料理上手で美意識が高かった母
料理と美しいものが好きなみどりさんは、日頃から食卓でのマナーや盛り付けにもこだわっていたという。
「1回1回の食事に母の美意識が貫かれていました。たとえばスープには、世界的に有名な日本の陶磁器メーカー『ノリタケ』の皿を使い、銀製のスプーンを添える、漆塗りの器は洗って乾かしたら薄紙で包んで木箱に入れて保管するといった具合に、皿や器、カトラリーにこだわり、食卓を美しく仕立ててくれました。たとえ効率的でも、みそ汁の入った鍋にお玉を入れたまま食卓に運ぶ、ということはしませんでした。日々の生活の中で、当たり前のように食卓が整えられていたのは幸せなことでしたし、ありがたかったですね」
安藤が特に好きだった母の手料理は、茶わん蒸し。2段組みの大きな蒸し器で、家族と住み込みの家政婦の分とを合わせて10個ほど一気に蒸しあげた。やわらかな食感で出汁がきいており、見た目も美しかったという。
食を大切にし、手間暇かけて丁寧に、美しく供するみどりさんのおかげで、安藤の偏食は次第に改善されていった。
両親に内緒で”敵国”行きを決意

「母はよくおしゃべりをする人でもありました。“言葉できちんと伝える”ということにこだわっていて、特によく覚えているのが、『形のあるものは壊れるけれど、学んだことは決して奪われない』『教育だけは盗られない』というもの。口癖のように言っていました」
中学2年生のときにバレエの道を断念した安藤は、その後、母の言葉を胸に勉学に励む。高校に進学した頃には、ホテル業界で働きたいという夢を持つようになり、英語が話せた方がいいからと、留学を考えるようになった。ちょうどその頃、アメリカ合衆国への交換留学生を選抜するテストが高校で行われ、安藤は両親に内緒で試験を受けたという。
「父方の祖父をはじめ、戦争を経験した両親も皆、当時はアメリカを敵国と考えていましたから、私がひとりでアメリカに行くことなど、絶対に許してもらえないと思っていました。ところがテストに合格し、親子面接にまで進んだため、どうしても伝えなくてはならなくなって‥‥。案の定、猛烈に怒られましたね。『勝手にそんなことするなんて』と――。説得が大変でしたが、最終的には母が、『落ちるかもしれないし』と言って、一緒に面接に臨んでくれました」
その後、母の思惑とは裏腹に面接に合格。箱根のホテルで親子合同研修をすることになった。
「留学生活における規則について事細かに指導を受けるなかで、これなら娘をアメリカに行かせても大丈夫だと思ったのかもしれません。バレエのとき同様、母の情熱に火がついて、留学に向けて熱心に協力してくれるようになりました。母は一度覚悟を決めると、全力で応援してくれる人なんです」
留学先は、アメリカ合衆国ミシガン州ハートランド高校。みどりさんはホストファミリーへの土産を厳選し、安藤に持たせた。
「ホストファザーには西陣織のネクタイなど、ホストファミリーひとりひとりへのお土産を、考え抜いて選んでくれました。何より驚いたのが、ホストファミリーの家に着くと、すでに母からの手紙が送られてきていたことです。私の到着日時を考え、先回りして送ってくれたのでしょう。なめらかな筆記体で宛名が書かれており、それを見たとき、思わず号泣してしまいました。母は英語が書けないはずなのに、どれだけ練習をしたり調べたりしたのだろうと‥‥。ストレートに母の愛のパンチを食らいましたね」
(後編に続く)
◆ジャーナリスト・安藤優子
1958 年、千葉県生まれ。都立日比谷高校から、アメリカ・ミシガン州ハートランド高校に留学。上智大学在学中より報道番組のキャスターやリポーターとして活躍。1986年、『ニュースステーション』(テレビ朝日系)のフィリピン報道でギャラクシー賞個人奨励賞を受賞。その後、『FNNスーパータイム』『ニュースJAPAN』『FNNスーパーニュース』『直撃LIVE グッディ!』(いずれもフジテレビ系列)などのメインキャスターを務める。女性の社会参画、政治・経済、国際情勢、介護・福祉などをテーマに講演活動も展開。著書は『ひるまない』(Grazia Books)、『自民党の女性認識―「イエ中心主義」の政治指向』(明石書店)、『アンドーの今もずっと好きなもの。』 (TJMOOK)など多数。
取材・文/上村久留美