
専業主婦から17年ぶりにキャリアを再開して今は外資系ホテルの日本法人社長になった薄井シンシアさん(63歳)。連載「もっと前向きに!シン生き方術」では今回、薄井さんの会社が運営するホテルの一つ、「LOF HOTEL Shimbashi」のラウンジで水彩画の展覧会を開いている井上真理子さんとの対談をお届けします。井上さんは、フリーランスとして経営者の業務サポートや、マネジメント、企画・運営などを行う仕事についている。共にうつ病を患った経験を持つお2人。心の不調と付き合う秘訣や、誰もが活躍できる社会になるために必要なものについて語っていただきました。
絵を始めて2か月でホテルに展示
――ホテルでのミニ展覧会は、シンシアさんがLinkedIn(ビジネス特化型のSNS)で真理子さんに声をかけて実現したそうですね。
シンシアさん:LinkedInを見ていたら、彼女の描いた絵がパッと目に飛び込んできて、「あら、この人って絵を描く人だった?」と意外に思ったんですね。以前から彼女の投稿は目にしていたんですが、絵を見たことはなかった。気になってテキストも読んでみたら、精神的に大変で絵を描くことで救われているという話だった。
うつ病って暗い洞穴に迷い込んだような気分になるんですよ。だけど、この人は一生懸命もがいてそこを抜けようとしていると感じて。それで、うちのホテルで絵を展示してみませんかとお声がけしたんです。
真理子さん:DMをいただいて、びっくりしました。水彩画を描き始めてまだ2か月でしたし、そもそも私は特に絵が得意なわけでもなかったんです。美術の授業は好きでしたが、うまくはなくて、イラストを描けば「怖い」と言われてしまうような腕前でした(笑い)。
だから、シンシアさんが私の絵のどこを気に入ってくださったのかさっぱり分からず、私で大丈夫なのかなと迷う気持ちもありました。でも、こんな機会めったにないし、これは乗っかるべきチャンスなんじゃないかと感じて、ありがたくお引き受けすることにしました。

シンシアさん:以前にもお話しましたが、私が今の会社のトップに就く話があったとき、人事を任せてもらうことを“条件”にしました。責任のある立場になることで、女性をはじめ、多様な人々を支援したかった。そして、私には今、このハコ(ホテルという場所)があります。このハコを真理子さんに使ってもらったら、自分の役割を一つ果たせたことになると思いました。私は絵を描けないけれど、頑張っている真理子さんの絵が素敵だと思ったし、みんなに見てもらう意味があると考えました。
真理子さん:ありがとうございます。絵を始めた頃は今よりうつ病の症状が重く出ていて、毎日描けるわけではありませんでした。描けても1時間も経つと疲れてしまうような状態で。それでも、シンシアさんに声をかけていただいて、やるからにはホテルに飾るにふさわしい、皆さんに見ていただけるだけの絵を描きたいと思うようになりました。
シンシアさんは「無理しなくていい」「準備ができたときまで待つから」と言ってくださって。それで4月末、「LOF HOTEL Shimbashi」に水彩画を19点飾らせていただくことができました(5月末には作品を入れ替え)。

シンシアさん:うちはホテルであって画廊じゃないので、女性支援のつもりですることにお金を絡ませるつもりはないですし、商売じゃないので期限を切る必要もないんですよ。だから、真理子さんが自分のペースで絵を描いて、それを飾ったらみんなが見に来る、そういうコミュニティができたらいいと思って。
真理子さんには会場の下見をすすめましたが、それも日時を決めたりせず、私が立ち会うこともなく、気が向いたときに立ち寄ってもらえるようにしました。私もうつ病を経験しているので分かるんですが、誰かと会う約束ってプレッシャーになりますから。
真理子さん:本当にシンシアさんのご提案は私にとって重荷にはならず、張り合いになりました。チャレンジの場を与えていただいたことで、もっとスキルアップしたいと思うようになり、YouTubeやInstagramで絵の上手な人たちからたくさん学んだりして。絵を描くようになった頃は完全に自己満足でよかったんですが、私の性格上、それだけではきっと物足りなくなったと思うので、運命的なタイミングでチャンスをいただいたと思っています。
つらいときに声を上げられる文化を広めたい
――絵を描いていて、喜びを感じるのはどんな瞬間ですか?
真理子さん:一番満ち足りた気持ちになるのは、描き上がって、その絵を美しいと思うときです。今までは仕事で評価を受けたいという思いが強すぎて苦しんできたけれど、絵は何よりもまず、自分自身が美しいと思うかどうかの世界なので。それが自分の価値観を大きく変えたし、癒しになりました。
その後、SNSに絵をアップすると、絵をどんな気持ちで描いたか、どんな境遇の中で描いたか、描いた人がどんな人間性かといったことも込みで、私の絵を「好き」と言ってくださる人たちがいて、ああ、絵はこんなふうに見てもらえるものなんだなと思いました。

シンシアさん:ストーリーって大事です。この展覧会と対談で、まさにそれを真理子さんと一緒に打ち出せたらいいなと思っています。コロナ禍が始まって、女性の自殺が増えてしまったじゃないですか(※全国の女性の自殺者数は2020年、2021年と2年続けて増加)。真理子さんは絵を描いて表現しているし、ご病気のことをSNSで発信できている。これが重要だと思うんですよ。日本社会ってみんな苦しいのに言わずに、自分の気持ちにフタをしてしまう。「もっと声を上げようよ」というメッセージを届けたいですね。
真理子さん:本当にそうですね。もっとみんな、周りを頼っていいと思います。それと、心の病気を抱える人に、「病気になったことは恥ずかしいことじゃないんだよ」ということも伝えたいですね。
うつ病って、真面目で努力家で自分を犠牲にしてまで頑張っちゃうタイプの人がかかりやすいと言われています。だから、その人がもし適材適所に配置されていたら病気にならずにすごく活躍できた可能性もある。その人が所属する組織のマネジメント側に問題があるケースもあると聞きます。だから、患者さんはどうか恥じないで、堂々と治療を受けて、よくなったらまた活躍しましょうと言いたいです。
シンシアさん:日本はリーダーシップに多様性がないのが問題ですよね。日本の社会では、リーダーのほとんどが同じ業界で同じことをやり続けてきて出世した男性。「多様性を大切に」とは言うけど、そんな世界の狭い人に、うつ病に苦しむ人のことも、海外からやって来て清掃の仕事をしている人のことも、時給が100円高いという理由で千葉から都内へ働きに通う人のことも、分かるわけがない。そんなことでは、多様な人材が活躍できる場をつくれるわけがないですよ。

真理子さん:「ダイバーシティ」という言葉だけは広まりましたけど、実際にはうつ病や適応障害などで休職したことがある人を排除したり差別したりする向きがあると思います。それが怖くて、自分はどうやらうつ病らしいと感じながら病院を受診していない、治療を始められないという人もいるんです。
いろんな人に活躍してもらわないとやっていけない少子高齢化社会なら、うつ病や適応障害も貴重な経験のはずなのに、企業のトップがそこを理解できていない。シンシアさんみたいな経営者のかたってまだまだ少ないです。
シンシアさん:私の場合は、(結婚・出産後に17年間、子育てに専念したため)出遅れたし、その後のキャリアもストレートにはいかなくて紆余曲折ありましたから。でも、それだけじゃなく努力もしているつもりです。うちのホテルに来てくれる清掃会社のかたや、スーパーのレジ打ち時代のパート仲間と、私から誘っておしゃべりしています。
彼女たちと話していると、世の中がどう動いているのか分かるし、面白いです。経営者の集まりにも顔を出しますが、そちらは退屈に感じることもしばしばです(笑い)。
真理子さん:シンシアさんってLinkedInの投稿なんかを拝見していても辛口のコメントが多いですけど(笑い)、でもおっしゃること全てが真っ当なんですよね。冷たいのではなく論理的なんだと思います。
何かしたいときに出会えた水彩画
――真理子さんは絵を。シンシアさんは仕事を。お2人とも心の不調を抱えていたとき、「夢中になって手を動かす」ということをやってきたのでしょうか。
シンシアさん:あくまで私のケースですが、私は目の前にある仕事に集中する、否が応でも集中しなきゃいけない状況に身を置くっていうやり方でした。仕事を辞めて夫の赴任先のリベリアに飛んだときもそうですね。料理のムック本を3冊買って、載っている料理を片っぱしから作りました。娘の大学進学(巣立ち)が決まったときはタイの食堂で働き始めて、子どもたち700人の顔と名前を覚えました。

真理子さん:うつ病になると「休んで」と言われるんですけど、休めない人もいるんですよね。私は休み方を知らない人間だから、余計につらくて。仕事も家事もしないでベッドに横になっていると“何も価値を生み出していない私”を意識してしまってどんどん気分が沈んでしまいます。お金が発生しなくてもいいから、とにかく何かしたいというときに水彩画に出会えてラッキーでした。
シンシアさん:「休んで」もそうだし、うつ病のときに他人から「こうすればいいよ」「これやると良くなるよ」とあれこれ言われると、それがまたプレッシャーになったりもしますからね。
かといって、腫れ物に触るようにするのもどうかと思うんですけどね。「そっとしておきましょう」と一歩引いた態度を取る人ばかりっていうのは何か違う気がするんです。
悩みを一人で抱え込むのが美徳ではない
――周りの人たちも、声の掛け方や手の差し伸べ方を間違えて、余計に相手を嫌な気持ちにさせたらどうしようという不安があるのかもしれないですね。
真理子さん:それは確かに言われましたね。うつ病の人の扱い方が分からない、関わり方が分からないって。
シンシアさん:だからと言って、「そっとしておく」とか「陰ながら応援」って私は嫌ですね。もちろん、その人の症状にもよりますが、本気で助けたいなら具体的に手を差し伸べたい人がいてもいい。私は自分が社長だから(真理子さんの展覧会が)できたのかもしれないけど、こういうやり方が広まってほしいと思います。悩みを一人で抱え込むのが美徳のようになってしまっている状況はおかしいですよ。
真理子さん:だから、私みたいな当事者が発信することにも、少しは意味があるのかなって思うんですよね。私はシンシアさんほどの影響力はないですけど、それでもSNSに書き込めば誰かは見てくれる。SNSでの発信に対して、ご家族がうつ病を患っているという人から「励まされています」とメッセージをもらうこともあります。
ずっと仕事人間だったけど、お金が発生しなくても、遠くにいる誰かのためになったり、社会の役に立てたりする。「仕事で認められないと!」とばかり思い込んでいた価値観が変わりました。

シンシアさん:真理子さんのそういう気持ちは、絵を見ると私には分かったから。だから、今この人に声をかけるべきだと思ったんですよね。
――シンシアさんの声のかけ方が真理子さんには適切だったということですよね。励ましの言葉を投げるのではなく、前向きな活動に誘ってみる、期限を切らずにゆるく約束する、といった工夫の効果を感じます。
シンシアさん:相手の負担にならないように考えることが大事ですね。だから、最初からこちらの事情もオープンにしていました。「あなたの絵を飾らせてほしいけど、うちは画廊じゃないし、急いでいません。今は別のかたの絵が飾ってあるし、いつまでに入れ替えないといけない性質のものではないので」って。
真理子さん:シンシアさんはSNSで企業トップとして発信されていることは時に手厳しいかもしれませんが、DMでいただくメッセージは温かくて。実は、人へのお気遣いもすごくされる方なんですよね。こんなシンシアさんがやろうとしていることなら、私も微力ながらやらせていただきたいと思いました。
◆LOF Hotel Management 日本法人社長・薄井シンシアさん&井上真理子さん

薄井シンシアさん/1959年、フィリピンの華僑の家に生まれる。結婚後、30歳で出産し、専業主婦に。47歳で再就職。娘が通う大学のカフェテリアで仕事を始め、日本に帰国後は、時給1300円の電話受付の仕事を経てANAインターコンチネンタルホテル東京に入社。3年で営業開発担当副支配人になり、シャングリ・ラ 東京に転職。2018年、日本コカ・コーラ社に入社し、オリンピックホスピタリティー担当就任するも五輪延期により失職。2021年5月から現職。近著に『人生は、もっと、自分で決めていい』(日経BP)。@UsuiCynthia
井上真理子さん/大学卒業後看護師としてキャリアをスタートさせ、看護師経験10年を経て美容業界に転身。美容専門学校教員、ヘアメイク講師、フリーランスヘアメイク、エステサロン受付、注文住宅営業、製薬会社プロジェクト立ち上げ等経験。現在はフリーランスとして経営者の業務サポートや、マネジメント、企画・運営などを担当。
撮影/黒石あみ 構成/赤坂麻実、編集部