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【65歳オバ記者 介護のリアル】思い出した祖父のこと 何気ない一言で家族で大笑いした出来事がいま慰めに 

杖に手を置いている男性
母ちゃんの父親“タツヤン”とのある出来事を思い出したオバ記者(Ph/photoAC)
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ライター歴43年のベテラン、オバ記者こと野原広子(65歳)が、介護を経験して感じたリアルな日々を綴る「介護のリアル」。昨年、茨城の実家で母親を介護し、最終的には病院で看取ったオバ記者。それから4か月経ち、寂しさを募らせる日々だといいます。そんなオバ記者が思い出したのは亡くなった祖父とのある出来事でした。

* * *

不安と寂しさでベッドから離れられない

母ちゃんが亡くなってちょうど4か月。「そろそろ落ち着いた?」と言われてみるとひとつ角を曲がった気がするけれど、その一方でこれまで感じたことがないような不安と寂しさに襲われている。

母ちゃん
自分の足で元気にデイサービスに出かける生前の母ちゃん
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こんなことをいうと私の身近な人は「ええええ~っ!」と絶叫するに違いない。不安と寂しさは私にいちばん無縁の感情で、正直な話、私自身、この2つの感情にどっぷり身を浸したことはないんだよね。

そりゃあ、「おお、きた、きた」と思う瞬間はあるよ。あるけど足先でたわむれたり、せいぜいヒザぐらいまで上がってくる程度。だから35年間もひとり暮らしを続けてこれたんだと思う。それが今、朝起きた瞬間に「おおお~っ!」と叫びながら体を丸めて動けない。それで午前中いっぱいベッドから離れられなかったりするのよ。

危篤状態から復活した母ちゃん
退院するときはぐったりしていた母ちゃん
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思い出した強烈キャラの祖父・タツヤンのこと

そんな時にふと思い出したのが母ちゃんの父親で私の祖父、タツヤンのこと。明治25年の辰年生まれだから辰雄。生きていれば130歳だけど97歳で亡くなっている。最晩年、母ちゃんが引き取って介護して看取ったんだわ。

これがまた強烈なキャラのおじいさんでね。タツヤンは90歳すぎまでひとり暮らしをしていたけれど、とうとう自分で煮炊きができなくなって、まず母ちゃんの姉、マスエさんの家に引き取られた。そこは10代、20代の孫たちもいて賑やかでいいだろうと周囲はみんな思ったんだね。

男性が立とうとしている所
90歳を過ぎて娘のマスエさん(母ちゃんの姉)の家に引き取られたタツヤン(Ph/photoAC)
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タツヤンを一瞬で元気にさせる言葉

ところがマスエさん家族はみんなおっとり、のんびり。タツヤンはそれが気に入らない。怒鳴る、わめくで手がつけられないこともあると聞いて、マスエさんの家に家族で見舞ったらなんとタツヤンは奥の座敷に寝ていて、「ご飯だよ」と何度呼んでも布団から出てこないの。

タツヤンは自力で立ってトイレにも行けるし、ご飯も食べられる。どうしたことか。「気に入らないことがあるといっつもそうなんだよ」とマスエさんはちゃぶ台に夕飯を並べながら困り顔だ。

和室
気に入らないことがあると部屋から出てこない(Ph/photoAC)
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その時、私は一瞬で元気にさせるひと言を思い出したのよ。それを寝ているタツヤンの耳元で言ったら、たちまち目を輝かせてムックリ起き出してご飯を食べだしたの。それが、「ジブラルタル海峡」。事情はこうだ。

タツヤンは農家の次男だから最低限の教育しか受けられず、本家からもらったわずかな農地を耕していた貧農だけどもっと学問をしたかったんだね。

しばらく前に私がスペインに行ってきた、と言ったら「ヒロコ、ジブラルタル海峡は見てきたか?」って言うのよ。

タツヤンち、つまり母ちゃんの実家は農村で村に2軒しかお店がない。見渡す限りの田んぼばかりだ。ここからほとんど出たことがない明治25年生まれの口から「ジブラルタル海峡」なんて地名がなぜ出るのか。

「ジブラルタル海峡」に目が光り、顔が生き生きと

ビックリして聞いたら、タツヤンが尋常小学校に通っていた明治30年代は子供の勉強といえば読み書き算盤のほか、徹底して世界の主要な地名を覚えさせられたんだって。スペインとアフリカ大陸を挟んだジブラルタル海峡は、重要な軍事拠点だったんだって。

それが村の小学校へ着物と草履で通っていたタツヤンの小さな頭に、決定的な憧れを植え付けたんだと思う。それを知ってから私はタツヤンと話すときは、意味なんかあってもなくても、「ジブラルタル海峡」を口にしたの。

そうしたらもう笑っちゃうくらい一瞬で目に光が灯り、顔が生き生きとしてくるんだもの。この時もそう。

ジブラルタル海峡
「ジブラルタル海峡」と言えば一発で機嫌が直るタツヤン(Ph/イメージマート)
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「おじさん、この前、スペインに行ってきたんだよ」と言ったら予想通り、「ジブラルタル海峡を見たのか!」と目をキラキラさせ、むっくり起き出したんだから。

本当はスペインに行ったのは7、8年前だけどまあ、細かいことはいいのよ。その時はそれだけで終わらなかった。食卓についたタツヤンはご飯を食べながら私たちにグチをこぼし始めたのよ。

「3人娘がいるのにだーれもかまってくんねー」

「オレは3人も娘がいるのにだーれもかまってくんねーんだ」と涙声になったのは今思えば認知症が始まっていたのかもね。鼻をすすりながら「胸が苦しいと言ってもだーれも胸、さすってくれねぇ。脚が痛てえと言っても、だーれもさすってくれねぇ」と、グダグタ言い出したら止まらない。

筋骨隆々のマッチョな姿を知っている孫の私は、あの爺さんでも老いたらここまで哀れになるのかと思うといたたまれなくなってね。それでつい口をついて出たのが、「おじさん、ほんと~にさすって欲しいのはどこで? 脚だの胸じゃあんめ?」。

この微妙な下ネタにどう反応するか。食卓を囲んでいたマスエさん一家と母ちゃんと父ちゃんが吹き出す直前に、なんとタツヤン、「オレはバカじゃねぇから、そうたことは言わねぇ」ってキッパリ言いながら笑ったのよ。それから箸がまあ、すすむこと、すすむこと。

男性が食事している写真
オバ記者の冗談で湿っぽかったタツヤンも笑顔になった(Ph/PhotoAC)
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だからどうだということではないし、介護ってそんなもんじゃない。冗談で笑わせたってそんなの一瞬だ。年寄りの元気なんか、季節の変わり目の天気予報みたいなもの。「雨のち晴れ、時々雷雨、豪雨注意」であてにならない。

わかっているんだけどね。あのときのタツヤンとマスエさん一家。「全くヒロコは何を言い出すんだか」と大笑いした母ちゃんと父ちゃんのそれぞれの顔を思い出すたびに私の慰めになるんだわ。

さて、起きて今日一日を始めるか。

◆ライター・オバ記者(野原広子)

オバ記者イラスト
オバ記者ことライターの野原広子
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1957年生まれ、茨城県出身。体当たり取材が人気のライター。これまで、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。昨年10月、自らのダイエット経験について綴った『まんがでもわかる人生ダイエット図鑑 で、やせたの?』を出版。

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