
ペスト、梅毒、天然痘、コレラ、結核、インフルエンザ、新型コロナウイルス──人類の歴史は感染症との闘いの歴史といっても過言ではない。それら病原体から命を守るために、私たちは免疫という「防御システム」を備えている。しかも、その免疫力を上げれば感染症だけではなく、寿命延伸や生活習慣病予防、美容などにもつながるという。ノーベル賞を受賞し、注目される「免疫」の新常識に迫る。【前後編の前編】
人間の寿命は、これから先どこまで延ばすことができるのか──近年、その問いの鍵を握るのが「免疫」だと注目されている。
今年のノーベル生理学・医学賞を受賞した大阪大学特別栄誉教授の坂口志文さんの研究がその象徴だ。坂口さんが30年前に発見した免疫細胞の「制御性T細胞(Treg)」は、世界の医学や研究分野に影響を与えている。『倍速老化』の著者で、純真学園大学客員教授の飯沼一茂さんが言う。
「制御性T細胞は免疫を制御するブレーキ役の細胞です。これまで免疫といえば“外敵を倒す”というアクセル的な働きばかりが注目されてきましたが、最近は暴走を止める“制御の仕組み”こそが重要だとわかっています」
順天堂大学医学部の講師で、免疫学研究に30年以上従事する玉谷卓也さんも、制御性T細胞の発見は免疫学の教科書が書き換えられるほどの衝撃だと話す。
「制御性T細胞のブレーキが弱く、アクセルが利きすぎて暴走すると、過度な炎症や、本来守るべきはずの自分の体を傷つけてしまいます。一方、免疫が弱すぎると感染症やがんなどにかかりやすくなります。免疫のアクセルとブレーキのバランスこそが、健康と寿命を決めるのです」
坂口さんらの研究チームは、制御性T細胞を人工的に作り出す方法も開発した。今後はリウマチなどの自己免疫疾患や、がん治療への応用が期待されている。
マクロファージ、好中球、NK細胞がウイルスなどと真っ先に闘う
私たちがウイルスや細菌がいる場所で生活しつつも、簡単に病気にならないのは免疫が働いているからだ。そもそも免疫とはどのように体を守っているのか。飯沼さんが解説する。
「免疫細胞には『アクセル』と『ブレーキ』役がいます。アクセルの攻撃役は、体内に侵入する細菌やウイルスなどの異物に集まって攻撃して、制御役は適切なところで攻撃にブレーキをかけて傷ついた細胞を掃除する。制御の中心的存在が制御性T細胞です。
免疫細胞は体の中にあるがん細胞や古くなった細胞も破壊して、再生を促します。アクセルとブレーキのバランスがとれていれば健康を保てますが、どちらかに傾くと病気になります」
免疫は「自然免疫」と「獲得免疫」の2種類に分けることができる。健康を守るうえで特に大切なのは、獲得免疫よりも自然免疫だ。イシハラクリニック副院長の石原新菜さんが説明する。
「自然免疫とは細菌やウイルス、がん細胞などの『敵』に即座に反応して闘ってくれる仕組みです。マクロファージ、好中球、NK細胞は体の第一防衛線。ウイルスや細菌が体に入ったときに真っ先に闘うのは、この細胞たちです。
獲得免疫とは一度感染した病原体の情報を記憶し、抗体を作って次に侵入してきたときに迅速に対応します。麻疹(はしか)に一度かかると二度とかからないのは、獲得免疫があるからです。ワクチンも同じ仕組みを利用しており、無毒化または弱毒化した病原体の一部を体内に取り込むことで、免疫細胞に抗体を作らせています」

免疫細胞である白血球には複数の種類がある。それぞれが異なる役割を持ち、連携して働く。
「例えば体に病原体が入ってくると、マクロファージや好中球が病原体を食べて退治します。樹状細胞は病原体の情報を記憶し、ほかの細胞に伝えます。T細胞の一種であるヘルパーT細胞は攻撃命令を出し、B細胞は病原体に対応する抗体を作ります。NK細胞はがん細胞とも闘います」(石原さん・以下同)
免疫細胞は血液とリンパ液を通して体のいたるところに存在しているが、「免疫細胞の7割は腸」といわれるように、細胞の多くは腸にいるという。
「腸の中は口からつながっている体の“外部”なので、異物も入ってくる。そのため、体の中に栄養素だけを取り入れて毒を排除しないといけない。例えば小腸にはパイエル板といって小さいリンパ節の集合体があり、異物が体の中に入らないようにブロックしています。腸管の粘膜に免疫細胞がびっしり張りついて、異物をブロックしているイメージです」
免疫においては、心臓の少し上にある胸腺も重要な役割を担っている。
「免疫細胞はパイエル板でも胸腺でも育てられていますが、胸腺は未熟なT細胞を育てている“免疫細胞の訓練場”ともいえる存在です。免疫が誤って自分の体を攻撃しないようにチェックしていて、“検査”に通った免疫細胞だけが体を巡っています」(飯沼さん)
リンパ球のT細胞が暴走してサイトカインストームが起きる
免疫細胞は目に見えないが、私たちがその働きを最も実感するのは、かぜやインフルエンザにかかったときだろう。発熱やのどの腫れ、痛みこそ、体が懸命に異物と闘っているサインだ。
「発熱や痛み、患部が赤く腫れるような症状は炎症といって、免疫細胞が働いている証拠です。熱が出るのは、ウイルスや細菌は熱に弱く、免疫も少し体温が高い方が活性化しやすいからです。39℃未満の熱なら、“免疫ががんばっている”と見守って、むやみに薬で抑えない方が治りは早い。
のどの痛みなどについては無理に耐える必要はありませんが、薬には副作用があるので、少しくらいならがまんした方がいいでしょう」(玉谷さん)
ただし、体を守るために欠かせない免疫機能でも、暴走すると自分自身の健康な細胞まで傷つけてしまうことがある。「サイトカインストーム」がその代表例だ。京都府立医科大学大学院医学研究科教授の内藤裕二さんが解説する。

「ウイルスなどに感染すると体内でウイルスと闘うための炎症性物質『サイトカイン』が分泌されます。サイトカインストームは、何らかの理由でリンパ球のT細胞が暴走してサイトカインが過剰に放出される状態のこと。
コロナ禍ではウイルスそのもので亡くなるよりも、サイトカインストームによる呼吸不全で命を落とした人たちが多かった。免疫の暴走を抑えるためには、免疫を抑制するステロイドを投与するしかありません」
免疫の攻撃と制御のバランスが崩れると、「自己免疫疾患」を発症する。
「免疫細胞が自分の体を『敵』と誤認して攻撃してしまうと、体のさまざまな臓器で自己免疫疾患が起きます。よく知られているのは関節リウマチですが、全身性エリテマトーデス(SLE)や潰瘍性大腸炎、自己免疫性肝炎などいくつもあります」(内藤さん・以下同)
アレルギーも同じ仕組みの延長線上にあるという。
「花粉や食べ物など本来は害のないものに対して、免疫が過剰に反応してしまうことで起きます。アレルギーは、リンパ球がIgEという抗体をたくさん作ることが原因です。はっきりした原因は解明されていませんが、体質や遺伝、生活環境などが原因で免疫のバランスが崩れていると考えられます」
免疫の働きは「多すぎても少なすぎても」体を傷つけるということだ。常に中庸を保つことが鍵になる。今後、制御性T細胞によって免疫の暴走を止められるようになれば、助かる命が増えるかもしれない。
(後編へ続く)
※女性セブン2025年11月27日号