『初恋』、『踊り子』(いずれも1983年)などの楽曲で知られるフォーク歌手・シンガーソングライターの村下孝蔵さん。1980年、遅咲きと言われる27歳でのデビューだったが、1990年代を通じてヒットを連発した。1999年に46歳という若さで亡くなってから今年で25年が経つ。命日の6月24日は「五月雨忌」。ライターの田中稲氏が、彼が遺した作品に想いを寄せる。
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またこの季節がやってきた——。梅雨である。梅雨入りが全国的に平年より遅く、梅雨明けは平年通りと予想されている。つまり期間としては短くなりそうだ。ほっ。
しかし思えば、私は毎年この時期ウンザリしている。湿気を吸い込み暴れるクセ毛にイライラ、気圧の変化に体調がオロオロ。いやはや、きりがない。
そこで一人、梅雨を好きになるもの連想ゲームをしてみた。虹。雨音。アジサイ。形の面白い水たまり。美しい柄の傘。そして……村下孝蔵『初恋』!
「さーみーだーれはー緑色……」と自然と口から出る。村下孝蔵さんの『初恋』を歌うと、雨が新緑に降り注ぎ、瑞々しさを増すあの感じが、ぶわっと伝わってくる。
そして、あれだけ鬱陶しかった雨の日の景色が、途端に美しく見えるのだ。
「誠実」を音にしたような美声
村下孝蔵さんの声は、純度100%といおうか、青年の声の理想形といおうか、「誠実」を音にしたような声といおうか。聴いているだけでこちらも素直になってしまう。
その美声が運んでくるのは、四季の移り変わり、風のざわめきと愛しい日常の変化。そこに揺れる恋心が編み込まれ、それはそれは繊細な青春のシーンが紡ぎ出されるイメージだ。
とにかく比喩が美しい。初恋=ふりこ細工の心(『初恋』)、言い出せない愛=海鳴り(『ゆうこ』)、恋=つま先立ち(『踊り子』)。そのほかにも、散りばめられた言葉を見れば、想いが見えてくる。風に舞う花びら、陽だまり、ホタルに夕月、林檎、紙風船にリボンに、かざぐるまにセロファン……。心を映す愛しきもののチョイスが絶妙すぎる。
そのせいか、彼の歌は、「さあ聴くぞ!」と聴くのではなく、「ふっと思い出し、むしょうに聴きたくなる」ケースがほとんどである。雨に濡れる緑を見ると「『初恋』が聴きたい聴きたい……」となり、白いピアノを見ると「『ゆうこ』が聴きたい聴きたい……」となる。この現象を私は勝手に「孝蔵メランコリック・シンドローム」と呼んでいる。
『初恋』は多くの方がカバーしているが、玉置浩二さんの『初恋』は、五月雨という季節感より、初恋を思い出す感が前に出ていて、とても興味深い。
中森明菜さんとの縁
私が村下孝蔵さんの楽曲のカバーで、ご本家と同じくらい好きなのが、中森明菜さんによる『踊り子』である。静かで哀愁があって、あやうくて。まさに、歌姫と歌人の最強タッグ! このおふたり、ジャンルが違うように見えて、不思議な縁があるようだ。
なんと彼は、中森明菜さんのデビュー曲を作る作家候補に入っていたのだとか。もちろん『スローモーション』が超名曲なので、明菜さんのデビューはあれでよかったのだと思うが、それでも、村下孝蔵さんが楽曲を書いたデビュー曲も聴いてみたかった……!
また、彼女は1989年のスキャンダルで1年間休養をしているが、1991年、村下孝蔵さんは、『アキナ』いうシングルを発表している。
当時、「同じ歌手として明菜さんを応援しているし、また是非歌って欲しいと思っているので彼女への応援歌として解釈されても構わない」と自ら仰っていたそう。「可憐に咲きな」など『アキナ』の韻を踏むその歌詞を見ても、純粋で一途だからこそ生きにくい彼女にあてた歌のようにも思える。