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「子供なんて生まなければよかった」と綴られた日記で逆に奮起――俳優・秋川リサが考える“母の在り方”とは≪独占インタビュー『母を語る』後編≫

貯金を使い果たした上、日記には罵詈雑言が‥‥

母・千代子さんの認知症による徘徊にも苦労したという。
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秋川は32才で2度目の結婚をし、2人の子供を授かったものの、その人とも40才のときに離婚。その後は、千代子さんと子供たち、家族4人の比較的平穏な生活が続いた。

「子供たちが小さかった頃は、マミーが面倒を見てくれたおかげで、仕事に専念できました。ところが、娘が大学に入学し、子育てがひと段落すると、『私もそろそろ自由にさせていただきます。来月からは彼と暮らして、幸せな老後を楽しませていただきます』と宣言し、家を出ていったんです」

千代子さん、78才のときのことだ。あれほど、「寂しい、そばにいてほしい」と秋川に執着し、交友関係にまで口を出してきた母の変わり身の早さに驚いたものの、「幸せに暮らしてね」と快く送り出した。

しかしその生活も束の間、千代子さんは3年半で出戻ってきた。

「お相手は4才年上のかたでしたが、マミーへの嫉妬や束縛がひどく、耐え切れなかったようでした。でも、詳しいことはよくわかりません。というのも、戻ってきたマミーは認知症を発症していたのです」

秋川の家に出戻ってきてからわずか半年で、病状は要介護3にまで進んだ。当初は娘と協力しながら在宅介護でがんばったが、仕事も忙しく、徘徊癖のある母の介護は並大抵のことではなく、2年で限界を迎えた。施設に入居させることを考え、千代子さんの荷物や通帳の整理を始めると、驚くべき事実が判明した。

「母の荷物には、大量のブラントバッグに服、アクセサリー、香水瓶などがありました。私は普段、Tシャツにジーパンで暮らしていたのですが、母は私が稼いだお金を管理する名目で自由に使っていたようです。私名義の通帳の残金がほぼゼロになっていて呆然としましたね。家が一軒買えるくらいの貯金はあると思っていたのですが・・・・」

男に貸したまま忘れてしまったのか、それとも詐欺にでもあったのか――家計簿を見れば何かわかるかもしれないと思い、保存されていたノートを開いたのだが、そこに書かれていた内容を見て、再び愕然とした。

「それは母が50代後半から20年以上にわたって記した日記で、家族への罵詈雑言が綴られていました。特に私に対する不平不満が多く、『私の面倒を見ているからって偉そうに。子供なんて生むんじゃなかった』などと書かれていて‥‥。このとき、祖母の最後の言葉の意味が身に染みてわかりました」

怒ったり悲しんだりという感情よりも先に、笑いがこみ上げてきたという。

「とにかく施設に入れるお金がないことがわかったので、何とかしなければと逆に奮起しましたね」

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