ライター歴45年を迎えたオバ記者こと野原広子(66歳)。ここ数年、愛猫や身内の死を相次いで経験。昨年は自身の大病で手術、入院をした。そんななか始めたのが「捨て活」だった――オバ記者が綴る。
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思い出した、亡くなる2日前の母ちゃんの顔
“元祖片付けられない女”の私が、いずれ来る終末に向けて“捨て活”をしようと思ったのは両親が相次いで他界したから。なんていうとなんか仰々しい感じだけど、カンタンにいえば、順番。母ちゃんは生前、老いた人が亡くなると「順送りだからなぁ」と言っていたけど、そうか。そういうことかと、最近になってやたら合点がいったんだわ。
いつの間にか、ああ、そうだよね~って、するっと耳に入ってきたの。そのきっかけは何だったのかなと思うと、いつでも頭の中にある映像が出てくるの。それは亡くなる2日前の母ちゃんの顔なんだよね。
「意識はありませんが耳は聞こえるはずですから話しかけてあげてください」と担当のU医師から言われて、ならばと私は耳元で「母ちゃん、そろそろジャガイモ、植えなくちゃなんめ。今度は母ちゃん、オレも畑手伝うよ」と、うそハ百。まぁ、聞こえているのかいないのか、返答がないからわからないけど、見てやってちょうだいな。この安らかな顔。
身辺整理をしないまま逝ってしまった
この3か月前まで、寝起きを一緒にして介護していた私に、施設に入れたら「こうしてやっから」と首に手をかけて悪たれをついていたのがウソのよう。この顔を見たら母ちゃんは納得しているんだなと直感で思ったんだよね。天寿をまっとうすると、家族もいい感じで見送れるんだなとも思ったね。
だけど母ちゃんの晩年が見事だったかというと、「そりゃあ、ねえべよ」と今でも文句を言いたいことがある。それは身辺整理をしないまま逝ったことよ。母ちゃんがいつも座っていた回転式の椅子の周囲はモノだらけで、背後の押し入れも魔窟としか言いようがないガラクタがいっぱい。それを片付けようとすると、すごい抵抗よ。