《遺伝の謎》「年齢が上がるとともに遺伝の影響が強くなる」理由とは…“成長課程で初めて影響を与える遺伝子”が存在、遺伝的素質が環境の選択や経験に影響することも

人間の体はおよそ37兆個もの細胞でできている。その細胞の一つひとつに細胞核があり、そのなかに“生命の設計図”である遺伝子情報を担う染色体が存在する。そして、設計図である遺伝子情報は卵子と精子を介して、親から子供へと継承される──。医学と科学が解き明かした遺伝の新常識をたどる。【全3回の第3回。第1回から読む】
年齢が上がるとともに遺伝の影響は強くなっていく
遺伝子により受け継がれるのは、病気のなりやすさや体質だけではない。性格や学力にも遺伝の影響はみられる。
名古屋大学大学院教育発達科学研究科准教授の山形伸二さんが語る。
「2024年12月、『パーソナリティ研究』という学術誌で、学力の個人差にみられる遺伝と環境の影響力についての論文が公表されました。この研究によれば、小学生では遺伝の影響が12%で家庭環境の影響が64%だったのに対し、中学生では遺伝が58%で家庭環境が18%と、遺伝と家庭環境の重要性が逆転しました」(山形さん・以下同)
常識的に考えるとまだ経験した環境の少ない小学生の方が遺伝の影響が強く、さまざまな環境を経験した中学生の方が家庭環境の影響が強くなりそうなものだが、なぜ逆になるのか。
「1つの要因は、個人差の発揮されやすさの違いです。小学生はどれくらい勉強するかは親の意向で管理しやすく、自分がどんなにやりたくなくても親に言われて勉強せざるを得ないということがよくあります。一方、中学生になると本人の行動の自由度が高まるため、勉強の嫌いな子はいくら親に言われてもやらないことが可能になります。
もう1つの要因は、成長過程においてある年齢になったときに初めて影響を与えるような遺伝子の存在です。これは『遺伝的革新』と呼ばれます。例えば、思春期にどれくらい男性的・女性的な身体的特徴を発達させるかは、幼児期の身体的特徴からは予測することができません。
同様に、小学生時代には眠っていた遺伝的なポテンシャルが、中学生になって初めて発揮されることがあり得ます。遺伝子自体は生涯変わらなくても、どの遺伝子がいつどれだけの影響を与えるかは、生涯を通じて変わる可能性があるのです」
中学生になって急に勉強に目覚めたのは必ずしも学校や教師の影響とは限らず、それまで眠っていた“勉強遺伝子”が目覚めるタイミングだったからかもしれないのだ。

遺伝の影響は、性格にも及ぶと山形さんが続ける。
「どんな性格も遺伝と環境の両方の影響を受けます。環境要因の中では家庭環境の影響はあまりみられず、家庭外の友人関係や教師など、個人が独自に経験する環境の影響が大きいことが知られています。これまでのさまざまな研究によって、性格の40〜50%は遺伝の影響、残りは個人が独自に経験する環境の影響で説明されることが明らかにされています」
実際にこれまで行われた膨大な研究の結果をみると、遺伝の影響がみられるのは「やる気」など性格に分類されるものだけではない。身長や体重などの身体的特徴や、知能、社会的態度、年収、結婚や離婚のしやすさなど、あらゆる個人差に遺伝の影響があるとされる。
ただし、病気などと同様に、遺伝によってすべてが決まるわけではない。京都大学大学院教育学研究科教育認知心理学講座准教授の高橋雄介さんが語る。
「あらゆる行動形質には、程度の差こそあれ、遺伝の影響が認められることが行動遺伝学の研究から明らかになっています。ただし、すべてが先天的に固定されているのではなく、遺伝と環境の相互作用によって形づくられることを忘れてはなりません」(高橋さん・以下同)
例えば、両親が音楽家で子供も音楽家になった場合、“音楽遺伝子”が受け継がれたと思われがちだ。
「その家庭には楽器や楽譜が豊富にあり、子供が幼い頃から自然と音楽に触れる環境があったと想像できます。そのような環境の結果、子供は音楽にひかれやすくなったのかもしれません。音楽家の両親から生まれても、別の環境で育っていれば音楽以外のものに関心を持った可能性もあります。親から遺伝子と環境を同時に受け継ぐことを『受動的遺伝環境相関』と呼びます。遺伝と環境は単なる足し算ではなく、複雑に絡み合って影響を及ぼすのです」

遺伝的素質が環境の選択や経験に影響を及ぼすことで、遺伝と環境が統計的に結びつく現象を「遺伝環境相関」と呼ぶ。
天から才能を授かったイメージが強い「天才」も遺伝だけで説明できるわけではない。
「たしかにIQの高さには遺伝の影響が強く働きます。しかしアインシュタインのように創造性を発揮して社会を革新した人物は遺伝的な素質だけではなく、社会的な機会や学びの環境を生かすことで才能を花開かせたはずです。天才をただひとつの遺伝的要因だけで説明することはできません」
同じ遺伝子を持つ双子でも環境によって性格も人生も変わる
遺伝の影響を調べる代表的な方法に「双生児研究」がある。同じ遺伝子を持つ一卵性双生児と、半分程度の遺伝情報を共有する二卵性双生児を比較して、遺伝と環境の影響を探るものだ。
2015年に学術誌「ネイチャー・ジェネティクス」が世界の双子研究に関する包括的レビューを行った結果、平均すると、本人の特性や疾患に遺伝と環境がそれぞれ影響を及ぼす可能性は同じ程度だった。東京大学名誉教授で理学博士の石浦章一さんが語る。
「双子を小学校の違うクラスに入れたら性格が変わったことが知られています。遺伝子が同じでも、環境によって人生はいかようにも変わります」
生物学者の池田清彦さんも「遺伝という“運命”に対抗することは可能です」と語る。
「がんなど特定の遺伝子がもたらす重篤な疾患の場合、丁寧に病気を避ける食事や習慣を続けると、同じ遺伝子を持っている人の平均よりも長く生きられるはずです。それに、生活習慣病や精神疾患は遺伝と環境の双方がもたらすので、生活習慣を改善すれば発症を止められる可能性があります。脳腸相関を考えれば、腸を整えれば脳の調子もよくなるでしょう」(池田さん)
遺伝性の病気は必ず発症するわけではなく、日常生活におけるストレスが引き金となるケースが少なくない。ストレスを避けて穏やかな日常を心がけることも発症予防に有効だろう。

石浦さんは「遺伝子情報をアドバンテージに変えることもできます」と語る。
「例えば、APOE4という遺伝子を持つ人は持たない人より10倍ほどアルツハイマー病になりやすいとされます。こうした遺伝子を持つ人は、あらかじめ運動に励んで飲酒やたばこを控えて食生活にも気を使えば、アルツハイマー病の発症を遅らせる可能性が高くなる。リスクの高い遺伝子がいるとわかっているからこそ先に手を打って、リスクを回避すればいいんです」(石浦さん)
山形さんは、「遺伝環境相関」を賢く利用したアプローチを提唱する。
「例えば遺伝的にうつ病になりやすい人が家に引きこもりやすいという遺伝環境相関がある場合、この引きこもるという環境がさらに抑うつ傾向を高める可能性があります。そして、遺伝率はこのような遺伝が環境を介して与える影響も含んだ数値です。したがって本人や周囲が、引きこもりになりにくい状況を作って遺伝環境相関の悪循環を断ち切ることができれば、遺伝率の数値以上にうつ病へのなりやすさをコントロールできるかもしれません」(山形さん)
最も避けたいのは「どうせ遺伝だから」とあきらめることだ。これまでみてきた通り、遺伝の影響は小さくはないが、すべてを決定づけるほど圧倒的でもない。
「世の中にはおしゃべりな人も寡黙な人も、器用な人も不器用な人もいます。その違いは遺伝と環境が組み合わさって形づくられます。天才も“普通”の人も、単一の遺伝要因では決定されません。大切なのは与えられた遺伝的素質と出会った環境をどう生かすか。そこにこそ人間の成長や選択の余地、未来を切り開く可能性があるのではないでしょうか」(高橋さん)
遺伝子解析による病気予防や“腸遺伝”という新たなメカニズムの発見など、遺伝学は大きな可能性を秘めている。
遺伝にとらわれず、「新常識」を上手に活用すれば、より充実した人生を送れるはずだ。

※女性セブン2025年9月18日号