
料理研究家の枝元なほみさんが、2月27日に間質性肺炎のために亡くなっていたことが、3月12日、枝元さんの公式Xを通じて発表された。69才だった。
「エダモン」というあだ名で親しまれ、料理研究家としてだけでなく、ホームレスを支援するNPO法人「ビッグイシュー基金」の共同代表を務めたり、流通に乗せにくい野菜をインターネットで販売する農業支援活動を行うなど、さまざまな社会活動にも尽力していた。
枝元さんが料理研究家の道に足を踏み出したのは、1980年代後半のこと。当時枝元さんは32才で、大学で始めた演劇にのめり込み、卒業後も劇団に所属して演劇を続けていたものの、その劇団が解散してしまい途方に暮れていたころだった。
「枝元さんの窮状を知った友人が、アルバイトを紹介してくれたそうです。無国籍料理のレストランで働き、『好きなように料理していいよ』という店主の下で、お客さんに認めてもらえる味やボリューム、見た目を追求していくうちに、枝元さんの料理の腕は磨かれていきました」(テレビ局関係者)
自由な発想で考案したレシピや、食材本来の味を生かした料理は評判を集め、雑誌の料理企画のほか、NHKの『きょうの料理』など人気番組にも出演するようになり、ファンを増やしていった。

また、先述のとおり枝元さんは生前、社会活動にも全力を捧げていた。
たとえばいまから14年前、東日本大震災が起きたとき、枝元さんは友人とクッキーを手作りし、被災地に送る活動を始めた。その後、被災者が避難所でできる仕事が少ないことを案じるようになると、被災地に通い、一緒にクッキーを作り、それを東京など被災地以外の場所で売って収益を被災地に還元する活動にシフトした。
枝元さんは、ただ単にお金やものを渡すだけではない活動をすることの意味について、「クッキーを作ることで被災した人たちの気持ちが和んだり笑顔になってくれるんです。その場所に一緒にいられることのすごさを感じています」(『女性セブン』2012年3月22日号)と語っていた。

枝元さんが自身の体の変調に気づいたのは、2019年ごろだったという。
「息苦しく感じ、病院にかかったところ、肺が硬くなって酸素を取り込みにくくなる間質性肺炎だと診断されたそうです。呼吸を補助するために酸素チューブの使用が欠かせなくなり、外見の変化だけでなく、愛用していたガスコンロを使うことも難しくなりました。しばらくは病気を受け入れることができず、出来なくなったことばかりに目が行く日々で、料理番組に出演することもなくなっていました」(芸能関係者)
そんな枝元さんを変えたのは、とある情報番組への出演だった。病気をする前によく出演していた『あさイチ』(NHK)から出演のオファーが来たのだ。
「当初は出演を悩んだという枝元さんですが、『酸素チューブをつけて出た方がいい、そうやって仕事をしているところを見せることで励まされる人がいるかもしれない』という知り合いの医師の言葉に背中を押され、番組出演を決めたそうです」(前出・芸能関係者)
酸素チューブをつけてIHコンロで料理を披露した彼女のもとには、後日、「私の母も同じような病気で励みになったようです」といった枝元さんの生き方に共感するメッセージがたくさん届いたという。

「このとき枝元さんの心には、病気の自分でも誰かを助けることができる、という新たな“使命”にも似た気持ちが芽生えたそうです。それ以降、雑誌などの企画に酸素チューブぼをつけた姿で臨むことも増え、具合が悪くても作れる料理や手間を減らすコツなどを積極的に明かすように。病気と共に生きるありのままの姿を見せてくれました」(前出・芸能関係者)
生涯「食」を通じて人々を励まし続けた枝元さんだった。
