「私の体は不滅」という感覚がどこかに残っている
去年の秋、12cmに腫れた卵巣と子宮の摘出手術をして思ったんだけど、体にはリサイクルされるところと、そうでないところがあるのね。
最初に悪くなったら最後で元に戻らないと思い知らされるのは歯。その前に乳歯が抜けるとわが郷里では、ちょっとした儀式があったの。「上の歯か? じゃあ、縁の下の投げ込んでおけ」「下の歯? 屋根の上に投げろ」と親がうれしそうに言うのよ。こうしておくと丈夫な大人の歯が生えてくるという言い伝えを聞いて育ったけれど、今はどうなのかしら。都会だと投げ込む縁の下も屋根もないしなぁ。この風習を亡くなるまで全部の歯がそろっていた母親は信じていたんだけど、とんでもない。幼稚園児の頃から歯科医通いの私は健康な歯は“ン本”しかないもの。
それから大人になるまでに何度も風邪をひいて、インフルエンザにも罹ったけれど、ジーッとして寝ていると少しずつ、薄皮がはがれるように治ってきて、その感じが私は嫌いじゃなかったんだよね。
胃痛も二日酔いも、筋肉痛も、腰痛も、肩こりも、頭痛も生理痛も。みんな病院に行ったり薬を飲めば治ったじゃない。その昔は砂のグラウンドで転んでひざをすりむいても「よく洗って赤チンぬっておけ」でオシマイ。小学校中学年になったら保健室でオキシドールとかヨードチンキで処置してもらったけど、まあ、そんなものよね。
その感覚がどこかに残っていて、大げさにいえば「私の体は永遠に不滅です」と思っている。こう言うとあまりにバカバカしくて笑っちゃうけど、実はこれ、大なり小なり、みんなどこかで思っているんだよね。