一昨年秋には茨城まで1人で来た叔母
一昨年の秋には叔母、私にシモの世話をされていた母ちゃんに会いに1人で茨城まで来たんだよね。
おかしくなったのは今年に入ってからだ。怪しい建設業者の口車に乗って契約書に判をついたのが1月末。4月末に会った時はやせ細り、認知症がひどくなって話の半分は意味不明。ひとり暮らしはムリだからと、息子と娘がかわるがわる顔を出すことになって、私はフェードアウトを決めたの。
というのも、ここ20年、私は手土産を持ってわざわざ訪ねて行っては、バカだ、デブだ、ダメだ。声を荒らげて怒鳴り合いをしたこともある。ああ、こんなババアと二度と会うもんかよ。電話で「たまには顔を出しなさいよ」と言われても、頑なに無視していた時期もある。
その叔母がある日、おだやかな声で「ヒロコちゃんと気の合いそうなおじさんと町会の仕事をして知り合ったのよ。おいでよ」と電話してきたの。それが叔母より3歳上の建築家のO氏(91歳)だったの。18年前だから、私は48歳、叔母とO氏はまだ70代前半だったんだね。
それから叔母と3人で会うようになり、そこに私の友だちを混ぜて何度オペラを聴きに行ったかしら。八王子の料亭『うかい鳥山』までO氏の車で連れて行ってもらったのも、一度や二度じゃない。
叔母との縁で知り合った最年長BF
いつからか叔母抜きでも会うようになって、最初は「やだ、密会?(笑い)」とはしゃいでいたけれど、そのうちふたりだけで食事をするのが当たり前になったの。「最年長のBF(ボーイフレンド)」と言うと「光栄です」と頭を下げてくれる、そんな関係。
そのO氏が1年ほど前から入退院の繰り返しになって、食事するときはO氏の家の近くに私が出向いたの。つい2週間前に会ったのは、叔母と行った回転寿司店よ。その席につくなりよ。
「まいったよなぁ。この間、入院したら、医者から『いくつまで生きますか? それによって治療方針を決めますから』と言われちゃった。さすがに即答できなくて帰ってきたよ」
O氏は大病院で長年がん治療をうけているんだけどね。頭の確かさ、発想の豊かさは出会った頃と何も変わらない。
「じゃあ、私が医師への返答を提案します。一、人としての尊厳を傷つけないところまで生きたいです。二、どんな形でも生きられるだけ生きたいです。三、知らない。あんたが決めてくれ。さぁ、どれがいい?」
そしたらO氏、「あはは。三、いいな。三にするかな」と大笑いしてくれた。子供の笑顔もいいけど、年寄りの笑顔はもっといい。
「じゃ、退院できたら連絡するわ」と手をあげたO氏と別れたのが10日前のこと。
叔母ちゃんは特養ホームで偉そうなことを言っているに違いないけど、家に帰れないことを知ったら暴れないかな。
なんだかんだ言いながら朝に晩に気になるのでした。
◆ライター・オバ記者(野原広子)
1957年生まれ、茨城県出身。体当たり取材が人気のライター。これまで、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。昨年10月、自らのダイエット経験について綴った『まんがでもわかる人生ダイエット図鑑 で、やせたの?』を出版。
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