
神津はづきさんは、初著作『ママはいつもつけまつげ』のカバーの袖に書かれたプロフィールを《今後の夢は盛りだくさん》と結んでいる。40年来の女友達である萬田久子さんと神津はづきさんは、人生を目一杯楽しもうとする同好の士でもある。そんなふたりが、60代になってからの人生の過ごし方や夢について語り合う。【全5回の第5回。第1回を読む】
これからどう生きるのか。軸になるのは……
萬田:今日もお友達から、“がんが転移した”ってLINEが届いたりして、60代にもなると普段の話題も変わってくる。子育て中はママ友の輪が必要だったように、情報網も人生のステージに合わせて変わるものね。
〈萬田さんの著書『萬田久子 オトナのお洒落術』にはファッションのことだけではなく、萬田さんが人生を謳歌するために実践しているヒントが多数綴られている。
《私のLINEには『発酵美熟女軍団』やら『歌舞KI▽者たち』(註:▽はハートマーク)、『Teamandaブッキーズ』と、おかしな名前のグループがいくつかあります。時間を自由に使えるようになってきた人たちの集まりで、“人生は楽しみましょ!”っていう生き方が似ているの》〉
神津:そうね。60代にもなると子育ても落ち着いて、親を見送ったりもして、自分を顧みる時間もできる。健康は気になるけど、肩の力が抜けて人生の過ごし方にも余裕が出てくる。
萬田:この先どう生きようか、ってライフプランを考えたりして。“若い時から変わらず、男性最優先よ”なんてよく言っていますけど、本音を言うと、私は仕事がベース。仕事をやり尽くしたいという思いを強く持っているから、そこは譲れない。順位をつけがたい、自分の軸になっている。
神津:もし、女優という仕事をしていなかったら、と考えたりする?
萬田:考えてみても、美や健康の分野で今と同じような活動をしている気がする。この仕事じゃなかったら、格好は今よりも派手だと思うけどね。
神津:「女優・萬田久子」の縛りが外れたら、もっと自由にできそう?
萬田:今日も頭のてっぺんから全身真っ赤ですけど、これでも対談だから地味にしてきたんです(笑い)。ジムに行くにしても、“萬田さん?”と言われるかもしれないから、一応控えめにしてみようとか。でも、もし顔が知られていなかったら、自分を知ってもらおうと服装でアピールをすると思うの。その意味では、女優であろうがなかろうが、私は私、なのかな。
神津:自分を貫き通すという意味では真面目でもあるんだと思う。“こういうのも似合うでしょう?”と誇示するのではなくて、自分の役割としてもそのファッションを貫いている。萬田久子のキャラが確立しているもの。
萬田:いい具合に世間が見慣れてくれたのよ(笑い)。自分の“好き”を貫くというなら、はーちゃんはいつのまにか刺繍の先生になっちゃって。
はづきさんは趣味が高じて刺繍作家となり、不定期で刺繍教室を開催するほどの腕前を披露。2018年に大人の女性のためのファッションブランド『Petit Tailor R-60』を立ち上げて、プロデューサーとしても注目を集める。
神津:きっかけは萬田さんだったのよね。もう何十回もお誕生日をお祝いしているからプレゼントが思いつかなくて、テーブルナプキンに萬田さんを刺繍したら、それを見たお友達が自分も縫ってみたい、って。なぜか爆乳の萬田さんとか、ドレスをめくると毛が生えているとか、そんな自由奔放な刺繍をみんな気に入ってくれて教室が始まった。
萬田:はーちゃんは器用だし、センスがあるから。リッキーの顔を刺繍してくれたパンツも飾ってあるわよ。