
ライター歴43年のベテラン、オバ記者こと野原広子(64歳)が、今年8月から茨城の実家で93歳「母ちゃん」の介護を経験しました。ほとんど寝たきり状態だった要介護5の母ちゃんは、歩行器を使って外を歩けるまでに回復。そして、冬の間は再び施設に入所。4か月にわたった初めての介護生活でオバ記者は何を感じたのでしょうか。思い出したのは、「奇跡」に関するエピソードでした。
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風来坊の私が介護をするのが無理があった
人が生きていく上で大事なのは現実直視だけど、もっと大事なのは現実逃避と、私は思っている。いやなことがあったら逃げたらいいんだよ。ごくまれにだけど、どうしても逃げられない局面があるんだから。私の場合、息ができないほどの閉塞感の中にいたことが64年の人生で3回ある。

そのひとつが、2021年夏から93歳の母親に4か月間、ベッタリ張り付いての介護で、ほとほと疲れ果てた。気ままなひとり暮らしをしてきた風来坊が、いきなり親の世話をするというのが、そもそもムリがあったのよ。

母親は今、老健(介護老人保健施設)に3週間の“ロングショートステイ”中で、その先のことはまだ流動的。私はまた老健に入ってほしい。なんなら特養(特別養護老人ホーム)も視野に入れているんだけど、母親の顔を見たらその決意が揺らぎそうで、そういう自分がぶん殴ってやりたいほどキライ。
旅先でのミラクル体験。新青森駅で…
な~んて、愚痴をいつまで言っても仕方がないので、今回もまた現実逃避の話。私ってけっこう、旅先ですごいミラクル体験をしているのよ。

あれは数年前のこと。“乗り鉄子”の私は『大人の休日倶楽部パス』を買ったら、とりあえず新青森駅へ。そして到着するとすぐ、みどりの窓口に並んだの。
それは帰りの新幹線の指定席を予約しようか、ローカル線に乗って青森旅行をしようか迷っていたときのこと。券売機でスパッと指定席券を買うほどの決断をしかねていたのよ。フリーチケットの良さはこれ! 優柔不断な自分ととことん付き合えることよ。
ところがみどりの窓口は2メートルくらいの列が出来ている。まあ、どうせあてがない旅だからと悠長に構えていた私だけど、目の前に並んでいる母娘連れに目をむいた。若いお嬢さん2人と中年ママの3人がああでもない、こうでもない。いったん決まりかけたかと思ったら、誰かが「ちょっと待って!」と言って振り出しに戻る。

いくら急ぐ旅じゃないとはいえ、ものには限度ってもんがあるでしょ! 腹が立った私は3人の背中を思いっきりにらみつけた。「ちょっと他の人のことも考えてよ」と声に出すか出すまいか…。と、その時、やっとチケットを手にした3人が振り返った瞬間、「ああ、野原さん!」とママが言い、2人のお嬢さんはその場でうさぎみたいにピョンピョン飛び跳ねているではないの。
前年、泊まりがけで一緒にスキー旅行に行ったYさん一家だったのよ。もともとJR東日本にお勤めのパパが鉄仲間で、何度か飲んでいるうち「スキーに行きましょう」ということになって、そのときご家族を連れてきて、すっかり仲良くなったわけ。
しかし都心に住んでいるYさんとなぜ青森で? と顔を見合わせていたら、「そうだ。私たちの旅館、もう1人くらい泊まれるよ」と女子大生の娘さんたちがいえば、「そうだ、そうだ。泊まりましょうよ。ぜひ案内したいお店があるんです」とママ。
その後たびたび訪れることになる和食店へ
そのときに連れて行ってもらったのが、和食店の『三ツ石』だったの。私、この店で食事をするまでは東京に帰るつもりでいたのよ。だけど酒も肴も、旨すぎて、とうとう青森に”沈没”しちゃった。

それからよ。青森へ来たら必ず寄るようになったの。ここの料理のさりげない旨さと言ったらないのよね。
座間味島、そして、ギリシャでも奇跡が…
思えば旅先の奇跡はこの時が初めてではないのよ。「そんなバカかな!」の始まりは22歳の時の沖縄の本島から船で座間味島に、女友達と行ったときのこと。
私も友達も座間味がどんな島か知らなかったのよね。で、湘南とか伊豆の海水浴場の南の海版のつもりで海辺に行って、サンオイルを塗りあい甲羅干しをしていたの。人っ子ひとりいない寂しいは砂浜で、海だけがやたら青かったっけ。
そこに通りかかった4人グループのひとりが「えっ!」と声をあげたのよ。「うそだ!」と言ったのは私ではなく、友達のほう。なんと数年ぶりに会う大学の旅行クラブの先輩だって。先輩は旅行会社に勤めていて沖縄からのオプショナルツアーのアテンドで座間味に来たと言っていたの。
座間味が世界屈指の透明度を誇る海でダイビングの聖地になるずっと前のことだ。

旅先の奇跡は日本だけじゃない。26歳のときに訪れたギリシャのシフノス島は、池田満寿夫の監督映画『エーゲ海に捧ぐ』のロケ地になった島で、そこで仲良くなったご夫婦と、1週間後にアテネのパルテノン神殿の坂道でバッタリ。

女2人旅をしたイタリアでは、シチリア島で知り合った男のその友だちとローマの電話局でバッタリ。
前に並んでいた男が、「君たち、日本人? もしかしてアグリジェントから車で海水浴に行ったジャポネーゼって」と私にもわかるイタリア語で言うから「えっ? アグリジェント、行ったけど!」と言うと「おれ、そのときに男たちと友だちだよ! えーッ、ミラクル!」とイタリア男。私も覚えたてのイタリア語で「イルモンドえピッコロ!」(世界は小さい!、のつもり)と返したっけ。
危篤だった母ちゃんが“復活”した奇跡
「奇跡ですね」
そういえば2021年も何度もこの言葉を聞いたっけ。言ったのは茨城の実家にある地域医療センターの内科医U先生だ。

入院したばかりの時は危篤だった母親が家に帰ったらみるみる回復した様子を「心拍数も脈も落ちてどう見ても危篤だったんですけど、こんなことってあるんですね。医師をしていると、あんなに安定していた患者さんがなぜ? という方の衝撃はあっても、逆方向の奇跡は滅多にないんですよ」と言うんだわ。
U医師の母親を見るときの慈愛に満ちた目こそ、私にとっては奇跡。こんな真っ直ぐに患者と向き合う医師に母親は見守られていると思うと、私ももう少し優しい言葉をかけてもいいかな、と思ったりして。
今年は茨城暮らしですっかり体の一部となった原チャで、長旅に出たい、なんて夢を抱いている。そしたらまた何か面白い奇跡が起きるかしら。
◆ライター・オバ記者(野原広子)

1957年生まれ、茨城県出身。体当たり取材が人気のライター。これまで、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。今年10月、自らのダイエット経験について綴った『まんがでもわかる人生ダイエット図鑑 で、やせたの?』を出版。
【279】4か月介護を終えて“鉄旅”へ 「春まで」と施設に入れた93歳母ちゃんの顔が浮かんでは消える