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「何度も何度もレコードの針を置いて聴いた…」歌謡曲ライターが語り尽くす!さだまさしの歌との思い出“マイさだまさ史”

時代を超えて愛されるさだまさしの作品たち。写真左上より『無縁坂』(1975)、『雨やどり』(1977)、『案山子』(1977)、左下より『檸檬』(1978)、『関白宣言』(1979)、『しあわせについて』(1982)
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フォークデュオ「グレープ」でデビューしたさだまさし(72歳)が『精霊流し』でその名を全国に知られるようになってから50年余り。これまでに発表した作品は600曲近くあり、様々な世代に愛され続けている。そんな彼の楽曲を愛してやまないライターの田中稲氏が、子供時代に始まる「マイさだまさ史」を語り尽くす──。

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今期はドラマが楽しーい! 日曜劇場の『海に眠るダイヤモンド』(TBS系)がそのひとつ。神木隆之介さん主演なので外すわけはないと思っていたが、いやはや想像以上だ。炭鉱のシーンは、本当に息がつまりそうなほどの迫力で、舞台となっている長崎県、軍艦島についても興味惹かれる。

1回目から食い気味で観ていたら、さだまさしさんがやさしい僧侶役で出てきた。長崎出身で平和についての歌も多いさださんは、まさにナイスキャスティング。見ているだけでホッとする温かい存在感もぴったりだ。

さださんといえば、昨年、デビュー50周年を迎えたところ。発表された曲は600曲近い! 私は、知っている曲数は決して多くはないが、中学時代に響いたある一曲をきっかけに、繰り返し聴いては救われている曲、リピさだ曲がいくつもある。デビュー40周年記念のベストアルバム『天晴(あっぱれ)〜オールタイム・ベスト〜』のコピーにもあったが、「この歌が、いつも隣にいてくれた」——本当にそんな感じなのである。

ということで、私とさだまさしさんの歌との思い出、「マイさだまさ史」を勝手ながらお話ししたいと思う。

「繰り返し聴いては救われている曲がいくつもある」(写真は1990年、Ph/SHOGAKUKAN)
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『しあわせについて』のB面『苺ノ唄』に夢中になった中学時代

さだまさしさんとの出会いは1974年の『精霊流し』。まだソロではなく、フォークデュオ「グレープ」としてである。とはいえ、私は当時5歳だったので、この時点ではボーッと見ているだけだった。意識し出したのは『天までとどけ』(1979年)あたりから。それでも、いい声とか、いい歌とかいう以前に、

「か弱そうな人、そして声たかっ!」

という感想であった。細い体に細い声。繊細を絵に描いたような風貌と歌声のさださんが歌う、最後の部分「ようこそこの愛へ〜↑↑」の儚いにもほどがある高音に驚き、歌ったあと倒れてしまわないかと心配したものだった。この曲の次のシングル『関白宣言』は大ヒットしたが、コドモだったので歌の意味がピンとこず、通り過ぎた。

しかし、中学1年生、そのときがやってきた。曲は『しあわせについて』(1982年)。初めてさださんのレコードを買ったのだが、まさかの、いや、まさかのと言っては大変失礼なのだが、彼のポロシャツ姿に惚れてのジャケ買いであった。

『苺ノ唄』は21thシングル『しあわせについて』のB面に収録された
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小学校の頃は世良公則さんや西城秀樹さんといった、舞台でジッとしていない人が好きだったのに、思春期とは本当に不思議だ。唐突に地味メガネ男子ブームが吹き荒れ、南こうせつさん、さだまさしさんという繊細メガネ男子がドストライクゾーンになったのである。

そして、私は『しあわせについて』のB面の『苺ノ唄』に夢中になった。『しあわせについて』もいい歌だったが、『苺ノ唄』にはとてつもなく哀しく風情があり、A面にひっくり返す手間を惜しみ(レコードならでは……)、何度も何度も針を置いて聴いた。

部屋の隅で三角座りをし一緒に歌ったおかげで、今でも1番はそらで歌える……。一度落ち込むと地獄の一丁目までいかないと上がってこられない性格にジャストフィットした。あの、中学生特有の孤独まで思い出す。わかってもらえるかどうかは分からないが、私にとって『苺ノ唄』は、平成ギャルにとっての浜崎あゆみの『A song for XX』的なポジションの歌である。

同じく、中途半端な励ましをされるより、一度どん底まで落ち込む性格だという方は、ぜひ、ぜひお聞きいただきたい。サブスクリプションにあります!

この『苺ノ唄』をきっかけに、後追いでベストアルバム『昨日達…』(1981年)を購入。このアルバムにて、その後の人生何度も聴きまくるリピさだ曲『檸檬』と『不良少女白書』に出会うのだった。

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