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「子供なんて生まなければよかった」と綴られた日記で逆に奮起――俳優・秋川リサが考える“母の在り方”とは≪独占インタビュー『母を語る』後編≫

それでも私にはふさわしい母だった

いまは愛犬モモと穏やかに暮らす。
写真4枚

日記を読んで以来、母への怒りや悲しみに悩まされたものの、それでも見捨てられなかった。秋川は手厚く介護をしてくれる介護施設を探し回り、ようやく見つけて入居させると、多額の費用を工面し続けた。

「あるとき施設を訪ねると、介護福祉士さんから誕生日にプレゼントされたアイドルグループ『嵐』の写真集を大事そうに抱えていました。何才になっても男性が好きなんだなと、呆れるよりも感心してしまいました(笑い)。私はいま73才。マミーが彼氏を作って出ていったのが78才。私にはすでにそんな情熱はありませんよ。最近では、マミーのように男に翻弄される人生を送ってみたかった、なんて思うことさえあります」

「自由になりたい」と言い続けてきた千代子さんは、認知症になってからがいちばん自由に過ごせていたという。千代子さんは89才で亡くなるまで、施設で穏やかに暮らし、家族に見送られて静かに逝った。

「マミーを一言で表すと“最高の反面教師”。彼女のおかげで落ち込む暇もなく元気でいられたし、何が起こっても開き直れる強さと、自立するための知恵も身につきました。7年におよぶ介護の大変さから、自分の老後をどうするか考え、子供たちに迷惑をかけないよう備えるようにもなりました。認知症についても、死を恐れなくなれるから、ある意味怖い病気ではないのかも、と思えるようになりましたしね。それもこれも全部、マミーのおかげ。とはいえ、『来世でもあなたを産みたい』と言われたら、ご辞退させてもらいますけど(笑い)」

一見すると、親に翻弄された人生。しかし、「私にはマミーが“合っていた”。こうして生きるのが私の運命だったの」と笑う秋川からは、母への恨みや憎しみなど微塵も感じられなかった。

 

◆モデル 秋川リサ
1952 年、東京生まれ。俳優・タレント・ビーズ作家としても活躍。’67年、15才でモデルとして活動を始め、翌年、資生堂のサマーキャンペーンでCMデビュー。雑誌『anan』のレギュラーモデルや、総合化学メーカー『帝人』の専属モデルとして人気を集め、デザイナーの故・三宅一生さんのニューヨーク・コレクションや、故・高田賢三さんのパリ・コレクションにも参加。その後、ドラマや映画、舞台にも出演。’01年には、ビーズ刺繍作家としてビーズアートの教室を開設。主な著書に『母の日記』(NOVA出版)、『秋川リサの子育てはいつだって現在進行形』(鎌倉書房)、『秋川リサのビーズワーク』(日本ヴォーグ社)、『60歳。だからなんなの』(さくら舎)など多数。

 

取材・文/上村久留美

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