
日本で初めてのラジオ放送は1925年3月22日9時30分、NHKの前身である東京放送局の仮放送所から始まった。それから100年、テレビの台頭やメディア、娯楽の多様化で斜陽を迎えた時期もあったが、インターネットを利用しての放送や配信が可能になったいま、幅広い世代に聴かれるように。ラジオの人気を長年けん引してきた人気パーソナリティーで作家の加藤諦三さん(87才)にその魅力を語ってもらった。
ラジオは若者が本音を語り合える場だった
ニッポン放送が誇る最長寿番組といえば1965年1月に放送が開始された『テレフォン人生相談』だ。親子関係に夫婦関係、不倫、借金など、多くの人の悩みに、日替わりのパーソナリティーが回答する国民的ラジオ番組でもある。なかでも、月曜を担当する社会学者の加藤諦三さんは、1972年から回答者を務める最古参。

《変えられることは変える努力をしましょう。変えられないことは、そのまま受け入れましょう》
という加藤さんからのオープニングメッセージは心に響く。53年間、人々の悩みに向き合い、相談内容はどう変わったのか──。
「時を経ても人の悩みは変わりません。強いて言えば、核家族化が進んで嫁姑問題が減ったことと、男性からの相談が増えたことぐらいです」(加藤さん・以下同)
今年87才になった加藤さん。本業は学者だが、ラジオパーソナリティーは文化放送の深夜番組『セイ!ヤング』(1969~1994年)から務めてきた。
「ラジオの話をいただいたのは、ぼくが東京大学大学院を卒業して教職に就いたばかりの頃で、学生運動に揺れる1970年のことでした」
大学時代の著書『俺には俺の生き方がある』(大和書房)がベストセラーとなったことが、パーソナリティー抜擢のきっかけになった。
「『セイ!ヤング』は多くの学生が聴いてくれました。世の中に絶望し『自殺する』というはがきを送ってきた若者に対し、たくさんのリスナーから『死ぬな』と励ましの便りが届いた。
当時の深夜放送は、若者が本音で心を触れ合わせられる場所だったんだと思います」
この番組の評判により、加藤さんは人生相談の回答者に選ばれたという。
怒った相談者が警察に駆け込んだことも
番組では、放送当初からの原則がある。それは、相談者と電話がつながるまで、回答者に相談内容を明かさないことだ。
「事前に予備情報を得ると、こちらも先入観にとらわれてしまう。電話がつながってからがスタートです。私たちもリスナーと同じ立場で相談者に向き合っています」
長い歴史の中でも、忘れられない相談があるという。
「結婚式当日に逃げた姉の代わりに結婚させられた妹さんからの相談で、離婚したいというもの。私も同意しましたね」
回答に満足できず、電話口で怒りだす人や、ニッポン放送近くの丸の内警察署に相談者が怒鳴り込んだケースもあったという。
「人間は過去の集積でできています。過去は受け入れざるを得ないけれど、未来は変えられることを知ってほしい。ぼくの回答をリスナーが納得できなくなったら辞めどきなのかな、と思っていますが、それまでは何とか続けたいですね」
と、ラジオ同様穏やかな口調で語ってくれた。
◆作家、社会心理学者、早稲田大学名誉教授:加藤諦三さん
1938年生まれ。東京大学大学院修了後、早稲田大学で教職に就く。1973~1975年と1990~1991年にハーバード大学准研究員に。1970年、深夜ラジオ番組『セイ!ヤング』(文化放送)以降、ラジオパーソナリティーも務める。2016年に瑞宝中綬章を受章。著書に『テレフォン人生相談~心の仮面をはずそう~』(扶桑社)など多数。
【出演中】
『テレフォン人生相談』(ニッポン放送)月~金曜(11時~11時20分)※月曜担当
2012年に、日本民間放送連盟賞のラジオ教養番組優秀賞受賞。毎週火曜と水曜の13時30分~15時に相談を受け付け中。
取材・文/植木淳子
※女性セブン2025年3月20日号