「あの時はああするしかなかった」と言うに違いない
なんでしなかったか、答えは明快。母ちゃんは自分が毒親だったなんて微塵も思っていないし、もし私が「虐待をされた」と言っても間違いなく理解しない。「あの時はああするしかなかった」と言うに違いないんだわ。
「とし江さんがどんな苦労をしたか、知ってっぺ」と、これは母ちゃんの過去を知っている人、ほぼ全員に言われること。
私の実父が32才で脳溢血で亡くなった時、町の人は「娘(私のこと)は女郎屋にでも売られるんじゃないか」と話していたと、これは私が30過ぎてから聞いた話だ。
親が過酷な生き方を強いられたら、その子供だって無傷なわけがない。それをひとつひとつつまみ上げて白黒つけたところで、どうするの。そんなわけで、私は各論では母ちゃんを毒親認定はするものの、総論では「あの時はああするしかなかった」でまとめていたんだと思う。
これは私だけじゃないと思うけれど、毒親の後ろには悲しい現実がどんと居座っているのよ。それを知っていた私は、今夜のおかずは何にするかとか、親戚の誰がどうしたとか、どうでもいい話をして、痛い話には触れないで、できるだけの親切をした。そうしているうちに母娘の時間はタイムオーバーになった。
まあ、母ちゃんが毒親なら、過度な介護で心理的負担をかけた私も負けず劣らずの毒娘だったのよね。キレて怒鳴ったこともあったけど、たいがいは我ながらよくやるよと笑っちゃうくらい母ちゃんのわがままをきいて、手を撫でてやり、色とりどりの料理を並べた。それを負担に思っていることは、「はあ(もう)そうたに作るなよ」と何度も言われているからわかっている。それでもやめなかったのは、母ちゃんに対する当て付けだ。それでよかったと今も思っている。
◆ライター・オバ記者(野原広子)
1957年生まれ、茨城県出身。体当たり取材が人気のライター。これまで、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。昨年10月、自らのダイエット経験について綴った『まんがでもわかる人生ダイエット図鑑 で、やせたの?』を出版。