エンタメ

《いつも相手に奥さんがいる》“私的写真トラブル”の八代亜紀さんが明かしていた若き日の「妻子持ち男性との大恋愛」

優しい笑顔と穏やかな人柄で愛された八代亜紀さん
写真11枚

「昭和の歌姫」として知られる八代亜紀さん(享年73)。その死から1年あまりが経ったいま、40年近く前に撮られた私的ヌード写真が流出の危機にさらされている。穏やかな人柄で知られた八代さんだが、件の写真が撮影された背景には、家庭を持つ男性との“大恋愛”があった――

「勝手に頒布」トラブル

『舟歌』『雨の慕情』などのヒット曲で知られる八代さんは、2023年末、「急速進行性間質性肺炎」でこの世を去った。

「長年保護猫・保護犬活動にも尽力するなど、社会活動にも熱心でした。チャーミングな笑顔と優しい人柄で、多くの人に愛され、お別れに際しては数々の著名人から彼女を偲ぶコメントが出されたほか、各地で追悼イベントやコンサートが行われました。地元である熊本県八代市では記念碑を設立するためのクラウドファンディングには1億円以上が集まっています」(芸能関係者)

八代さんは60年以上にわたって保護猫を飼っていた(八代さんのインスタグラムより)
写真11枚

一方、その死から約1年を経て、八代さんにある騒動が持ち上がっている。

「九州に拠点を置くレコード会社が、4月下旬にリリースする八代さんのベスト盤アルバムの特典に“八代さんが若い頃に撮影した全裸の写真を掲載する”と告知し、ファンや関係者たちの間に衝撃が広がっています。遺族にも所属事務所にも許諾申請の連絡はなかったそうです」(前出・芸能関係者)

同社によれば、この写真を撮影したのはかつて“八代さんと不倫関係にある”と報じられた、大手レコード会社の元ディレクター・N氏。特に親密な恋人だからこそ撮影できる、ごくごくプライベートなものだという。

「たいていの人が家庭持ちでしょう」

数十年前の恋が火種となり、死後に“トラブル”に巻き込まれている八代さんだが、もともと恋には情熱的な性格だった。

デビュー当時の八代さん(八代さんのインスタグラムより)
写真11枚

1974年、当時24才の八代さんは《どちらかというと、多情ですね》《いつも、恋してるみたいなんです》と、惚れっぽい性格であることを『週刊ポスト』のインタビューで明かしている。

さらに1981年のインタビューでは、彼女はこうも語った。

《しょっちゅう、惚れてはいるんですけど、うまくいかないのよね。だって私の年(30才)で惚れる男性となると、たいていの人が家庭持ちでしょう》(『週刊ポスト』)

前述のように、トラブルの発端となった写真を撮影したとされるN氏もまた“家庭持ち”の男性だったと報じられている。N氏と八代さんの関係が噂されるようになったのは、八代さんが21才のとき、『愛は死んでも』でデビューした1971年前後の頃だ。

「16才で故郷の熊本県八代市から上京した八代さん。昼はウエイトレスとして働き、夜はクラブのステージで歌うという下積み生活を送っていました。そんななか、彼女の才能を見いだしたのがN氏でした。

1978年、当時28才の八代さん
写真11枚

N氏はクラブで歌っている八代さんを見つけて、後に出世作、『なみだ恋』を担当することになる作曲家・鈴木淳氏に預けた。その後、八代さんは『舟歌』や『雨の慕情』など、次々とヒットをとばし、芸能界のトップスターにまで上りつめたのです」(別の芸能関係者)

八代さん自身、N氏との関係が取り沙汰されていた当時、妻子のいるN氏への思いを暗に匂わせるような発言をしている。

《わたしはね、結婚ということにはこだわらないんです。好きなひととならば、同棲でもかまわない。むしろ、それを望んでいるくらいなんです》(『アサヒ芸能』、1980年)

その後、八代さんは当時所属していたレコード会社『テイチク』から独立し、1982年、N氏と八代さんのコンビのために設立された『センチュリーレコード』に移籍した。しかしその数年後、2人は破局することになる。

「テイチクという大組織を離れたとたん、八代さんにヒット曲が出なくなってしまった。新会社の大黒柱として経営を支えるため、八代さんは休む間もなく興業に回るなど、苦労を強いられたようです。

次第にN氏との関係にも距離ができ、破局にいたってしまいました。その後八代さんは43才で、長年マネージャーとして彼女を支えた男性と結婚しています」(前出・別の芸能関係者)

生前、道ならぬ恋にのめりこんだ時期があったとみられる八代さん。彼女の唯一無二の歌声の裏に、その“哀しい恋”があったのは間違いないが、死後にその恋愛が原因でトラブルに巻き込まれるとは、想像もしていなかっただろう。

関連キーワード