女優・大塚寧々さんが、日々の暮らしの中で感じたことを気ままにゆるっと綴る連載エッセイ「ネネノクラシ」。
第8回は、「母へのお弁当」について。
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少し前、母が腰を圧迫骨折してしまった。これで二度目で、病院に連れていったのだが、今回は昨今のコロナの事情や本人の意志もあり入院せずに、自宅で療養することになった。
しかし、基本動いてはいけない。母はせっかちだし、すぐ動くので心配だったが仕方ない。
そんなわけで、「くれぐれも動いちゃだめなんだよ」と言いつつ、近くに住む母に料理を作って運んだ。肉じゃがだったり、焼きそばだったり、野菜炒めだったり、麻婆豆腐だったり。数日経つと、母が「こんなにいらない」と言い出した。
「一人だから、そんなに食べられない」という。母の好きなお菓子もたくさん持っていったりしていたので、多かったのかもしれない。
ご飯は少なめ、おかずの種類と彩りを
気づくのが遅かったのだが、何品か持っていくよりも、少しの量でいいから種類がたくさんあった方がいいのかも…「あ、お弁当だ!」と思った。
私は中学、高校とお弁当だったので母にはよく作ってもらっていたが、考えたら母にお弁当を作った事はなかったかもしれない。息子も大きくなったので、そういえば最近はお弁当作ってないなと思った。
確か家に、母の好きそうな、曲げわっぱのお弁当箱があったはず。探して久しぶりにだしてみた。二段になっているのと、少し大きめの曲げわっぱのお弁当箱が二つあった。
次の日から、お弁当を作り出した。子供が小さい頃と違い、朝時間に追われて焦って作る必要もないので、なんだか楽しい。
とにかくご飯を少なめにして、おかずの種類を多くする事と彩りを心がけた。母の好きな昆布の佃煮を取り寄せたりもした。
ちょっと少ないかなと思ったが、母のところに行って、お弁当箱を開けたら、とても喜んでくれた。
やっぱり幾つになっても女の人。彩り鮮やかで、ちょこちょこ色んな種類があるのが良かったのかもしれない。母の喜ぶ顔をみて、私も嬉しくなった。
それからしばらく母へのお弁当作りが続いた。私が中学、高校の時どんなお弁当だったかなと思い出しつつ、子供が小さい時に買ったお弁当の料理本とかもひっぱりだしながら、作った。
しばらくすると母も元気になり、最近は作っていないのだが、久しぶりのお弁当作りは楽しかった。お弁当には家族の思い出がいっぱい詰まっている気がした。
◆文・大塚寧々(おおつか・ねね)
1968年6月14日生まれ。東京都出身。日本大学藝術学部写真学科卒業。『HERO』、『Dr.コトー診療所』、『おっさんずラブ』など数々の話題作に出演。2002年、映画『笑う蛙』などで第24回ヨコハマ映画祭助演女優賞、第57回毎日映画コンクール主演女優賞受賞。写真、陶芸、書道などにも造詣が深い。夫は俳優の田辺誠一。一児の母。