
「自宅でひとりぼっちで」「病院のベッドで全身にチューブをつながれて」「介護施設で自分がどこにいるかもわからなくなって」…。寝たきりで最期を迎える人とその家族は、どうすればそれを避けられたのだろうか。後悔のない最期を迎えるためには、家族で話し合うべきことがこんなにある。
元気なうちから「家族会議」をしておくべき
「ご主人はご家族となんの話し合いもなく、施設に入れられてしまったようなんです。いまでも胸が締めつけられる思いです」
東京都内で訪問ヘルパーとして働くAさん(45才)が目に涙を浮かべる。2年ほど前に担当していた80代の夫婦のことだ。
「ご主人は意識はしっかりしているものの下半身にまひがあり、同い年の奥さんが身の回りの世話をしていました。仲のいいご夫婦で、“死ぬまでこの家で一緒に暮らしたい”と話していたのが印象的でした。でも昨年夏、奥さんがくも膜下出血で急逝してしまったんです。葬儀ではみんな“大往生だあやかりたい““誰にも迷惑をかけずに亡くなるなんて、奥さんらしい”とほめていましたが、私は喪服姿で車いすに乗せられ、泣き崩れるご主人を見て、かける言葉が見つかりませんでした。
程なくして、おふたりのお子さんから“父を施設に入れることにしました”と連絡が来たんです。ご主人のひとり暮らしは到底難しく、お子さんたちも介護はできないと。
きちんと挨拶もできなかったので施設に会いに行ったら、まるで別人のように気力を失い、起き上がることもできずに、ベッドの上で天井を見つめていました。奥さんを失い、思い出の家からも離れて、寝たきりになってしまった姿が目に焼きついて離れません」
最期まで家族と過ごしたい、誰にも迷惑をかけたくない、苦しい治療は受けたくない、そして寝たきりで死ぬのは嫌だ──。そんな希望を抱いていても、いざ人生の最期が近づくと、それを自分で家族や医師に伝えることは難しくなる。ひとりで起き上がることもできなくなってから「こんなはずじゃなかった」「こんな死に方は嫌だ」と後悔しないよう、元気なうちから「家族会議」をしておくべきだ。

永寿総合病院がん診療支援・緩和ケアセンター長で緩和ケア医の廣橋猛さんが言う。
「人生の最期の希望について話し合っておくことは、本人だけでなく、家族にとっても重要です。本人がどうしようもなくなってから、家族が“本当にこれでよかったのか”と後悔し、自分たちを責めてしまうことも少なくありません。本人の希望をきちんと聞いておけば、本人が亡くなっても“こんな最期を迎えられてよかった”と、穏やかに見送ることができます」
介護制度に詳しい、ファイナンシャルプランナーの黒田尚子さんは、実際のところは、こうした家族会議をしている人は少ないと指摘する。
「元気なうちにしておかないと、タイミングを逃してしまうのです。病気やけがをしてから、余命を宣告されてからなど、最期を意識してからでは遅い。例えばがんなどで余命が近づくと、本人が意思を伝える力を失ったり、家族が現実を受け止められなくなり、会議どころではありません。
そうして話ができずに意思を確認されないまま、点滴やチューブにつながれた姿を見て、ようやく“もっとよく話し合っておけば”と後悔するのはあまりにも悲しいことです」
「延命したくない」なら理由まで話し合う
プライベート看護サービス「わたしの看護師さん」代表の神戸貴子さんは、最低限、最期に自分が受けたい医療・介護・看取りの3点を決めておくべきだと話す。
「この3点を考えることは、すなわち“どこで最期を迎えたいか”にもつながります。何も決めないまま“そのとき”が来てしまうと、本人の意思を確認することもままならず、どんな選択を取っても、家族は“本当にこれでよかったんだろうか”と、もやもやしてしまうでしょう」
本人の希望がわからなければ、それを叶えるための情報収集も、準備もできない。医療ケア専門の在宅介護サービスを提供するFive・H代表の森裕司さんは、「最期は自宅で過ごしたい」という希望も、昔より叶いやすくなったと話す。
「毎日輸血が欠かせないなど、よほどの状態でない限り、いまはある程度の医療は訪問医療と訪問介護で対応できることが多い。“どうせできない”と思わず、しっかりと話し合ってほしい。そのためには、家族だけでなく、病院のソーシャルワーカーや地域包括支援センターの相談員などを交えてもいいでしょう」

寝たきりを避けるため、「延命治療は受けたくない」と考える人は少なくないが、話し合いが不充分だと、本人も家族も苦しむことになりかねない。Bさん(58才)が、昨年亡くなった父親のことを振り返る。
「父はがんと診断されて入院した直後から“最後はなんの治療もいらない。おれは自然なまま死ぬ”と言っていました。なので、いざ容体が急変し、医師から“このままでは、あと2週間ほどです”と言われたときも、父の言葉を守ろうと、延命治療はお願いしませんでした。
そのまま1週間が経ち、予定の2週間を過ぎ、1か月を過ぎるまで、父は生きていてくれました。でも、水も自分で飲めない状態でずっと眠っているだけ。これでは父が嫌がっていた“ただ生きている状態”と変わらないと思いました。父は苦しかったんじゃないか、私がすぐに決断して、何か治療をしていたら、たとえ同じ寝たきりでも、少しは楽だったんじゃないかと思うと、父に謝りたい気持ちでいっぱいになります」
廣橋さんは、多くの人が延命治療について偏ったイメージを持っていると話す。
「“延命治療=管だらけになって苦しい思いをする”というのはやや極端で、場合によっては、点滴による栄養補給や抗生剤の投与なども延命治療に入ります。イメージだけで安易に“延命治療はいらない”と決めるのではなく、“痛い治療や苦しい治療は嫌だから、そうでない治療ならしてほしい”“治療で意識が保たれるなら受けたい”など、理由も含めて話し合ってほしい」
大切なのは「延命をするか、しないか」「○○という治療を受けるか、受けないか」ではなく「本人にとっていい最期を迎えられるかどうか」なのだ。
介護を頑張るより話し相手になる
誰にも迷惑をかけずに、ピンピンコロリで亡くなる人は、そう多くはない。
最期を自宅で迎えるにしろ、施設や病院で迎えるにしろ、ほとんどの場合、「介護」は避けては通れない。家族会議では、介護を「誰が」「どこで」「どのように」「どこまでやるのか」を話し合っておこう。
昨年末に母を看取ったCさん(57才)が、後悔の念を打ち明ける。
「認知症の母を自宅で5年間介護していました。苦労をかけた母に親孝行がしたくて、心配するきょうだいを説得して“私が介護する”と決めて、母を引き取ったんです。介護のためにパートも辞めました。
仕事と違って24時間休まることがなく、ある日ついうたた寝をしてしまったら、母が部屋を出て階段で転んで骨折してしまった。それまで日課にしていた散歩もできなくなり、認知症はみるみる悪化…食事や排泄も、自分ではできなくなってしまいました。
ひとりで無理せずにデイケアなどを頼っていれば、意地を張らずきょうだいにSOSを出していれば、と思わない日はありません」
事前に家族会議をしていれば、高木さんがこんな後悔を抱えることはなかったかもしれない。
「家族間での介護は、かなりの確率でもめごとになります。家族だからこそストレートに感情が出てしまうし、甘えもある。家族で話し合って、誰かひとりが抱え込んだり、押しつけ合ったりすることのないようにしてください。介護を担うことより、話し相手になったり、一緒に最後の思い出をつくったり、“家族にしかできない仕事”に重きを置いて」(神戸さん)
そのためには、外部の介護サービスを積極的に利用すること。

「外部とのやりとりや、家族会議で考えたことの最終的な意思決定をする“キーパーソン”を、家族の中から決めましょう。決定した情報は、LINEなどで全員に共有することをおすすめします」(黒田さん・以下同)
そして重要なのは、介護サービスを頼ることを含め、何にどれくらいお金が必要か調べておくこと。金銭的な心配から「施設よりも自宅で介護を」と望む人もいるが、黒田さんによれば、実際には要介護3以上になると、家族の負担などを理由に、介護施設に入居する人が多くなるという。当初の希望や想定どおりにはならないことも視野に入れて、施設選びや情報収集をしておくこと。これが不充分だと、不本意な最期を迎えることになりかねない。
義父を思って胸を痛めるのは、パート主婦のDさん(54才)だ。
「義父が認知症と診断されたのは4年前。定年まで企業の役員として勤め上げた義父は、“家族に迷惑をかけたくないから、何かあったら施設に入れてくれ”と、きちんと入居費用も用立てていました。認知症の症状が改善されず、義母ひとりでは介護できなくなったため、施設に入ってもらうことにしたんです。
地方なのであまり選択肢がなく、比較的新しくて施設がきれいなところを選んだつもりでしたが、入居者が急激に増えたせいかきちんとしたケアが受けられず、穏やかに過ごすどころか認知症は悪化。そればかりか食事中に誤嚥性肺炎を引き起こし、施設を出て病院に入院することになってしまったんです。こんなことなら、少し無理してでも家から遠くてももっといい施設を選べばよかった…」
寝たきりになるリスクは自宅や病院だけではない。介護のプロがいるはずの施設でも起こりうることを見据え、どんな施設がいいか、元気なうちに見学しておいてもいいだろう。

悔いのない最期を迎えるためには、看取りについても話し合っておきたい。
義母が希望を伝えてくれていたからこそ、穏やかに見送ることができたと話すのは、公務員のEさん(47才)だ。
「カラオケが好きで、高齢者の合唱サークルに入っていた義母は、歌うことが生きがいでした。でもあるとき、認知症になった仲間がサークルを辞めていくのを見てショックを受け“私はボケても歌い続けたい。もし認知症になっても、サークルは辞めさせないで”“葬儀では仲間に歌ってほしい”と言い出したんです。それをきっかけに、義父、夫、高校生の娘、そしてサークルに一緒に通っていた義母の妹と家族全員で話し合いをしました。
“可能な限り在宅介護をして、その費用は義母の貯蓄から出す”“いざとなったら、介護施設に入る”と決めて、サークルには認知症になっても参加させてもらえるようにお願いしておきました。おかげで、3年前に認知症を発症してからも、義母は歌うことを諦めずに済んだ。亡くなる直前まで、家から自分の足で歩いてサークルに参加し、葬儀では参列者みんなで歌って送り出すことができました。私もあんなふうに亡くなりたいと思えるほど、最期まで元気に、楽しそうに過ごしてくれました」