ライフ

【65歳オバ記者 介護のリアル】父親を恨んでいた娘が病院を退院させてまで始めた在宅介護で行った仕返し〈毒親介護ルポ〉

「仕返し」だったという父親への介護(Ph/イメージマート)
写真8枚

ライター歴43年のベテラン、オバ記者こと野原広子(65歳)が、介護を経験して感じたリアルな日々を綴る「介護のリアル」。昨年、茨城の実家で母親を介護し、最終的には病院で看取った。「毒親だった」という母親を介護したオバ記者が思い出したのは、ある父と娘のことでした。今回は“毒親介護”のルポをお届けします。

* * *

前妻を「最低の女」と言ったYさん

毒親の介護というと、10年前に亡くなったYさんを思い出すの。Yさんは昭和初期の生まれのおじさんで、新宿で小さな会社を経営していてね。その会社でアルバイトをした縁でときどき遊びに行って喫茶店でお茶をご馳走になっていたの。

お茶だけでなぜノコノコ待ち合わせの喫茶店に出かけていったかというと、Yさんの話が圧倒的に面白かったから。

喫茶店店内
話が面白いYさんには時々お茶をご馳走になっていた(Ph/イメージマート)
写真8枚

田舎の無教養な親から、「テメェなんか、生かすも殺すもどうにだってできたんだ」なんて怒鳴られ、あげく「中卒で働け」と迫られた私にとって都会人のYさんの話は夢の紙芝居。戦中の苦労話ですら甘味に聞こえたのよね。母親と同世代なのに有名私立大卒だとここまで違うかと、20代初めだった私は会うたび感心したり、感動したりして時間を忘れたの。

ところがだんだんYさんも私に気を許してきたのね。離婚した前妻の話になると、それまでのジェントルな顔が急変して、「あんな最低な女はどこにもいません」だの、「金の亡者」だの、口汚く罵り出すようになったんだわ。

前妻は長女のA子さんを置いて家を出たというし、Yさんの子育ての苦労を聞いたりするとYさんに同情したわよ。で、再婚した妻は料理上手でその妻の間に生まれた次女のB子さんは気は優しくて力持ち。「面白い子なんですよ」と目を細めるの。

娘を仲間の前で殴りつけた

そのYさんがある時、高校生だったA子さんには手を焼いたという思い出話で、とんでもないことを言い出した。高校生の娘は遊び仲間が迎えに来ると夜中にこっそり家から出て行って朝まで帰らない。それに気づいたYさんは、ある晩、家から出ていこうとするところを捕まえて、仲間の前でA子さんを殴りつけたんだって。

女子高生
前妻との間に生まれたA子さんは高校生になると素行が悪くなっていった(Ph/PhotoAC)
写真8枚

「真の友だちならA子を助けるはずじゃないですか。なのに黙って見ている。もう一発殴る。助けるどころか誰も声をあげない。じゃあ、これならどうだとA子を拳で思いっきり殴りつけたら友だちと称するガキたちは走って逃げましたよ。あんたらの友情はこの程度かと怒鳴りつけてやりました」

私はYさんに「そこまでA子さんにする必要があったと今でも思っている?」と問い詰めたら、「でへへへ。ちょっとやりすぎたかな」と言ってものすごくバツの悪い顔をしたっけ。のちのちその時のことを次女のB子さんから聞いたら、A子さんの顔は変形していたそうな。

拳
夜遊びに行こうとしたA子さんの顔を思いっきり殴ったという(Ph/PhotoAC)
写真8枚

「やりすぎじゃ済まない話だよ。私なら親子の縁、切るね」と言ったら。Yさんは黙ってうなずいていたっけ。Yさん、私に話してラクになりたかったのかもね。

「娘が恐ろしい」と電話をかけてきた

その数年後にYさんの妻が事故死した。入れ替わるように結婚して実家を離れていたA子さんが離婚して、またYさんと同居するようになった。ときどきYさんから呼ばれて都心の庭付き一戸建ての家に遊びに行くと、突然YさんとA子さんが大声で口げんかを始めることもあったけど、なんだかんだいいながら、縁の深い父娘なんだなと、私は見ていたんだわ。

そのYさんは70歳の後半になってパーキンソン病で入院したの。その入院先から私に怯え切った声で電話をかけてきたんだわ。

「A子がオレを退院させて介護をするっていうんだよ。オレはそれは嫌なんだよ。A子が恐ろしいんだよ」と。かすれ声のYさんは、さらに「あいつは別れた女房とそっくりなんだ。それでつらくあたったこともあったけど、決して憎くてそうしたんじゃないんだがな」と続けたんだわ。

病室 男性
Yさんはある日「A子が恐ろしい」と病室から電話してきた(Ph/PhotoAC)
写真8枚

「じゃあ、入院していれば?」と言うと、「もうオレの自由にはならないんだよ。A子が病院と話してて」と、最後は声に力がなくてよく聞き取れなかった。

腕や太ももにはアザが…

Yさんが恐れた自宅介護はどんな様子だったのか。2人目の子を出産したばかりで、たまにしか実家には顔を出さなかった次女のB子さんは、「玄関を開けるのが怖かった」という。

「姉は私に来てほしくなかったのね。これ見よがしに父を怒鳴りつけるのよ。わがままを言う父の太ももとか腕とか殴りつけることあったみたいで、そうすると父は姉の目を盗んで黙ってそのアザを私に見せるんだよね」

訪問診察に来た主治医にアザを見とがめられたこともある。「『これはどうしたんですか?』と聞かれた父は、『転んだ』と言ったんだって。自力でトイレに行くのがやっとで、激しく打ちつけたりできるはずがないのに、父は姉をかばったんだね」とB子さん。

玄関
「玄関を開けるのが怖かった」と話したのは次女のB子さん(Ph/PhotoAC)
写真8枚

Yさんは夜中に呼吸困難になって救急車で運ばれた数日後に息を引き取った。A子さんの自宅介護は1年3か月で終わった。

「姉の末期がんが見つかったのはその2か月後なの。父の介護をしている間も体に異変がなかったはずはないんだけど、気づかないふりをしていたんだと思う。病院で『手の施しようがない』と言われたら、さっさと自分で探したホスピスに入院して、半年後に亡くなってしまって」(B子さん)

50歳になったばかりの姉、A子さんの“介護死”と言ってもいいような最期だった。

「姉は『仕返しする時が来るのをずっと待っていた』って、はっきり私に言っていて、それをかなえたんだけど、悲しい親子だと思う」

女性
父親が亡くなった後A子さんも亡くなった(Ph/イメージマート)
写真8枚

Yさんは40代後半で生まれたB子さんに手を挙げたことは一度もなく、そうした態度の違いをA子さんは亡くなる直前まで恨んでいたそうな。

結局、それぞれの家が抱えているトラブルの火種がいっせいに火を噴き出すのが、親の終末期、介護なのよね。

◆ライター・オバ記者(野原広子)

オバ記者イラスト
オバ記者ことライターの野原広子
写真8枚

1957年生まれ、茨城県出身。体当たり取材が人気のライター。これまで、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。昨年10月、自らのダイエット経験について綴った『まんがでもわかる人生ダイエット図鑑 で、やせたの?』を出版。

【305】「毒親だった」母ちゃんの介護 世話をしている時に抱いた思いとは?

【304】葬儀から3か月、“介護疲れ”で体のあちこちに異変

→オバ記者の過去の連載はコチラ

関連キーワード