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人生のお手本、頼れる存在、ライバル、反面教師、そして同じ“女”――。娘にとって母との関係は、一言では表せないほど複雑であり、その存在は、良きにつけ悪しきにつけ娘の人生を左右する。それはきっと“あの著名人”も同じ――。タレント・新田恵利(56才)の独占告白、後編。
突然寝たきりになった母

新田の母・ひで子さんの介護が始まったのは2014年10月。ひで子さんが85才、新田が46才のときだった。父はその29年前に肝硬変で他界していたこともあり、母の世話を含めた家事等は主に、新田夫妻と3才年上の兄が分担して担うこととなる。
「1997年に結婚した私は2000年、神奈川県の逗子に二世帯住宅を建て、母と夫の3人で暮らしていました。ところが突然、母が腰の痛みを訴え、そのまま立てなくなってしまったんです。3週間前まで普通に歩いていたのに……。母は52才で骨粗しょう症と診断されて以来、何度か頸椎の圧迫骨折による入院を経験していましたから、私たちもそのときは大事にとらえていませんでした。ところが、そのまま寝たきりとなり、寝返りをうつのさえ難しい状態になったんです」(新田恵利・以下同)
診断は、骨粗しょう症による腰椎の圧迫骨折。ひで子さんの希望で入院したものの、その病院では満足のいく治療をしてもらえず、病状が悪化。わずか3週間の入院で、あろうことか「せん妄」まで発症してしまった(「せん妄」は急性の脳機能障害で、一時的な精神機能の障害や認知機能の低下が起こる)。
新田には10才年上の姉と3才年上の兄がいるが、取り急ぎ兄にも同居してもらい、慌てて自宅介護に切り替えることにした。が、今度は肺気腫で再入院。病状が落ち着き、退院できたのは年が明けてからだった。
「1度目の入院の後は、『お正月までには歩けるようになる』なんて、明るく話していたのですが、再度入院してしまったので、じゃあ今度は私の誕生日の『3月までに歩けるようになる』と約束してくれて、リハビリをがんばってくれました。
母のこうした明るく楽天的な性格に、介護する私たちは本当に救われました。いまは無理でも、『3か月後には家族で食事に行こう』など、少しだけ先の目標を立て、それを目指してがんばるというやり方もよかったようです」
理学療法士とも仲よくなってリハビリに励むと、ほどなく寝返りがうてるなど、少し体が動かせるようになった。すると、持ち前のポジティブさから、「リハビリ専門の病院に入院したい」とひで子さんから提案してきたという。
そして、40日のリハビリ入院を経て帰宅すると、ベッドから車いすへ移ってひとりでトイレに行き、車いすから便座へ自力で移れるようになった。要介護4から3になり、周囲からも驚かれた。
「一般に寝たきりになると本人も家族も諦めてしまうことが多く、そこからよくなることは珍しいそうです。でも、何才であっても鍛えれば筋肉はつく。母はそれを身をもって証明してくれました」