。



元キャリアウーマンという共通点があるマキシマ王妃との絆
皇室とオランダ王室の親密な交流は、その後も続きました。7年後の2013年4月30日、オランダ国王の即位式へ出席された両陛下。この時、マキシマ王妃が直接、電話で雅子さまを招待されたと報道されました。療養生活を送っていた雅子さまでしたが、王妃に背中を押され、訪問を決断されたそうです。
同年に行われた記者会見で陛下は、雅子さまの約11年ぶりの外国への公式訪問について話されています。
「かなり長いこと外国を公式に訪れていなかった雅子にとっては、大きな決断であり、大きな一歩でしたが、この行事に臨むことが新たな一歩を踏み出す一つの契機になるのではないかと思い、雅子の体力的な点を含めて、お医者様とも相談の上で決まりました」
オランダ王室から雅子さまのご体調への配慮もあったと明かされています。

「オランダ王室からは、雅子の出席について、即位式とそれに続くレセプションという中心行事に出席していただければ、そのほかの行事についてはご無理いただかなくても結構ですとのご配慮を頂いたことは大変有り難いことでした」
そして雅子さまご回復への大きな一歩になったとの認識を示されました。

「今回、オランダを訪問し、即位式に出席できたことは、雅子にとっても一つの自信になったように思います」

アルゼンチン出身のマキシマ王妃は、ニューヨークの銀行で働いていたキャリアウーマンで、雅子さまもご結婚前、外務省に勤めていました。バックランドが似ているおふたりだからこそ、心温まる絆が生まれたのかもしれません。
11年ぶりに宮中晩餐会へ出席され、オランダ国王夫妻をおもてなし
オランダ訪問の翌年、2014年10月29日、アレキサンダー国王夫妻が来日した際の歓迎行事では、雅子さまはオランダのシンボルカラーであるオレンジ色のスーツ姿でお出迎えされました。





夜に行われた宮中晩餐会に雅子さまも約11年ぶりに出席され、注目を集めました。アレキサンダー国王は、乾杯前の挨拶で日本との絆をこんなふうに話しました。
「両国の協力関係の礎は、今からさかのぼること4世紀以上前、1609年に将軍徳川家康が、私の遠い祖先にあたるマウリッツ公に送った一通の手紙から始まりました。その手紙に書かれていた言葉を御紹介します。
『志を保つふたつの国がその目標に向かうとき、両国の間にどれだけ隔たりがあろうとも両者を遮るものは何ひとつない。オランダ船に対し、国内のあらゆる港への寄港及び停泊を許可する。両国の友好の一層の進展を願う』
4世紀に渡り続く家康の願いは、我々オランダの願いでもあります」
「饗宴の儀」で国王夫妻と喜びの再会
そして5年後、両陛下の即位の際に再会。2019年10月22日に行われた「饗宴の儀」で、両陛下はオランダ国王夫妻と約5年ぶりに会えたことを喜ばれていたそうです。

皇室とオランダ王室の親密な交流は、これからの新しい時代にも続いていくことでしょう。