9月も終わりが近づき、ようやく秋の空気が感じられるようになった。ライターの田中稲氏は、「秋に沁みる歌」として、『さよなら』『Yes-No』などのヒット曲を多数生み出し、昭和の終わり(1989年)まで活動したバンド、オフコースの楽曲を挙げる。なかでも、秋の始まりの今、聴きたいというのが、槇原敬之ら多数のアーティストがカバーした『秋の気配』だ。田中氏が綴る。
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今年は本気で夏がこのまま居座るかとヒヤヒヤしたが、ようやく、ようやくやってきた。秋の気配が——。時折吹く涼しい風にホッとしている。
秋に沁みる歌は数あれど、今回の猛プッシュはオフコースの『秋の気配』である。私は慌てている。ただでさえ秋が短くなっているのに、その「気配」を感じる時期なんて、超限定、プレミアム期間ではないか。
この記事が出ているころ、すでに「気配」は消え「秋ド真ん中」もしくは「夏ぶり返し」になっていませんように……。
さあ、祈りはこのくらいにして、いざその世界に入り込もう。ただし注意点がある。過去、せつない別れをした恋が自動的に脳内再生される確率が高い。涙をぬぐうハンカチは用意しておこう。
季節の移り変わりの表現が絶妙
『秋の気配』で描かれるのは、恋人との別れ。ただ、この歌が貴重なのは、別れ話の真っ最中、しかも主人公の立ち位置が、フラレるのではなく、フる側であるということである。この描写が、とてもリアルで、ものすごく勉強になる。
つくづく思う。フる側は恋心が冷めているだけあって、別れ話の瞬間を俯瞰で見ているということを。別れ話をするのに、彼女が好きだった場所(港の見える丘公園?)の近くをチョイスするデリカシーのなさ。別れの言葉を探すぼんやり感。はっきりした理由はないけど心が離れることを自覚している倦怠感。すべてが怖い。しかし、消えゆく愛って実際こんな感じなのだろうと納得してしまう。『秋の気配』がこれだけ切なく沁みるのは、「飽きるという残酷」がリアルかつロマンチックに描かれているからだ。勉強になります……!
ちなみに『秋の気配』は大勢の人にカバーされているが、槇原敬之さんバージョン、日野美歌さんバージョンもハンパではない切なさが堪能できる。
『秋の気配』とおなじく、心が離れていく様を描いた歌に『さよなら』がある。この歌は晩秋。雨がもうすぐ雪になる、そんな“白い”予感がする時期だ。
彼らの歌は、季節の移り変わりの表現が絶妙に分かれている。それにより、心の揺らぎが、1ミクロン単位でこちらに伝わってくるのである。