
平均寿命が長くなる一方で、年齢を重ねれば避けられないのが「老化」だ。その「老化」の原因は、分裂が止まった“老化細胞”が体内にとどまって蓄積することだという。そんな「老化」に抗う方法はあるだろうか──。【前後編の後編】
酵素の働きを阻害し老化細胞を除去
加齢とともに増加し、体内に蓄積される老化細胞が、体や脳のあらゆる老化を招く──であるならば、老化細胞を取り除くことはできないのだろうか。東京大学医科学研究所教授の中西真さんらのチームは、2021年にアメリカの科学雑誌『サイエンス』で、「老齢のマウスに、GLS1という酵素の働きを阻害する薬剤を投与したところ、老化細胞が除去され、老年病や老化に伴う症状が改善した」ことを報告した。
「研究から、老化細胞の生存にGLS1という酵素が重要であることが明らかになりました。このGLS1の働きを阻害することで、老化細胞を死滅させて排除することが可能になると期待されます」(中西さん)
GLS1阻害薬のひとつとして注目を浴びているのが、老化細胞除去薬「セノリティクス」だ。体内に蓄積する老化細胞を標的に除去して健康寿命を延ばす科学的アプローチだという。ハーバード大学医学部客員教授で、医師の根来秀行さんはこう話す。
「老化細胞が生き残るために活性化させている特定の経路を阻害し、アポトーシスを誘導することで老化細胞を取り除く仕組みになっています」
GLS1による老化細胞除去効果については、すでに複数の研究室で同様の結果が認められている。
「人間と同じように加齢によって老化細胞が出現するマウスにセノリティクス薬を投与すると老化に伴う身体機能低下が改善し、寿命が延びて、多くの加齢関連疾患が改善したという研究結果がいくつもあります。私が行った研究でも、人間でいえば大体60代くらいだったマウスの運動機能が、約40代にまで回復しました」(中西さん)

現段階では人間を対象に、アルツハイマー型認知症、変形性関節症、慢性腎疾患などで臨床試験が行われている。また老化細胞を取り除くだけでなく、老化細胞が分泌して全身の老化をもたらす炎症性サイトカインを抑制する研究も始まっている。東京都健康長寿医療センター研究所研究部長の石渡俊行さんはが説明する。
「これはSASP抑制剤(セノモルフィック薬)と呼ばれ、炎症性サイトカインを放出させないよう、シグナルを阻害する仕組みです」
老化細胞除去薬によって将来的にはがん治療に変化をもたらす可能性もあるという。
「これまでのがん治療は、増殖していくがん細胞をターゲットに行われてきましたが、実際はがん細胞の陰に隠れて老化細胞が存在し、がん細胞の増殖を助けていることがわかってきている。がんの進行を食い止めるために、がん細胞の増殖をサポートしている老化細胞を除去するという研究も行われています。
私たちのチームでも、すい臓がんのがん細胞の一部を老化細胞に変化させて、セノリティクス薬を投与して治療する研究を進めています」(石渡さん)
今年3月、化粧品・健康食品メーカーのファンケルは、老化細胞を除去する自然由来の成分を世界で初めて特定したと発表。その物質は、バラ科のキンミズヒキ由来の抗酸化物質「アグリモール類」で、40~60才未満の日本人男女110人を対象に臨床実験を実施したところ、男性グループで体内の老化細胞が減少したという。今後開発が進めば、機能性表示食品として「老化細胞除去」食品が市場に並ぶ日は遠くないかもしれない。
健康寿命が10年延びる?
ただし、老化細胞が除去されたからといって寿命が200年、300年に延びる、不老不死になるということはないと考えられる。「老化細胞の除去は、あくまで老化を“止める”“ゆるやかにする”もの」と言うのは中西さんだ。
「老化に関連する病気に対する治療薬として実用化を目指していますが、老化そのものは病気とは認められていないので、“老化を治療する薬を社会実装する”ことはできない」
また、老化細胞を除去することで得られるのは見た目の若さではない。内面の細胞から真に若さを保つ時代が近づいてきている。
「老いには、加齢によって誰にでも起きる『生理的な老化』と、不規則な生活や環境要因などが加わって起きる『病的な老化』があります。現状、生理的な老化を避けることは難しいため、見た目をずっと変わらない状態に保つことはできません。しかし、老化細胞へのアプローチが進めば、臓器の老化を防いで、病的な老化をある程度制御できる日が来ると思います」(根来さん・以下同)

セノリティクス薬以外に、老化を食い止める光明もあるという。
「ハーバード大学の私の研究室では、細胞が自滅するアポトーシスが起きるメカニズムと、そのスイッチを発見して、順調に薬の開発が進行中です。
うまくいけば、細胞の遺伝子レベルに働きかけて、老化細胞を抑制することができるでしょう」
人類が120才の寿命を超えることは生物学的に難しいといわれている。1963年に153人だった日本の100才以上の長寿者は、2022年に9万人を超えたが、それでも1997年に史上最高齢の122才で亡くなったフランスのジャンヌ・カルマンさんの記録は破られていない。
「とはいえ、150才、180才くらいまでは、夢物語ではなくなってきています。実際、アンチエイジングに関する学会のシンポジウムでは、教授の間で話題に出るような状況にはなってきている。研究が進めばさらに寿命が延びる可能性があります」
超高齢社会で問題になっているのが、平均寿命と健康寿命の乖離だ。男女それぞれ約9年、約12年の差があるが、これも短くなる可能性があると石渡さんは指摘する。
「老化細胞を退治することで老化を遅らせることができれば、健康寿命が延びて、人間に“老後がなくなる”時代が訪れるかもしれません。すでに動物実験では老化細胞の除去や遺伝子操作によって、筋力や造血能など一部の機能が改善する例が報告されています」
老化細胞を作らない習慣
実現するまでに自分でできることを心得ておきたい。まず大事なのは、老化細胞をできるだけ作らないようにすることだ。
「細胞にとって過度なストレスが加わると、活性酸素が発生し、老化細胞が発生しやすくなるといわれています。精神的なストレスだけでなく、紫外線もストレスのひとつで、過度に浴びると細胞のDNAが傷つき、細胞の老化が起こりやすくなる。まだメカニズムはよくわかっていませんが、マウスを対象にした研究では、摂取カロリーの制限が健康寿命を延ばし、老化を遅らせることもわかっています」(中西さん)
老化は決して老化細胞だけが要因なわけではない。健康を意識した食事、規則正しい生活、適度な運動を心がけ、フレイルを予防するといった基本的な健康習慣を意識することがなによりの老化予防になる。

「高齢者は食事量や食材の種類が減って栄養不足になる傾向があるので、肉、魚、野菜、卵、大豆などの良質なたんぱく質と、ビタミン、ミネラルの多いおかずを中心とした食事をすると、フレイルを予防できます。
自分の歯で噛めなくなると栄養が摂れなくなるので、歯みがきはもちろん、入れ歯の管理や定期的な歯科受診も重要です」(石渡さん・以下同)
社会的に孤立すると刺激がなくなるので、人とかかわることも大事だ。
「社会参加をする高齢者は、3年後の障害発生や死亡リスクが低減するというデータがあります。認知症の予防にもなる。1日1回以上は外出して、週1回以上は友人や知人と交流し、月1回以上は趣味やボランティアなどに参加するといいでしょう」
根来さんはハーバード大学でブルーゾーンの研究に取り組んでいる。ブルーゾーンとは、世界的に100才以上の長寿者が多い地域で、イタリア・サルデーニャ島、日本・沖縄、アメリカ・カリフォルニア州のロマリンダ、コスタリカ・ニコヤ半島、ギリシャ・イカリア島の5か所を指す。
「ブルーゾーンの長寿者に見られる特徴的なライフスタイルを調査して、健康長寿の理由を明らかにする研究が世界的に進んでいます。彼らには、休息、睡眠がしっかりとれていて、日常生活の中で運動を行い、オリーブオイル、ナッツ類、野菜や魚介類が多い地中海的な食事を摂っているという特徴があります」(根来さん)
最期を迎えるその瞬間まで元気でいられる。あと10年、20年後の未来には、そんな社会が実現するかもしれない。
※女性セブン2025年9月25日・10月2日号