「捨てるのはオレが死んでからにしてくれ」
行動力のあるA子さんはその言葉を聞いて不動産会社に電話をして、実家を売りに出して、新たに住む分譲マンションを探してもらった。「思えば営業マンを交えて私と父親で相談していたあの2か月が蜜月だったのかもね」とA子さんは振り返る。
半世紀近く住んだ4LDKに大きな納戸まであった実家の片付けは容易なことではない。さっそく初日につまずいた。きっかけは母親の着物用のハンガーにかかっていた衣桁(いこう)をA子さんが捨てようとしたときだ。
「『それは捨てない!』と父親が大きな声を上げたのよ。『いやいや、これはもういらないでしょ』と外に出したら、追いかけてきてもう一度、和室に押し込んだの。父親の何十年も前のスーツも外に出したら、黙ってまた家の中へ入れる。朝から昼までそんなことを繰り返したら、私も父親も疲れ果ててね。私が作業をやめたら『捨てるのはオレが死んでからにしてくれ』だって」
「だから、それを誰がやるんだよっ! 親が好き放題集めた後処理を、子供にやれっていうの!」
思わず大きな声を上げたA子さん。
「思えば子供の頃から私、親に口答えをしなかったのね。この時、初めて父親を怒鳴りつけたの。だからふいをつかれたんでしょ。父親は私を不思議そうな顔で見て、黙って自室に閉じこもっちゃった」
暴言が激しくなった父親…突然いなくなった
結果、父親は片付けを放棄して、A子さんは業者に依頼して実家の片付けを終えた。やがて父と娘のマンション暮らしが始まった。その頃から父親の暴言が激しくなってきたという。
「口癖は『俺は引っ越しなんかしたくなかったんだ』と、『俺のものを勝手に捨てやがって』。いくら『パパがやろうと言いだしたことじゃない!』と反論しても、『俺はそんなこと言ってない』って。口もきかず、私の用意したご飯を食べては自室に引きこもる平和な日が何日か続いている間も、ささいなことで『ふざけんなっ』が始まるかと思うと、全くくつろげないよ」
そうするとA子さんは東京に飛んで、気持ちが収まるまで何泊かして、帰る。その繰り返しで1年2か月が過ぎた。途中から留守中はヘルパーさんにきてもらい、食事の準備や病院の付き添いをお願いしていたが、そのヘルパーさんから「お父さんがいなくなりました」と東京にいたA子さんに電話が入った。後から、いつも行っているコンビニに買い物に行ったはずが、帰る道がわからなくなったとわかる。
「警察に発見されたのは家を出てから6時間後で、20年以上前、父親の会社があった場所に座り込んでいたんだって。そこまで歩いたら4時間以上かかる。どうやって行ったかは今でも謎なんだけどね。それがきっかけで、サービス付き高齢者向け住宅とグループホームを利用して、最後は病院で亡くなったんだけど、その間の2年が最悪だったの」