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65歳オバ記者が綴る「すい臓がん」になった親友 「私、死ぬかもよ」と言った2か月後に永遠に別れるまで

親友の死について綴ったオバ記者。写真は親友と行った小石川後楽園
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「卵巣がんの疑い」で10月初めに手術を受けた、ライター歴40年を超えるベテラン、オバ記者こと野原広子(65歳)。手術後の検査の結果、卵巣がんではなく「境界悪性腫瘍」という診断だった。そんなオバ記者が、病気に悩まされている間、連絡を取り合っていた“がん闘病”中の親友がいた。

* * *

美少女で成績優秀だった友達F子

ここのところずっと、私に降りかかった闘病のことを書いてきたけれど、実はその日々を共に歩いた友達がいたんだよね。

小学校の同級生、F子は子供のころから人目を引くほどの美少女で成績優秀。一方、私は近所の大人から、「南伸介とそっくりだな。『ビックリしたなもう』ってやってみろ。ひゃはは。おもしれ~!!」と笑われているような女児。残念なのは器量だけじゃない。早生まれの宿命か、読み書き計算、運動、みんな最下位だったの。

36歳で離婚して子供たちと柴犬を連れて上京してきたF子と、その頃の話をするのは決まって居酒屋だ。F子は「あはは。そんなことがあったんだ。私はずっと無自覚人間だったから、なんも覚えてないんだよね」と笑って、「じゃあ、レモンハイ、もう一杯頼んで半分こしない?」なんてやっていたの。

お互いの子供時代をよく知っているから気が楽だし、何よりF子と私は趣味が一致したのよ。それは美術館、博物館、植物園めぐりと旅。

オバ記者
上野の美術館にもよく行った。上野公園ではたわいもない話もした
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悪天候の週末、家でグダグダ寝ていると「ねぇ。今日は最高だと思うけど行かない?」とF子からLINEが入る。こんな日に何が最高かというと人気の美術展よ。絵画鑑賞をするのはたいがい中高年だから、天気が悪いと出足が鈍る。私らも中高年だけど頑張って行けば、いつもなら人の頭越しにしか見られない絵画もゆっくり、おしゃべりしながら好き放題見られるというわけ。

オバ記者
『ピカソとその時代』を見に上野まで。このときは私ひとりだった…
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「あはは。でもあれは面白かったね」と、後から何回も話したのは雪の日の『三井家のおひなさま』よ。大雪でいつ電車が止まってもおかしくないという日に、「止まったら止まった時だから行く」とF子が決断したの。案の定、会場はガラガラ、てか、私たちのほかは学芸員だけって普段ならあり得ない。こうなると私もいつもの“気象病”が吹っ飛ぶんだから、まったく“病”ってアテにならないわ。

ダラダラ話のあとに「私、死ぬかもよ」

さすがにここ数年はそんな酔狂もしなくなっていたけれど、飲みでも旅でも誘うと必ず同行してくれる。それを当たり前だと思っていたのよ。

お盆明けの8月17日。「時間ができたら電話くださ~い」とのん気なLINEがF子から入ったの。母親の初盆で茨城から帰ったばかりの私は、「どしたの~?」と電話で折り返したら、「私さぁ、夜中にものすごくミゾオチが痛くなってぇ。一時は救急車、呼ぼうかってことになったんだけど、しばらくしたら落ち着いたんでぇ、そのまま寝ちゃってぇ。次の日もなんともないから仕事に行ってぇ」と、間延びしたようなF子の話がダラダラ話が続いたと思ったら、突然。

オバ記者の母親
F子からのLINEまさかそんな報告だとは…。(写真は母ちゃんの四十九日の時のもの)
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「私、死ぬかもよ」

「そりゃ、誰だって死ぬわよ。問題はどうやって死ぬか、でしょうよ」

カッとした私はとっさに思いっきり大所から見た言い方で返したの。そうなんだよね。F子は最上の善人だけどトンチンカンというか、突然、わけがわからないことを言い出してイラつかせるんだわ。

この時もそう。F子は、「そりゃそうなんだけどさぁ」と言いながら、ちょっとチャラけた口ぶりをやめて、淡々と状況を説明しだしたの。

「ミゾオチが痛くなっても朝はなんともなくなっていたから仕事に行って、その帰りに病院に行ったら、すぐに近所の総合病院に行けといわれ、検査を受けたらすい臓がんだって」

「すい臓がんって…。何それ」

総合病院では応急処置をして、聞けば5日後の8月22日から検査入院するという話だった。区の検診から婦人科病院、MRI検査する病院を経由した私が、大学病院でMRI検査の結果を聞くのも同じ8月22日だった。

オバ記者
検査の日々が続いていた
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「医者はステージを聞いても答えなかった」

こんな時の偶然ってロクなことはない、とは言わなかったけれど、とにかくF子の顔を見て話したい。F子は池袋から出る東武東上線の沿線に住んでいる。

「そっちに行こうか?」と言うと、「いいよ。まだ定期が使えるから池袋で会おうよ」と言うの。

土曜日の池袋は思った以上の人出で、いったんデパートのレストラン街に行ったものの、どこの店もいっぱい。「じゃ、ホテルメトロポリタンだね。私、おごるから」と言うと、「あらそう? ありがと」とF子は営業職で鍛えた軽やかな口ぶりと足取りだ。

オバ記者
6時間もの手術を終えたオバ記者
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料理が来るまでの間、F子は病院からもらったすい臓がんの資料を私に見せて、ボールペンで印をつけながら、「肝臓と胃と、あと肺にも少し飛んでいるんだって」と自分の病状を説明しだしたの。「で、ステージとか聞いたの?」と聞くと、「聞いたよ。でも医者は『う~ん』と言って答えないんだよね」と、他人事のようなふてくされたような言い方だ。

「とにかくすい臓の管がつまっていたからそこに人工の管をつける手術をこの前したのよ」とF子。

「で、痛みは?」

「昼間はなんともないけど、夜はミゾオチから背中から痛くなる。医者からもらった痛み止めを飲むとスッと痛みが治まって眠れるんだけどね」

お互いの入院中もLINEでやり取りした

その数日後、私は大学病院の庭で見たことがないほど大きな葉を見つけてF子に写真を送ったの。「これは何?」。そっそく「桐の木だよ。鳥さんが種を運んできて芽吹いたを放っておいんだら大きくなっちゃったんだね」と返信が来た。子供のころ、植物図鑑ばかり見ていたというF子の得意満面がLINEから伝わってくる。

オバ記者
大きな葉を見つけてF子に送った
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区の検診や婦人科病院では「まずは良性の可能性が高い」と言われていた私が、大学病院に検査に通うようになったら、「卵巣がんの疑い」になり、検査、検査、検査。週に3日は通うようになった。ひとり暮らしの私は日常のあれこれを話す人がいないから、F子に報告をする。内心、「私よりずっとヤバい状況」と思いつつ、「で、どうよ」と私も私でのん気な声をかける。これがほぼ毎日、続いた。

オバ記者
入院中のLINEや電話は続いた
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そんなことを9月いっぱいして、末日に私は手術をするために入院した。

「結局、卵巣がんか良性腫瘍かは、開腹手術をしないとわからないんですよね」と担当医師は言うの。「なら、1か月もかけて検査なんかしないでさっさと手術したらいいじゃない?」というのはシロウト考えで、治療にはそれなりの手順があるらしい。

とか、病院で意外だったことはいくつもあるけれど、その中のひとつがメールや電話がし放題なことよ。もちろん相部屋の病室で話したりはしないけれど、ラウンジに出れば眺めのいい景色を見ながら、いつまででも話していられるの。

オバ記者
F子と電話していた病院のラウンジ
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「あ、夕飯だ。明日も電話するけど夕方のほうが都合いい?」

「私のほうはいつでも大丈夫そう」

手術日が迫っている私は朝から何かと忙しいけれど、F子のほうは「なんか知らないけどヒマ~」だそう。そして同じ病室の人の話をあれこれ。それが決していい兆候だとは思わないけれど、私は「そうなんだぁ」としかいいようがない。

オバ記者
手術日が迫っている私は何かと忙しかった…
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F子の身内から「ついさっき、永眠しました」

手術の翌日も、その翌日も、私はF子とLINEでやり取りをしたり、電話で話したり。

「私さ、何か困ったことがあったらアンタに世話になろうとしていたんだけど、アテが外れちゃったよ」と言えば、F子も、「まったくでぃ。私もそのつもりでいたけど、これじゃ、しょうがないよねぇ」と答える。

いままで通りのやり取りだけど日に日にF子の声に力がなくなってきているのが気になっていたけれど、お腹に一文字の手術傷のある私は自分のことで手いっぱいだった。

そんな私が退院して先日、JALカードのサービスのひとつ、「どこかにマイル」で長崎往復のチケットをゲットしたの。

当日は富士山の頂上まで見下ろせる快晴。それを見ていたら、入院中、F子と交わした話のあれこれがやけに耳に鮮やかによみがえってきたんだわ。

オバ記者
F子が撮ってくれた私の姿
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「ついさっき、永眠しました」

F子の身内から電話が入ったのは私が退院した9日後だった。そんなバカな話がある?

「私、死ぬかもよ」と言った2か月後に人は死ぬ?

すい臓がんは末期までわからないというけれど、それにしてもあんまりじゃないの!!

オバ記者
機内でF子の死が腑に落ちた
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お葬式に出て、遺影になった彼女を見ても、納得いかなかった私が旅の空を眺めて「ああ、もうF子はいないんだな」と腑に落ちたの。

そして、すい臓がんは予兆がほとんどないと言うけれど、今思えば異変らしきことはいくつかあったな、とも。

◆ライター・オバ記者(野原広子)

オバ記者イラスト
オバ記者ことライターの野原広子
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1957年生まれ、茨城県出身。体当たり取材が人気のライター。これまで、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。昨年10月、自らのダイエット経験について綴った『まんがでもわかる人生ダイエット図鑑 で、やせたの?』を出版。

【327】身に沁みた友人からの心配と「胸が締め付けられる」末期がんの幼なじみの死

【326】「退院後に救われたがんになった友人からの言葉

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