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山田雅人、師と仰ぐ上岡龍太郎さんが亡くなる前年に“遺言”を受け取っていた「“絶対に自分からはやめるなよ”と言われました」

上岡龍太郎さんの言葉に救われたお笑い芸人・俳優の山田雅人
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「あの人がいてくれたから、いまの私がいる」──相手からすると何気ない言葉だったかもしれないが、言われた本人の心にはいつまでも残り、支えになっている……そんな運命を変えた言葉がある。お笑い芸人・俳優の山田雅人(64才)の恩人は、2023年に亡くなった上岡龍太郎さん(享年81)だ。

「もうきみね、自己紹介はいらないから、いきなり競馬中継のネタに入りなさい」

1986年のNHK新人演芸コンクール。出番を終えた山田に、審査員の上岡さんがそう声をかけた。当時、山田は何でも競馬中継風にしゃべる「架空競馬中継」が持ちネタだったが、先輩たちからは「そんなの芸じゃない」「絶対に飽きられる」などと否定されてばかりだった。

「それでも、上岡さんだけはぼくの芸を認めてくれました」

そう山田が神妙に語る。

「“きみの競馬中継はしっかりした芸だから、余計なことを話さず最初から競馬中継をして、最後に自分の名前を言えばいい。ぼくが太鼓判を押すから、確固たる芸で勝負しなさい”と言ってくれました。それまで芸に悩んでいたけど、その一言で今日まで40年やり続けることができた。最近では、石破茂首相(68才)が商品券を持って走るとか、話すネタを変えれば飽きられません(笑い)」(山田・以下同)

1990年に始まった『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』(フジテレビ系)でサブ司会者に抜擢されて東京進出した山田は上岡さんを師と仰ぐ。その彼が最高のほめ言葉とするのが「芸人はアホじゃなきゃダメだ。お前はその素質がある」という上岡さんの言葉だ。

「ここでのアホは、“失敗してもお前ならしゃあないな”と思われるようなかわいげや愛嬌を持つ人のこと。横山ノックさん(享年75)や坂田利夫さん(享年82)が典型ですが、ぼくもそんなアホの仲間に入れてもらえてうれしかった」

30代前半で芸の幅が広がらず不安だらけだった頃、上岡さんにかけられたこんな言葉にも救われた。

「雅人、お前ね。50才超えたら生活が楽になるぞ」

『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』のサブ司会者に大抜擢された山田雅人。右は上岡龍太郎さん、中央は岩井由紀子さん(写真は1994年)
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山田が振り返る。

「“お前にはモノマネや一発芸がなく相方もいなくて地味だけど、お前のしゃべりには味があるから50才を超えたらぼくみたいになる”と言われて、その言葉を支えにがんばりました。普段は口数が少ない上岡さんがそう言うのだから、きっと大丈夫だろうと思えたんです」

その後、上岡さんからの言葉を胸に山田は精進を重ね、ひとつのテーマを取材・構成して1時間ほどの話芸にした「かたり」という独自の芸を極めた。上岡さんは2000年に芸能界を引退後も自らチケットを買って、山田の「かたり」にお忍びで足を運んだ。2011年、立川談志さん(享年75)のお別れ会で山田と久々に顔を合わせた上岡さんは、「雅人、楽になったやろ。ぼくの言ったとおりやろ。これからも『かたり』を続けや」と語りかけたという。

「その言葉を噛みしめて、心のなかで号泣しました。まだ不安はあったけど、ぼくの『かたり』は大丈夫なんだなと自信になった。尊敬する人の言葉に背筋がピンと伸びました」

上岡さんは2023年5月に肺がんと間質性肺炎で逝去したが、その前年に山田は「遺言」を受け取っていた。

「最後にお会いした際、“雅人、絶対に自分からはやめるなよ”と言われました。“やめるって言った瞬間から、櫛の歯を挽くようにみんな散っていく。自分から言わなくても自然にやめられるから、雅人は最後までおやり”と。世間はカッコいい引き際と言っていたけど、上岡さんご自身は寂しい思いをされたのでしょう。だからぼくは絶対に自分からはやめないです」

自分が天に召された後、絶対にやりたいことがあると山田が師への思いを語る。

「ぼくは上岡さんが大好きだから、死んだら会いにいきたいと思っています。会ったら挨拶もせず、いきなり『かたり』をします。そして最後に“山田雅人でした”と名前を言います」

【プロフィール】
山田雅人/1961年、大阪府生まれ。1983年、タレントオーディションで芸能界デビュー。スポーツ選手などの伝記を、徹底した取材と独特の語り口で組み立てる話芸「かたり」は唯一無二の芸。全国各地でイベントを行っている。

※女性セブン2025年4月24日号

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