
誰かのちょっとした言葉が、別の誰かの人生を動かすこともある──。タレント・歌手のはるな愛(52才)の心に留まる言葉をかけたのは、タレントの中山秀征(57才)だ。
番組オリジナルのランキングトップ10の曲を、歌唱力自慢の芸能人がカラオケ形式で華やかに歌い上げる──1990年代後半を彩った人気音楽番組『THE夜もヒッパレ』(日本テレビ系)で、はるなは出演者に飲み物を運ぶバニーガールだった。
「当時は芸能界に憧れて大阪から上京したけど、“きみはお水(水商売)のにおいがするからダメ”などと散々言われて、歯を食いしばっている時期でした」(はるな・以下同)
カメラに映ることはない、番組をサポートする裏方役のはるなに、気さくに声をかけてきたのが中山だった。
「ヒデさん(中山)は裏方の名前まで覚えてくれる人でした。私のことを本当の女性だと思っていたようで、“本名は大西賢示です”と伝えたら、“え? 本名? おもしろいね!”と笑ってくれて、それからすごくかわいがってくれるようになりました」

中山は自身の草野球チーム「ジェットキッズ」にはるなを入れ、飲み会の席では志村けんさん(享年70)や和田アキ子(74才)などの大御所を紹介した。
「草野球チームの私の背番号は『ケンジ1/2』でハーフ(笑い)。ヒデさんは自身も苦労人なので私のような者にも手を差し伸べて、プライベートでもいろいろ誘ってくれた。おかげで周りの人もどんどん私のことを知ってくれるようになりました」
中山のプッシュもありテレビ出演などが増えたが、当時はいまほどジェンダーへの理解が進んでいない。はるなの存在感が増すほど、ニューハーフに抵抗がある人の声は大きくなり、はるなは自信と方向性を見失った。そんなとき、中山がこう声をかけた。
「賢示は賢示のままでいいんだよ」
この一言がどんな言葉よりもはるなの胸を打った。
「悩んでいる私にいろいろとアドバイスするのではなく、“そのままでいいんだよ”というたった一言をいただき、“私はこのままでいいんだ”とホッとしました。いまでもこの言葉は自分の核になっています」

“売れっ子”になってきても中山は「賢示、大丈夫か?」と何かにつけて気にかけてくれたという。
「ヒデさんと一緒に食事に行くと、帰り際にタクシー代の一万円札を手渡されるんです。当時、私はまだ経済的に不安定だったので一度乗車したタクシーをすぐに降りて、ワンメーター分だけ支払って残りは生活費にしていました。ヒデさんは私がそうすることを知っていても、何も言わずにいてくれた。私のお店で志村さんの誕生日会を開いてくれたこともありました」
事務所の枠や立場を超えて、誰とでも親しく接する中山から、人間的にも多くのことを学んだ。
「ヒデさんはいつも“賢示、人を立てることが大事なんだよ”と言うんです。芸能界にいると“おれが、おれが”になりがちですが、スタッフへの感謝がどれほど重要か教わりました。ヒデさんのように、舞台やテレビの仕事はスタッフがいるからできるのだという気持ちをずっと忘れずに持ち続けたいですね」

いまでも不安になったときは、テレビで中山の元気な姿を見て「私もがんばろう」と気持ちを奮い立たせるという。2023年11月、中山は都内で一夜限りのライブを開いた。ステージには中山と縁のある松本明子(58才)や飯島直子(57才)らとともに、はるなの姿があった。
「ファミリーのような雰囲気で思い切り楽しむことができました。人柄と気遣いと優しさがあるからヒデさんの周りにはいつもたくさんの人がいます。“賢示、売れたね。よかったね”と喜んでくれるけど、それはヒデさんのおかげ。『ヒッパレ』でバニーガールとしてヒデさんと出会えたことが私にとっては奇跡でした。この先もずっとその奇跡を大切にしたいです」
【プロフィール】
はるな愛/1972年、大阪府生まれ。松浦亜弥のコンサート音源を流し口パクする「エアあやや」で大ブレークし、2008年にCDデビュー。『ミスインターナショナルクイーン2009』では世界第1位となり、幅広く活躍。
※女性セブン2025年4月24日号