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薄井シンシアさん、娘が小学生のときの誕生日会は仕事だと思って徹底的にやった「手作りケーキの上に埋め尽くした折り紙」

バリキャリは方向転換しても生き方が変わらない

ニューヨークに住んでいたときは学校と自宅が近かったので、自宅に飾った雛人形をクラスごとに見学に来てもらうこともしました。雛人形の説明をしたり、ちょっとした日本のお菓子を振る舞うと日本の文化紹介になるでしょう? 中学生になると、そういう授業が減るので図書館に雛人形を飾ったりしました。

薄井シンシアさん
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ほかの外交官の奥さんで、そこまでする人はいなかったと思います。でも私は、夫が大使館勤務なら日本文化を紹介することも仕事の一部だと思っていたので、真面目に紹介しました。積極的に企画してスキルを磨いた経験は、現在の仕事にもつながっているかもしれません。

私は出産までバリバリに働いていた人間です。そういう人が子育てに専念したからといって生き方は変わりません。そうすると、バリバリに働いていた部分をどこかへ方向転換する。エネルギーの行き先は、雇用主がいるわけではないから、自分で決めるしかないでしょう? それが娘のPTAや誕生日会、日本文化の紹介へと向かったのだと思います。パパは仕事が忙しいから当日だけ参加をする。準備はすべて私がやりました。

娘はいつも「また、ママが何かをしている」という反応でしたが、「うちのママは何でもしてくれる」と鼻が高い部分もあったのではないかと思います。私は仕事と掛け持ちをしなかったから、なんでも徹底的にやる。そこで娘との信頼関係が生まれたのかもしれません。

◆薄井シンシアさん

薄井シンシアさん
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1959年、フィリピンの華僑の家に生まれる。結婚後、30歳で出産し、専業主婦に。47歳で再就職。娘が通う高校のカフェテリアで仕事を始め、日本に帰国後は、時給1300円の電話受付の仕事を経てANAインターコンチネンタルホテル東京に入社。3年で営業開発担当副支配人になり、シャングリ・ラ 東京に転職。2018年、日本コカ・コーラに入社し、オリンピックホスピタリティー担当に就任するも五輪延期により失職。2021年5月から2022年7月までLOF Hotel Management 日本法人社長を務める。2022年11月、外資系IT企業に入社し、イベントマネジャーとして活躍中。近著に『人生は、もっと、自分で決めていい』(日経BP)。@UsuiCynthia

撮影/小山志麻 構成/藤森かもめ

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