ライター歴43年のベテラン、オバ記者こと野原広子(64歳)が、“アラ還”で感じたニュースな日々を綴る。
連載265回の今回は、茨城の実家で始めた93歳「母ちゃん」の介護について。要介護5の母ちゃんが劇的な回復ぶりを見せたことは前回お伝えしましたが、今回、大好きな“イケメン俳優”に夢中になったそうです。
* * *
ヘルパーさんと母ちゃんが”女子トーク”
抱えられて車椅子に座って30分もいられなかった母ちゃんが、余裕で1時間以上になり、1週間前からは自力でベッドから起き上がり車椅子に移動できるようになった。
しかしさ、こうなって思うんだけど親のことって知っているようで知らないんだね。母ちゃんは水谷豊の大ファンで、ドラマ『相棒』が始まるとテレビの前に陣取って見ていて、元音楽教師のヘルパーOさんに、「水谷豊、いい男だなぁ」と言ったんだって。
「いい男ってどこが?」と聞くと、「顔がいいべな」と言ってで「へへへ」と笑ったんだそう。「顔が好みで、話し方も好き」なんだって。外出先から帰ると、母ちゃんとヘルパーOさんが肩寄せ合ってテレビを見ていたりするけれど、まさかこんな“女子トーク“をしていたなんてね。1か月前に退院してきたときは想像すらできなかったわ。
「終末」しか考えられなかった1か月前
で、何を想像していたかというと、母ちゃんの終末。危篤状態で入院して2か月後、人間の抜け殻になって退院したときは、あとはいい感じで着地できたら、もう何も望みませんってそれしか考えられなかったの。
だからいくらU医師から「自宅介護は大変ですよ。大丈夫ですか? できそうですか?」と聞かれても、ピンと来てないのよ。
てか、それ以前だね。ひとり暮らしをしていた母ちゃんが、足腰が弱って施設(老人保健施設)に入居するときに、ケアマネジャーのSさんから介護保健制度の仕組みを聞いたはずなのに、何ひとつ頭に入っていなかったの。
理由は簡単。自分の手を汚さないと思っていたから。介護を”自分ごと”と思っていなかったのよね。「ああ、そうですか、そうですか」って右から左よ。
思い出した地元での”強烈な体験”
何がどう違うのかは、まあ、おいおい話すとして今回は、地元を気ままに原チャで早朝ツーリングをしていたら、かつて強烈な体験をした場所に迷い込んだの。
谷貝小学校は農村部のごく当たり前の学校だけど、どうしたことか私が小学2年生の昭和40年ごろ、いち早くプールができたの。それで町場の小学生だった私たちはバスに乗せられ、プールに入ることになった。
夏休みになって急きょ、決まったのかしら。学校から配られたプリントを見ながら、集落の親たちは水着をどうするかで、ちょっとした騒ぎになったの。上級に姉がいる子は紺のスクール水着のおさがりがあったけれど、半数の子は持っていない。「上下、下着で」とかいう指示があったのかしら。
結局、私はゴワゴワの綿のシュミーズと太ももにゴムが入ったズロースでプールに入ったんだけどね。お風呂の比ではない。大きな水の中に入ったときの不安と面白さが入り混じった感覚と、夏の日差しを反射した水がキラキラ光っていたことなど、57年前の記憶が急によみがえってきたの。
コロナ禍のおかげ?忘れた記憶がむくむくと
故郷の風景はすっかり忘れたはずの記憶を、体のどこかから、むくむくと立ち上らせるんだよね。私を育んできたありがたい故郷というには、複雑な思いがからみあって、照れくさかったり、ウソ臭かったりするけれど、それでも曲がりくねった農道を原チャで走っていると、懐かしくて「わあああ」と奇声をあげたくなる。
こんな体験ができたのも、自宅介護するしか親を看取れなくなったコロナ禍のおかげ、って、まあそこまで言うと言い過ぎだね。
◆ライター・オバ記者(野原広子)
1957年生まれ、茨城県出身。体当たり取材が人気のライター。これまで、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。
●【264】要介護5の93歳母ちゃんが劇的回復、「サシ飲み」できるなんて