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3つの元号にわたって現役で活躍し続ける林家ペー・パー子、“元マネジャー”オバ記者が明かすその魅力「楽しいけれど困るぺーさん」「かわいらしくてオーラがあるパー子さん」

3つの元号にわたって現役で活躍し続けるペーさんとパー子さん

 ぺーさんは、色物(寄席言葉で、落語や講談以外の芸のこと。漫才・漫談、手品、曲芸、紙切り、音曲など)のトップで、周りから「ぺー師匠」「ぺー先生」と呼ばれて敬われているけれど、私にとってはあくまでも「ぺーさん」。28年前に出会って、私がマネージャーを3年間務めていたときから「ぺーさん」。その後しばらく間が空いたけど、昨年7月にぺーさんが電話をくれて再会を果たした。その2か月後にはぺーさん宅が全焼して全国ニュースで流れた。そして私は反射的に、ペーさん宅がある東京・北区の赤羽に向かい、気がつくと、家をなくしたぺー・パー子の後方支援をしていた。で、一段落するかしないかのタイミングで「ぺーさんのこれまでを一冊にまとめませんか」という編集部からの申し出があり、三日に上げずインタビューを行った。1回につき3~4時間、時にはホテルのロビーで、時にはカラオケボックスで、10回近くインタビューを重ねたタイミングで義妹が倒れ、私はしゃがみ込んだ。

 それを再び立ち上がらせてくれたのがぺーさんだった。ぺーさんは義妹の死に改まってお悔やみを言うわけではない。ただいつものように自分の話したいことを話しまくる。長年、私は週刊誌記者として有名無名にかかわらず多くの人にインタビューしてきたけれど、ぺーさんほど困る人はそういない。記者泣かせだ。

林家ペー・パー子夫妻
写真3枚

 質問をするととりあえずは答えるんだけど、数分後には「これは余談よ」と前置きしつつ、出てくる話が脱線に次ぐ脱線で、放っておくと本線がどこかわからなくなる。でもそれが、とびきり面白い。“ぺーさん列車”に揺られて、何度バカ笑いしたことか。早い話、仕事にならないのよ。それで、「ちょっとぉ、いい加減にしてくれませんか」と中断させると、「あ、悪い悪い。で、なんの話だっけ?」と笑いながら本線に戻る。そんなことの繰り返しで、楽しいけれど困る。困るけれど楽しい。

 パー子さんとも何回も会った。パー子さんは「野原さん、どうしたらそんなに姿勢よくいられるの?」と優しい声で言ってくれる。イベントのときは「つけまつげがうまくつかないんだけど大丈夫かな?」と目をパチパチしてかわいらしいったらない。人前に出たときに放つ圧倒的なオーラは、10代から80代まで世代を問わず多くの人を吸い寄せる。その様子を見ながらペーさんは「不思議だよねぇ」とうれしそうに目を細める。

『ヨレヨレ人生漫談』では、そんなおふたりのなれ初めから、懸命に生きる現在までを書き尽くした。昭和、平成、令和の3つの元号にわたって現役で活躍し続けるおふたりは私の目指す人間像でもある、といま改めて思っている。

【プロフィール】
「オバ記者」こと野原広子/1957年、茨城県生まれ。空中ブランコ、富士登山など、体験取材を得意とする。

※女性セブン2026年6月11日号

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