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世界的デザイナー・コシノヒロコがアンミカとの対談で語った「つらさを経験してこそ達する高みがある」

コシノヒロコさんとアンミカさん
コシノヒロコさんとアンミカさん(撮影:飯岡拓也)
写真3枚

ファッション一家に生まれ、絵を描くことが大好きだった少女が世界的デザイナーになるまでの歩みを語ってくださった前編。後編では、“コシノ三姉妹”として育った葛藤と、人生最大の苦難を乗り越えて得た気づき、そして90才を目前にしてなお輝き続ける幸福の秘訣を伺います!

アンミカ:お母さまは日本のファッションデザイナーの草分け的存在でいらっしゃる小篠綾子先生で、ヒロコ先生、ジュンコ先生、ミチコ先生の三姉妹も同じ道を歩まれています。生粋のファッション一家ですが、どんな幼少期を過ごされたのでしょうか?

コシノ:生まれも育ちも、だんじり祭で有名な大阪府の岸和田です。小さい頃はお母ちゃんが仕事で忙しかったから、私は祖父母に預けられていたの。

アンミカ:お母さまはおひとりで「コシノ洋装店」を経営されていらっしゃったんですもんね。

コシノ:そうなの。それで私は、呉服店を営んでいたおじいちゃんに連れられて歌舞伎や文楽を一緒に見ていました。いまも歌舞伎が好きだったり長唄をやるのは、おじいちゃんの影響ね。

アンミカ:ヒロコ先生の作品に歌舞伎を想起させるドレスがありますが、おじいさまと過ごした幼少期にルーツがあったとは!

コシノ:歌舞伎や文楽を見たあとに、お茶屋遊びに行くのが定番ルート。粋な人よね。で、私はお茶屋の外に出て、さっき見ていた歌舞伎を思い出しながら蝋石で道に衣装の絵を描いて遊んでいました。お茶屋で出される酒の肴のようなものばかり食べていたから、栄養が足りなくて小柄でね。幼稚園に歩いても行けないから、乳母車に私を乗せて、おじいちゃんが押していくのよ(笑い)。

アンミカ:かわいらしい光景!

コシノ:私を猫かわいがりしていてね。でも、ずっと弱々しいままでもいられなかった。というのも、2才下のジュンコがたくましかったからね。大柄だし、けんかをすれば私がいつもボロ負けしちゃうのよ。

アンミカ:子供同士だと手加減なしの真剣勝負になりますからね。お母さまも心配されたでしょうね。

コシノ:NHKの連続テレビ小説『カーネーション』(2011~2012年)でも描かれていたけど、家の中がぐっちゃぐちゃになるほどの取っ組み合いよ。いちばん下のミチコとは年が6才も離れていたし、最初はファッションではなくスポーツの道に進んでいたから関係なかったけど、私とジュンコはいつもバッチバチ。幼少期は姉妹の葛藤の時代ね。

アンミカ:私も年子の姉とは、バッチバチの幼少期でした…。

コシノ お互いのやることが気になって「真似しないでよ」ってなるのよね。すぐ真似をするのは妹のジュンコなのは間違いないんだけどね。

アンミカ:私が次女なので、よくわかります(苦笑)。妹はお姉ちゃんが大好きで真似をするんですけど、要領よくサッといいとこどりをしちゃうから、お姉ちゃんは腹が立つんですよね。

コシノ:そう、要領がいいのよ! ジュンコの方があとからファッションの世界を学び始めたのに、装苑賞(ファッションデザイナーの登竜門)で先を越されちゃった。私が装苑賞に挑戦したときに手伝いながら横で見ていた経験を生かして最短距離で進んじゃうのね。それがこの年になっても悔しいんだから!

アンミカ:普通なら大きな世界の中でたくさんの人と競うものだけど、姉妹なので見たくなくても見えちゃうでしょうし、周囲も勝手に比較しますから大変です。

コシノ:いまでも「ジュンコさんにお会いしましたよ」「ミチコさんはこうでしたよ」って言われるわ。私はどうなのよって(笑い)。でも、妹たちの存在には本当に感謝しているの。デザイナーはオリジナリティーが勝負だから、常に張り合う相手が隣にいて励みにもなっていたのよね。

アンミカ:姉妹の関係性が原点であり、個性を育てる原動力にもなったんですね。

アンミカさん
アンミカさん(撮影:飯岡拓也)
写真3枚

ナイトクラブでのファッションショー

コシノ:文化服装学院を卒業後にジュンコに誘われて、銀座の小松ストアーでデザイナーとして一緒に仕事をしたのは楽しかったわね。1961年のことだから、いまから65年前。その頃は、お金持ちのマダム向けのお店ばかりで、若い人の洋服を手掛けるデザイナーが少なかったんだけど、洋画の『若草物語』の衣装をモチーフに、若い子のファッションを勉強して取り入れました。

アンミカ:リボンベルトが印象的な丈長のドレスに、私もときめきました。

コシノ そのスタイルが若い子たちの間で少しずつ話題になり始めて、ゆくゆくは「みゆき族」と呼ばれるムーブメントにまで広がっていったんです。

アンミカ:ニーズを掘り出し、お客さまの心をグッとつかまれた。

コシノ:本当にいろんなお客さまが来たわね。新橋の芸妓さんが洋服を作りにきたときは、「時間がないので」と言って、かつらと白塗りのメイクでいらっしゃったの。着物だけ脱いでもらって、頭はかつらのまま洋服の仮縫いをしたけど、イメージが全然湧かないのよ(笑い)。

アンミカ:花街でもご姉妹のお店が話題になっていたんですね!

コシノ:いま思うと、派手なメンバーが遊びにきていたしね。イッセイ(三宅一生)やケンゾー(高田賢三)、(山本)寛斎さんたちが店に顔を出しては、連日ワーワーやっていたわ。

アンミカ:メンツが豪華すぎる!

コシノ:ひどいときはみんなでアイスクリームを食べながら作業したりして、フロアの部長に叱られていたの。結果的に就任から3年で小松ストアーにはいられなくなりまして(笑い)、ジュンコと私は別の道を歩むようになりました。ジュンコは青山あたりにお店を構えて、私はお母ちゃんに大阪へ引き戻されて、心斎橋の一等地で自分の店を出すことになったの。

アンミカ:ヒロコ先生にとって初の、自分だけのメゾンですね。

コシノ:自分にしかできないことをやると張り切っていました。そう考えたときに、やっぱり描き続けてきたデッサンの力だと思った。店内には装飾品以外は生地だけを置いて、スタイルブックはお客さまに見せない。それで2階のアトリエで、選んだ生地とお客さまを見ながら一発でデッサンを始めるスタイルでした。

アンミカ:素敵!この世に1着のオートクチュールですね。

コシノ:そう、その人を輝かせるための1着。デッサンを見るだけでお客さまの目も輝いたわ。百貨店やサロンのデザイナーさんが、私のアトリエに来ては勉強していましたね。

アンミカ:ほかにも真新しいことに挑戦されていたんですか?

コシノ:スタイルブックをお客さまに見せない代わりに、大規模なショーを企画したこともあったわ。大阪の北区に当時「アロー」という、滝が流れる豪華なナイトクラブがあったの。そこで毎年ファッションショーをやったりね。

アンミカ:ヒロコ先生の発想力はとっても大胆!

コシノ:そのナイトクラブに東京のモデルさんも呼んで、彼女たちに私が作った服を着せて、お客さまに見せるでしょう。そして、そのあと即売会をするわけ。そうすると毎回、一枚も残らず全部売れちゃった。

アンミカ:華やかなだけじゃなく、ちゃんと販売戦略まで考えていてさすがです。

コシノ:自転車が流行したときには、モデルに自転車に乗ってもらって登場させたりもしたわ。その時代の女性が憧れる空間を、派手に作っていったんです。

アンミカ:そこまで大きな仕掛けを毎年やるということは、経済的にはすぐに安定したんですか?

コシノ:全然よ。1ドル360円の時代だから、いくら稼いでも海外の高級生地を買えば消えていっちゃうの。それと前編で話したように、私は縫製するのが嫌だったから縫い子さんをたくさん雇っていて、そのお給料とで借金人生よ。

コシノヒロコさん
コシノヒロコさん(撮影:飯岡拓也)
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服装を整えれば、内面も美しくなる

アンミカ:常に挑戦を続けるヒロコ先生ですが、30代後半は私生活の方で苦しまれたとか…。

コシノ:39才で離婚したんです。結婚は、若い頃の最大の失敗よ。学生時代のときの出会いで、彼とは下宿が近くて仲よくなったの。良家の一人息子でイケメンで、まぁ相当な遊び人(笑い)。見事に引っかかったわ。大阪では北新地での飲み代でお金を毎回使い果たしてしまって、結婚生活は苦労が尽きなかった。

アンミカ:典型的な放蕩ぶりですね…。

コシノ:でしょう? しかも、遊んでいても「コシノヒロコさんのダンナさんね」と言われるのが気に入らなくて、家に帰ったら暴れだすの。ナイトクラブでショーをやるくらいだから、私の名前も少しずつ広まっていたのよ。さらに、私が長女だから夫は養子に入って、名字を小篠にしたのも彼にはコンプレックスだったみたいね。

アンミカ:男女の愛憎は紙一重といいますけれど、さすがにひどい。

コシノ:外に女性をつくられるのも屈辱的で、耐えられなかった。離婚したいのに、彼は自由な生活を手放したくなくて「別れない」の一点張り。離婚が成立するまで長い時間がかかったわ。あの時代は、もう死んでしまいたいくらい毎日つらかったわね。離婚してからも彼氏は何人もいたけど、結婚はこりごりよ。でもね、結婚したことに後悔はないの。だってそのおかげで由佳ちゃんとゆまちゃんというとてもかわいい娘を授かったもの。

アンミカ:由佳さんはヒロココシノ社の代表取締役社長、ゆまさんはヒロコ先生の右腕としてご活躍されてますね。仲よし親子で憧れです。

コシノ:あの子たちは宝よ。離婚を人生の糧として、たくましくもなりましたしね。乗り越えたから言えるけれど、人間はいいことばかりじゃダメね。つらさを経験して達する高みがある。

アンミカ:そうした経験を経て、ヒロコ先生の座右の銘にもつながっていくんですね。

コシノ:新約聖書(使徒言行録20章35節)の「与うるは受くるより幸いなり」という言葉で、思い返せば、お母ちゃんもまさにその精神で生きていたの。いつだって人のために一生懸命で、騙されても“へへん!”って意に介さない。小篠家の精神として根底にあったんでしょうね。自分ばかりが幸せになろうとする心では、真の幸せは得られないと学びました。

アンミカ:いまは情報量が多すぎて、足りないものを埋めていくことばかりに目が向いてしまい、自分の幸せがわからなくなっている人も多い気がします。

コシノ:デザイナーの視点から言うと、洋服の力も信じてほしい。お金がたくさんあっても精神的に満たされない人って、実はたくさんいるのよね。でも、自分に合った服を着て気持ちが前向きになることで、生き方まで変わることが本当にあるのよ。

アンミカ:同感です! 素敵なお洋服を着るだけで背筋が伸びて、人からほめられたら自信がついて、相手をほめる心の余裕まで出てきますよね。

コシノ:服というのは自分の体にいちばん近い“環境”だと思っているの。服装という環境を整えると、中身まで変わるんです。内面を美しくするためには、洋服という「表側」が大事。そのレベルに達した洋服が作れないと、デザイナーとしてはダメだって常に考えながら70年近くやってきました。

アンミカ:ヒロコ先生のお話を伺って、もっともっとおしゃれを楽しんで、胸を張って人生を輝かせたいと思いました!

コシノヒロコさんのHLLSPD

コシノヒロコさんに、Happy、Lucky、Love、Smile、Peace、Dreamについて答えてもらいました。今回はSmile、Peace、Dreamについて直撃!

Smile:あなたを笑顔にする宝物は?

愛犬のルビーちゃん

Peace:心が穏やかになる趣味や場所は?

長唄。心が平和になります

Dream:これからの目標は?

私が触れてきた日本文化を次世代に継承していきたい

◆モデル・俳優・アンミカ

アン ミカ/1972年生まれ。1993年パリコレ初参加。モデル業以外にもテレビ・ラジオMC、俳優、歌手、テレビCM出演と多彩に活躍。「日本化粧品検定1級」など20個以上の資格を生かし、化粧品、洋服、ジュエリーなどをプロデュース。

◆ファッションデザイナー・コシノ ヒロコ

1937年生まれ。1978年よりローマ、パリなど世界各国でコレクションを発表。日本を代表するファッションデザイナーとして活躍。7月26日まで、東京都現代美術館で展覧会『(UN)KNOWN HIROKO KOSHINO ―新説/真説 コシノヒロコ―』を開催中。

構成:渡部美也 衣装:ジャケット、シャツ、パンツ/ともにHIROKO KOSHINO イヤリング/アビステ(アンミカさん)、トップス、パンツ/ともにHIROKO KOSHINO(コシノさん)

※女性セブン2026年7月9・16日号