
将来を嘱望された女性外交官からプリンセスへの転身。ご成婚当初から雅子さまは海外で注目され、同時に“好奇の目”にも晒されることとなった。そしていま、愛子さまも同様の視線に苦しめられて──30年の時を超えて繰り返される海外報道と、母と娘の葛藤とは。
単独公務が増え、天皇家の長女としての存在感も日ごとに増す愛子さま。9月以降は海外からも熱視線が注がれている。悠仁さまの成年式を機に、海外主要メディアが日本の皇室について一斉に報道。“愛子天皇論”が再び取り沙汰されているのだ。
イギリスの大手紙『ガーディアン』やフランス公共放送が運営する『フランス24』、さらに中東や東南アジアの大手メディアも、相次いで記事を掲載。それらのタイトルは《日本のプリンスが成年に。男子限定の皇位継承に関する議論は棚上げ》《男子限定の継承規定が、日本のプリンスの成年式に影を落とす》といったもので、成年式そのものよりも、皇位継承に関する議論が停滞している現状に焦点が当てられていた。
「多くの記事が、国民の多くが女性天皇に賛成しているにもかかわらず、男性しか皇位を継承できない現行制度が不可解だとし、《長子の愛子さまは女性であるという理由だけで皇位継承から除外されており、天皇になることはできない》と指摘する内容です。
これまでも、女性への皇位継承を認めない日本の皇室のあり方が海外で批判的に報じられることは度々ありました。今回は悠仁さまの成年式によって“将来の天皇”の存在が大々的に示され、結果的に愛子さまの存在もクローズアップされた形です」(皇室ジャーナリスト)
当の愛子さまご自身は、こうした状況に心を痛められているようだ。
「海外メディアの論調が世界的な潮流を踏まえたものであることは理解できますが、連綿と続いてきた皇室の歴史や文化を理解した上での批判とは言い難い。両陛下としても、“愛子さまを天皇に”とは望まれていないはずで、実際、成年式で悠仁さまを見守る両陛下のまなざしは、心からの祝福に満ちたものでした。そんな最中での“外圧”に、愛子さまは苦しんでおられるのではないでしょうか」(宮内庁関係者)
こうした海外メディアの報道に、母である雅子さまもかつて苦悩されてきた過去がある。

「幼少から海外生活が長く、外交官としてキャリアを積んでこられた雅子さまの皇室入りは、新風を巻き起こすプリンセスの誕生として、海外からも注目を集めました。しかし華々しい活躍が期待されていた一方、ご成婚直後の雅子さまに宮内庁が望んでいたのは、お世継ぎを産むことでした。そのために雅子さまのご公務の数を制限するような動きもあったといいます。
期待感が大きかっただけに、海外メディアは雅子さまの露出の少なさを批判するような報道を相次いで行った。中には雅子さまのことを《黄金の檻の中に監禁されている》《羽が折れたチョウ》と表現するような記事も散見されました」(前出・皇室ジャーナリスト)
こうした報道に対し、雅子さまが直接、反論の弁を述べられたこともある。
「1996年、33才の誕生日会見で、海外報道へのお考えを尋ねられた雅子さまは《一つの側面なり一つのテーマというものを強調し過ぎるあまり、何か少し事実にはないようなことを事例として挙げていたり、それからまた極端な結論というものを導いたりしているような例が見られるような気がいたします》とご自身の心境を吐露されました」(前出・宮内庁関係者)
しかしその後も、海外からの好奇の目が止むことはなかった。
「2006年にはオーストラリア人ジャーナリストのベン・ヒルズ氏が『プリンセスマサコ 菊の玉座の囚われ人』というタイトルの本を出版。独自取材で雅子さまの半生を綴ったノンフィクションとされましたが、作中では臆測による記述が多く、当時の侍従長が、ヒルズ氏に対して誤りへの回答を求める書簡を公表するという異例の事態にまで発展しました。こうした動きに、雅子さまは懊悩を深められていたといいます」(別の宮内庁関係者)