「想像以上に過酷だった」――。ライター歴43年のベテラン、オバ記者こと野原広子(64歳)が、“アラ還”で感じたニュースな日々を綴る。
連載262回の今回は、この8月から茨城の実家で始めた93歳「母ちゃん」の介護について。
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夜中に何度も起こされ、朝はご飯の用意
弱ってきた母親の囚われ人になる…いや、私の場合、コロナ禍で入院させておいたら見舞い禁止で、次に会えるのは棺に入ったときと脅かされて自宅介護を申し出たから、介護キャンプに志願入隊だね、と前回、ボヤいたけど過酷さは想像以上だったわ。
「ヒロコ、オシッコ」
「ヒロコ、冷てー水飲みて~な~」
「ヒロコ、ご飯にすっぺよ」
冷たい水はともかく、オシッコのほうは、眠りを裂かれて数秒後に体重40kgの母ちゃんを持ち上げポータブルトイレまで移動させる大仕事。それを一夜に3回、4回。うとうとしたら叩き起こされるの。これって、夜勤じゃね?
いや、夜勤は終われば寝られるけれど、朝は早くからご飯の用意よ。私ひとりなら昼夜いっしょのブランチだけど、母ちゃんには食後にのませねばならない薬がある。
必死で起きてどうにかノルマをこなし、ちょっとうとうとしたら介護ヘルパーさんが来てオムツを代えてくれる。自分の娘ほどの若者が働いているそばで寝ているわけにいかず…。
入浴作業を一糸乱れぬさまで
で、あっという間に昼になり、夕方が来る。考えているのは、母ちゃんに食べさせることと、どうしたら気持ちよく出すものを出させるか、この2点だけ。ならいいんだけど、私の好奇心をヤケに刺激することが起きて、つい乗り出しちゃうから厄介なんだわ。
母ちゃんの入浴サービスがそう。ほぼ寝たきりの老人をどうやってお風呂に入れるのか。実は母ちゃん、40代始めにホームヘルパーになって、訪問入浴で介助する側だったの。「二階に寝ている場合は、3人がかりで桶に入れたお湯を二階に運んで、大変だったんだ」って、目を輝かせて昔の話をしたこともある。だから老いて自分が介護されるのはかなり抵抗があったみたい。
介護スタッフの女性3人1チームでベッドより大きな湯舟を座敷に運んで、入排水の装置を設置したら、あれこれして、「いち、にーの、さん」で母ちゃんの体をバスタブへ。これら一連の作業を一糸乱れず進めていくさまは熟練工か、はたまたアスリートか。見ていると3人とも自分以外の人が何しているか、背中で感じてそれぞれが動いてるんだよね。
抜け殻だった母ちゃんとは別人に
母ちゃんも気持ち良さそうに目を閉じて、「どうですか?」と聞かれると、「おかげさまで」って、そう言ったのよ。
ほんの1週間前、人間の抜け殻で退院した母ちゃんとは別人だよ。この変わりように往診に来た芥川龍之介似のU医師は驚いたなんてもんじゃない。
「医学では説明つかないんですけど、ほとんどの患者さんが家に帰ると元気になるんですよ」と大きな目をさらに見開いて言うんだわ。
そうそう。私が母ちゃんの介護をしようと決めたのは、コロナ禍ともうひとつ。いつ破裂してもおかしくない大きな動脈瘤が3つ、お腹の中にあるからなの。破裂したら即死。ジ・エンド。本人が望んでできたものじゃないけれど、”引き”強いよねぇ。
気晴らしは原チャで町内ツーリング
そんな毎日だけど、ちょっと時間があると原チャで町内ツーリングに出かけて気晴らしをしている。日光男体山がデーンと見える高台を見つけたの。早朝、後ろから車が来ない道を走る気持ちよさといったらないよ。
で、家に帰って
「こんな写真を撮ってきたよ」と、寝たきりの母ちゃんにタブレットを見せたら、しばしガン見した後、「ステぇ~キだわ」と言って、ほろっと笑う。
うむ、介護は長期戦になるかもね。
◆ライター・オバ記者(野原広子)
1957年生まれ、茨城県出身。体当たり取材が人気のライター。同誌で、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。一昨年、7か月で11kgの減量を達成。
●【261】93歳母の介護を始めて感じた「小さな喜び」とは?