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66歳オバ記者、特養入居が決まった叔母の元へ 会うなり「しばらく来ないで」と言った彼女がとった意外な行動

オバ記者
原チャに乗って叔母に会いに行ったオバ記者
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ライター歴45年を迎えたオバ記者こと野原広子(66歳)。自宅介護の末、母親を看取ったのは一昨年春のこと。その母親の妹(叔母)が特別養護老人ホームに入居することが決まった。入居前に会いに行くとそこには印象ががらりと変わった彼女の姿が――。

* * *

「迫力のない」叔母の姿に衝撃

これも66歳という年齢のせいなんだろうね。これまで付き合いのあった親世代と別れの時が近づいてきたなと思うことがあったの。

一昨年の春に亡くなった母ちゃんの妹、つまり叔母(88歳)が先日、特養ホームに入ったのよ。特養、つまり特別養護老人ホームに入居したら、自宅に戻ることはほぼない。叔母ちゃんと会うのもこれが最後だなと思って、入居の2日前に原チャで会いに行ってきたわけ。

母ちゃんの後ろにいるのが叔母
母ちゃんの後ろにいるのが叔母
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「あら、何よ。しばらく来ないで」

ドアを開けると、全身が水気の抜けたごぼうみたいになった叔母が立っていて私の顔を凝視している。ここにくる間、何があっても驚くことはないぞ。気持ちを揺さぶられるな。そう自分にいい聞かせてきたけど、やっぱり目の前にすると衝撃だよ。

いきなり文句をつける性格は相変わらずだけど、その迫力のないこと! しかも転んだとかで目の下に青タンを作っているし。

「いっしょに寿司食べに行こう」とまさかの提案

気を取り直して、「いっしょにお昼でも食べようと思ってさ。ちょっと待ってて。バイクでお寿司買ってくるよ」と言うと、「じゃあ、いっしょに食べに行こう」と思いがけない言葉が返ってきたんだわ。

ちょっと待て! 気温30度の炎天下、15分はかかる回転寿司店まで歩くというのか。新宿区とはいえ叔母の住む地域には飲食店なんかありゃしない。しかも坂道ばかり。だからバイクで行ったのに、「行けるわよ」と言ってきかないんだわ。

「お待たせしました~」と別の部屋から出てきた叔母を見て再びあ然としたね。部屋着の下からババシャツが出て、髪はボサボサ。グイと1本引っ張った眉がまた恐ろしい。

ああ、もう、どうにでもなりやがれ!

オバ記者と叔母
元気な頃とはだいぶ変わってしまった叔母
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叔母は日傘をさしてゆっくりゆっくり昔話をしながら歩いて、2階の店まで手すりをつかんで階段を登りきった。そしてカウンターに座った。それを見て私の緊張の糸が切れた。その場にしゃがみ込みそうになったわよ。

叔母は茶碗蒸しを美味しそうに食べた。だけどネギトロ軍艦巻きの海苔が噛みきれない。ご飯をぼろぼろとこぼし、しょうゆと間違えて寿司の上からお湯をかけようとしている。

思うように動かない身体にジレたんだろうね。おしぼりを渡そうとしたら、「面倒をみるんじゃないよっ」。「トイレ、大丈夫?」と聞くと「行かないわよっ」とか細い声で怒るんだよ。

叔母イメージ
いろいろ変わってしまったけど、まだ怒る元気はありそう(Ph/イメージマート)
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一昨年秋には茨城まで1人で来た叔母

一昨年の秋には叔母、私にシモの世話をされていた母ちゃんに会いに1人で茨城まで来たんだよね。

おかしくなったのは今年に入ってからだ。怪しい建設業者の口車に乗って契約書に判をついたのが1月末。4月末に会った時はやせ細り、認知症がひどくなって話の半分は意味不明。ひとり暮らしはムリだからと、息子と娘がかわるがわる顔を出すことになって、私はフェードアウトを決めたの。

というのも、ここ20年、私は手土産を持ってわざわざ訪ねて行っては、バカだ、デブだ、ダメだ。声を荒らげて怒鳴り合いをしたこともある。ああ、こんなババアと二度と会うもんかよ。電話で「たまには顔を出しなさいよ」と言われても、頑なに無視していた時期もある。

女性の手元
昔、叔母と大ゲンカした時もあったな(Ph/photoAC)
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その叔母がある日、おだやかな声で「ヒロコちゃんと気の合いそうなおじさんと町会の仕事をして知り合ったのよ。おいでよ」と電話してきたの。それが叔母より3歳上の建築家のO氏(91歳)だったの。18年前だから、私は48歳、叔母とO氏はまだ70代前半だったんだね。

それから叔母と3人で会うようになり、そこに私の友だちを混ぜて何度オペラを聴きに行ったかしら。八王子の料亭『うかい鳥山』までO氏の車で連れて行ってもらったのも、一度や二度じゃない。

叔母との縁で知り合った最年長BF

いつからか叔母抜きでも会うようになって、最初は「やだ、密会?(笑い)」とはしゃいでいたけれど、そのうちふたりだけで食事をするのが当たり前になったの。「最年長のBF(ボーイフレンド)」と言うと「光栄です」と頭を下げてくれる、そんな関係。

そのO氏が1年ほど前から入退院の繰り返しになって、食事するときはO氏の家の近くに私が出向いたの。つい2週間前に会ったのは、叔母と行った回転寿司店よ。その席につくなりよ。

「まいったよなぁ。この間、入院したら、医者から『いくつまで生きますか? それによって治療方針を決めますから』と言われちゃった。さすがに即答できなくて帰ってきたよ」

O氏は大病院で長年がん治療をうけているんだけどね。頭の確かさ、発想の豊かさは出会った頃と何も変わらない。

男性が読書している
O氏の体調も心配…(Ph/イメージマート)
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「じゃあ、私が医師への返答を提案します。一、人としての尊厳を傷つけないところまで生きたいです。二、どんな形でも生きられるだけ生きたいです。三、知らない。あんたが決めてくれ。さぁ、どれがいい?」

そしたらO氏、「あはは。三、いいな。三にするかな」と大笑いしてくれた。子供の笑顔もいいけど、年寄りの笑顔はもっといい。

「じゃ、退院できたら連絡するわ」と手をあげたO氏と別れたのが10日前のこと。

叔母ちゃんは特養ホームで偉そうなことを言っているに違いないけど、家に帰れないことを知ったら暴れないかな。

なんだかんだ言いながら朝に晩に気になるのでした。

◆ライター・オバ記者(野原広子)

オバ記者イラスト
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1957年生まれ、茨城県出身。体当たり取材が人気のライター。これまで、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。昨年10月、自らのダイエット経験について綴った『まんがでもわかる人生ダイエット図鑑 で、やせたの?』を出版。

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