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薄井シンシアさん、娘が小学生のときの誕生日会は仕事だと思って徹底的にやった「手作りケーキの上に埋め尽くした折り紙」

薄井シンシアさん
合理的だけど、お世話好き!? 一見、矛盾して見えるシンシアさんのバランス感覚とは!?
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キャリアウーマンを経て外交官と結婚。専業主婦を17年間務めたあと、再びキャリアウーマンに戻った薄井シンシアさん(64歳)は無駄なことが大嫌い。けれども、娘の誕生日会に凝った手作り品を並べたり、転校先で率先して日本文化を紹介したりする一面もあると言います。合理的だけど、お世話好き!? 一見、矛盾して見えるシンシアさんのバランス感覚を紐解きました。

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折り紙で埋め尽くした誕生日ケーキ

米国駐在時、娘は小学1、2年生でした。米国では、子どもの誕生日に学校へクラス全員分のケーキを持っていき、祝う習慣がありました。娘のクラスメートはお金持ちが多いから高いケーキを注文していましたが、我が家にそこまでの余裕はありません。だから、私がすべて手作りをしました。

あるときは、とても大きなケーキを焼き、その上に1/4にカットした折り紙でさまざまな飾りを折ってケーキの上を埋め尽くしました。手が込んでいるでしょう? 子どもたちは「わー。これは、どうやって食べたらいいの?」と、とても驚いていました。

箸でチョコレートをつまむゲーム

それとは別に、クラス全員を招いた誕生日会も公園で開きました。招いた子どもたちを盛り上げるためにはゲームを考えなくてはなりません。私は、箸でM&M’s(エムアンドエムズ)の小さなチョコレートを移すゲームなど、日本的な遊びを考えました。

薄井シンシアさん
娘の誕生日会も仕事だと思って徹底的に
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娘の誕生日会も仕事だと思って徹底的にやりました。毎年、誕生日会を開くことは決まっています。だから普段から「これは使えそう!」というものを見つけてはストックして、手が込んだ誕生日会を開きました。

私は「歩く広報文化」

外交官は3年おきに転勤があるので、娘はそのたびに転校します。私は娘に日本人としてのアイデンティティーを持ってほしいと思っていたので、転校先の学校へ挨拶に行くときは、必ず校長先生にも挨拶に行きました。そこで「私たちは日本の家庭です。和食のデモンストレーションや雛人形の飾り付け、日本の祭りや伝統工芸品などをご紹介できるので、展示する機会をいただけませんか」と伝えました。みんな喜んで「どうぞ」と言ってくれることが多かったです。

私は「歩く広報文化」と呼ばれるほど、けん玉や輪投げ、だるま落としなどの日本のおもちゃや、伝統工芸品を持っていました。それを学校の授業で披露したり、図書館に展示したりするのです。私自身はフィリピンで生まれ育ちましたが、日本の伝統的な遊びや季節の行事を独学で学びました。

バリキャリは方向転換しても生き方が変わらない

ニューヨークに住んでいたときは学校と自宅が近かったので、自宅に飾った雛人形をクラスごとに見学に来てもらうこともしました。雛人形の説明をしたり、ちょっとした日本のお菓子を振る舞うと日本の文化紹介になるでしょう? 中学生になると、そういう授業が減るので図書館に雛人形を飾ったりしました。

薄井シンシアさん
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ほかの外交官の奥さんで、そこまでする人はいなかったと思います。でも私は、夫が大使館勤務なら日本文化を紹介することも仕事の一部だと思っていたので、真面目に紹介しました。積極的に企画してスキルを磨いた経験は、現在の仕事にもつながっているかもしれません。

私は出産までバリバリに働いていた人間です。そういう人が子育てに専念したからといって生き方は変わりません。そうすると、バリバリに働いていた部分をどこかへ方向転換する。エネルギーの行き先は、雇用主がいるわけではないから、自分で決めるしかないでしょう? それが娘のPTAや誕生日会、日本文化の紹介へと向かったのだと思います。パパは仕事が忙しいから当日だけ参加をする。準備はすべて私がやりました。

娘はいつも「また、ママが何かをしている」という反応でしたが、「うちのママは何でもしてくれる」と鼻が高い部分もあったのではないかと思います。私は仕事と掛け持ちをしなかったから、なんでも徹底的にやる。そこで娘との信頼関係が生まれたのかもしれません。

◆薄井シンシアさん

薄井シンシアさん
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1959年、フィリピンの華僑の家に生まれる。結婚後、30歳で出産し、専業主婦に。47歳で再就職。娘が通う高校のカフェテリアで仕事を始め、日本に帰国後は、時給1300円の電話受付の仕事を経てANAインターコンチネンタルホテル東京に入社。3年で営業開発担当副支配人になり、シャングリ・ラ 東京に転職。2018年、日本コカ・コーラに入社し、オリンピックホスピタリティー担当に就任するも五輪延期により失職。2021年5月から2022年7月までLOF Hotel Management 日本法人社長を務める。2022年11月、外資系IT企業に入社し、イベントマネジャーとして活躍中。近著に『人生は、もっと、自分で決めていい』(日経BP)。@UsuiCynthia

撮影/小山志麻 構成/藤森かもめ

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