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《備蓄米放出でも止まらない米の値上がり》67歳オバ記者が振り返る自身の“米騒動”「米が買えなくてピンチだった」頃

オバ記者
米にまつわるエピソードが止まらないオバ記者
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政府が備蓄米の放出を決めたが、それでも巷での米の値上がりは続いていようだ。ライターのオバ記者こと野原広子(67歳)も先日、スーパーで米の価格を見て驚いたという。そんなオバ記者が自身がこれまで経験した“米騒動”について綴る。

* * *

米の値上がりに驚いた!

「なんじゃこりゃああ〜」

人がいなかったら叫んでいたに違いないわ。

今年の1月29日、いつも行くスーパーの米売り場の前を通りかかった時に、目にすごく違和感があったんだよね。だから写真を撮ったんだけど、前に3000円前後で買ったあきたこまちの『だんらん』5kgが3380円! 私が思っていたより500円高くなっていたの。情報通の友達から「米が値上がりするらしいよ」と聞いたばかりだったので、なるほどねーと思ってこの時は通り過ぎた。

が、しかし3月7日はそんなもんじゃない。同じあきたこまちの『だんらん』5kgが4480円って、ただの値上げじゃないって。そりゃあ、もう、絶叫もんでしょ。

オバ記者
この間まで3380円で売っていた米が4480円に値上がりしてる!
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実は私、ギャンブルという人としてしなくてもいいことに手を出したり、何かに夢中になると後先考えない性格のせいで、お金の苦労はさんざんしてきたけれど、お米の苦労はほとんどしていないんだよね。いわば「米お嬢」で、18歳で上京してから数年前までずっと義父が茨城から米を運んできてくれたの。それもこちらから米をねだったことはなくて、毎回「ヒロコ、米あんのか?」と電話がかかってくる。その時によって「まだある」と断ったり、「う〜ん、そろそろなくなるかな」と言ったりしたけれど、”米”は二の次、三の次で、要は両親の顔を見たいか見たくないかよね。義父は「なくなりかけて買わなくちゃと思っていたところなんだよ」と言おうものなら、電話の声が小躍りしていたっけ。

義父が肩にお米を担いで持ってきてくれた頃

なんていうと私の実家は米農家かと思われそうだけど、そうではなくて毎年、秋になると決まった農家から何俵かまとめ買いしていたのよ。米の値段はだいたい決まっていて1俵が60kgで1万5000円前後。精米をすると1割が削れる。紙の大袋は30kgでこれを「半俵」と言って、義父が私のところに持ってくるのはさらにその半分。正確に測ってはいないけれど15kg前後よ。

私が長く住んでいた文京区本駒込のマンションはエレベーターのない4階建ての4階で、そこまで義父は肩に担いで狭い螺旋階段を登ってきたと思うと、ありがたかったなとしみじみしちゃうんだけどね。

元気だった時の母ちゃん。後ろに写っているのはが義父
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米が買えなくて困った

その「米お嬢」がピンチをむかえたのはもうすぐ40歳というとき。それまでバブル景気の勢いで8年間続けていた編集プロダクションがニッチもサッチもいかなくなり、人生のどん底に喘いでいたタイミングで親から勘当を言い渡されたわけ。この時に引っ越したのが神宮前3丁目というお派手な土地柄だった事情は割愛するけれど、すぐに困ったのが米。米っていざ買おうとすると3日千円で暮らそうとする身からしたらけっこうな値段なのよね。「米買ったらおかず買えないじゃない!」と思ったことを覚えているもの。なので、あの夏はそうめんばかり食べていた。住まいの近くに都営住宅があって、そこの運動場の周囲には誰が植えたか青じそが群生していたのよね。それをむしってそうめんにからめた味は忘れられるものではない。

という個人的な話のついでに話すと私、小学生のとき米通帳を持って米屋に米を買いに行ったことがあるんだよね。「まだいるかも知らないから持っていけ」と母親に言われたのよ。農家から直接、米を買ってもいいようになったのはネットで調べたら昭和44年。つまり昭和32年生まれの私が小学5年生からで、私が米通帳を持って米を買いに行ったのはその前だったんだね。

農家から米を買ってもいいことになると、農家生まれの母親が「田んぼを見れば米の良し悪しがわかる」と張り切ってね。農家に年間契約を交渉したんだもの。個人売買ができるようになってからも米の価格は安定しているのは、政府が米の値段を管理しているからと私は農業高校で教わった。

てことはよ。農家以外の人間が美味しいお米を手に入れるのは、お金ではなく人脈だったわけよ。「じゃあ、しゃあねぇ。(仕方ない)少しなら分けてやってもいいど」と言った米農家のおばさんはあくまで強気だったもんね。

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