
容姿や体形、外見にとどまらず、性格や学力、嗜好など私たちの「個性」とされるものは生まれた時点で、ある程度定められている。それは遺伝によるもので、両親や祖父母、遡れば何世代も前から脈々と受け継がれているものだ。最新の研究では、病気のなりやすさも遺伝によって把握できるようになってきている。しかし一方で、個性は決して遺伝だけで形成されるものではない。医学と科学が解き明かした遺伝の新常識をたどる。【全3回の第2回。第1回から読む】
産道や食事を通して母親の腸内細菌が子供へ受け継がれる
昨年、メンデル遺伝では説明できない“新たな遺伝のメカニズム”を示唆する研究が話題を呼んだ。
それが、東京慈恵会医科大学・ウイルス学講座の教授らによる研究で、「うつ病患者の67.9%が“うつ病を引き起こしやすいタイプ”とされる『SITH-1遺伝子』を持つ、ヒトヘルペスウイルス6に感染していた」と発表。これらの患者はSITH-1遺伝子を持たないヒトヘルペスウイルス6に感染している患者の約5倍、うつ病になりやすいと報告された。
ヒトヘルペスウイルスはヒトを宿主とするヘルペスウイルスで、帯状疱疹やがんを引き起こすものなど8種類ある。それぞれの感染経路はさまざまだが、ヒトヘルペスウイルス6は主に母親から新生児に感染し、その後、一生涯ウイルス感染が持続する。
この研究が画期的なのは、母親に感染する「常在微生物(ここではヒトヘルペスウイルス6)」が子に伝播し、“遺伝的な影響”を与える可能性を示した点にある。京都大学大学院教育学研究科教育認知心理学講座准教授の高橋雄介さんが語る。
「メンデル流の遺伝学は、父親と母親から50%ずつ遺伝情報を引き継ぐという考えに立ちます。一方、腸内などの常在微生物は出産過程や授乳を通じて母親から主に伝播するといわれます。慈恵医大の研究はDNAによる遺伝以外に母子間の微生物伝播が子の発達に影響し得るという主張だと考えられます」
常在微生物に加えて、「腸内細菌」が母から子に“垂直伝播”するという新たな研究もある。東京大学名誉教授で理学博士の石浦章一さんが語る。
「近年は腸内細菌の研究が盛んで、いくつもの新事実が明らかになっています。例えばこの50年間にうつ病や自閉スペクトラム症、糖尿病やクローン病などが急増したのは、抗生物質により腸内細菌が変化したからという指摘もあります。人間の心身の健康に重要な役割を果たす腸内細菌は母と子で似ており、それは生まれてくるときに産道で母の腸内細菌をもらい受けるからとされます。その証拠に、帝王切開で生まれた子の腸内細菌は母と似ていません」

最新の研究では人間の腸内には約1000種類、約40兆個の腸内細菌が生息すると見積もられる。腸内細菌は免疫系をはじめとして人間の健康にさまざまな影響を与える。生物学者の池田清彦さんが注目するのは「脳腸相関」だ。
「腸と脳は密接につながっており、腸を整えると脳の働きがよくなります。いくつもの研究からうつ病や自閉スペクトラム症、肥満などは、母から子にうつった腸内細菌の影響が脳に達したものとも考えられている。こうした腸内細菌は出産時だけでなく、育児中に母親の唾液が赤ちゃんの口に入るなど、後天的にもらい受けるものでもあるのです」(池田さん・以下同)
微生物や腸内細菌の“腸遺伝”は子の性格にも関連するという。オーストラリアの研究グループが2021年に公表した研究では、母の腸内細菌の多様性が高いほど、子の2才時点での性格が陽気になりやすいとの結果が出た。
池田さんは脳腸相関のたとえとして、哺乳類や鳥類に寄生する微生物・トキソプラズマを挙げる。
「トキソプラズマに感染すると、全身の倦怠感などの症状が現れますが、同時に恐怖心が低下して勇敢になるという報告があります。実際にフランスの研究ではトキソプラズマに感染した人間は車がいても平気で道路を渡るためひかれやすくなり、交通事故率が2倍以上になるとのデータがあるのです。スウェーデンの研究チームは、トキソプラズマが白血球にのって脳に到達するという説を唱えました。微生物や細菌が脳に影響を与えることが解明されてきています」
微生物や腸内細菌が精神状態にかかわることがわかりつつあるが、現時点ではあくまで「子が母の影響を受ける」というレベルにとどまる。
他方でメンデル流の遺伝学に基づく行動遺伝学では「遺伝率」の算出を行う。
「遺伝率は、人間の何らかの特徴の個人差や個性のうち、どれくらいが遺伝的な要因で説明できるかを0%から100%の割合で示します。うつ病の遺伝率は30〜40%ですが、統合失調症の場合は70〜80%と高い水準です。遺伝率はどれくらいの確率で親から子へと遺伝するのかを示すものではないので注意が必要です」(高橋さん)

(第3回に続く)
※女性セブン2025年9月18日号