
ライター歴43年のベテラン、オバ記者こと野原広子(65歳)が、介護を経験して感じたリアルな日々を綴る。昨年、茨城の実家で4か月間、母ちゃんの介護したオバ記者。その母ちゃんが亡くなって1か月。介護の日々を振り返って今思うこととは――。
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実家に帰って思い出した母ちゃんを介護した日々
先日、亡き母ちゃんの三十五日の法要のため、ほぼ1か月ぶりに茨城の実家に帰った。亡くなる前日、弟夫婦と3人で介護していた座敷や廊下を片付けて亡き骸を迎えたんだけど、その母ちゃんも今は骨になって石のお墓の中に小さくおさまっている。

ガランとした座敷に座ると否応なく思い出すのは、昨年の8月から11月までの丸4か月の介護の日々。介護ベッドで寝起きしていた母ちゃんと枕を並べて寝ていた私は、無神経な言動に腹を立てたり、逃れられないシモの世話にキレたりしていたのよね。そう思ったら涙が込み上げそうになったから、あわてて弟と法事のことを話して気を紛らわせた。
「介護をした人はお葬式で泣きません。しなかった人が泣くんです」と言ったのは、ヘルパーのOさんだ。「やるだけのことはやったという自負があるから人前で涙が出ないんです」と言うの。
介護生活が3か月に入ったころ、「ああ、もうヤンなっちゃった。疲れた」とグチった私をそう言って慰めてくれたんだけどね。確かにそう。通夜、葬儀という儀式で泣く気にはとてもなれなかったんだわ。
「やるだけのことはやった」という思い
母ちゃんの場合、93歳という高齢で亡くなったし、寝泊まりをしたのは私ひとりだけど、教員をしている弟は学校からほぼ毎日、実家に顔を出して当たり前のようにシモの世話をしたし、妻で華道家のNも手料理を届けてくれた。

「やるだけのことはやったよね」という思いがそれぞれあるから、大勢の人がお別れに来てくれた通夜と葬儀の日は、泣くどころか、逆に晴れがましいような気持ち。久しぶりに会う親戚のおばさんやいとこと「わぁ、久しぶり~」と抱き合わんばかりよ。
火葬場の人から褒めちぎられた母ちゃん
「まさかヒロコが世話をするとは思わなかったよ。大変だったなや~」と、小さいときの私を知っていた親戚は、口々にねぎらってくれたっけ。
葬儀の日にほめられたのは私だけじゃない。なんと当日の主役、母ちゃんが火葬場で係の人から褒めちぎられたのよ。

「93歳というお年を横に置いても、ここまで見事な頭蓋骨が残ることはめったにありません」と。その瞬間、4人の男の子の父親でもある甥がスマホで写真を撮ろうとして係の人に手で止められ、慌てて引っ込めたけれど、もし止められなかったら私もスマホを構えたと思う。綺麗で可愛くて今まで見たどの頭蓋骨より標本っぽかったんだわ。
骨壷でもセンターは譲れない?
わが家では4年前に年子の弟が亡くなり、その翌年には父親。で、今回は母ちゃんだから短期間のうちに3つのお骨を見ている。比べてどうこういう話ではないけれど、弟が言った「お見それしました、か?」にみんなうなずいたっけ。

それだけじゃない。わが町では葬儀の当日に埋葬まですることが多いんだけど、ここでも「主役は私」と母ちゃんは頑張ったの。係の人が這いつくばって墓の石をずらして、骨壷を入れてくれるんだけど、「入らないから古いお骨は下の段に移動させますね」と言うのよ。下の段があるなんて知らなかった私は、「あ、お願いします」と言って彼の手元を見ていたら、係の人は当たり前のように4年前に亡くなった年子の弟、父親と同じ柄の骨壷2つを少し後ろにずらして、母ちゃんのを真ん中にすえたのよ。
おばあちゃん子だった姪のS子は、「ああ~、センターは譲れないって、さすがおばちゃんだわ」と言った後、茨城弁で参ったという意味の「いや、どおーも」と付け加えたから、あははとみんな大笑いよ。
介護をした理由に「負い目」も?
母ちゃんを見送っている家族は、泣くどころかまったく気持ちに曇りがない。それは母ちゃんがそのキャラクターのまま最後まで生ききったからだけど、私は私で介護という、自分なりの手順を踏んで見送ったからだと、ちょっとだけ胸を張ったりしてね。

ちょっとだけというのは、私にも負い目があって、あれこれバアさまの弱みにつけ込んでは、ゆすり、たかりを何度か。しかもその原因は20年に及ぶギャンブル依存症にあった、なんてことは誰にも言っていない。それで最後くらいは寝起きを一緒にして帳消しにしたいという、まあ、なんとも浅ましいコンタンがあっての介護だったんだけどね。
それにしても仏教行事って大したもん。気持ちの一区切りとちょうどリンクしているのよ。

たとえば三十五日の法要は、あの世にいった母ちゃんがこれから剣の山を超えるためにお経を詠んでもらう儀式なの。そのために杖に草鞋をくくりつけて奉納する。その草鞋の裏には山越えをするときに滑らないように、餡を塗りつけるのが決まりなんだって。
音楽を聴きながら涙が止まらなくなった
母ちゃんの死が現実のものとして受け止められたのは三十五日の法要から東京に帰ってきた翌日のこと。

それまで母ちゃんの死はどこか絵空事で、ふとした瞬間に「ああ、もう介護の心配をしなくていいんだ」とホッとして息を吐いたり、かと思えば母ちゃんの好物の餃子を見るとばく然と思い出したりしていたけど、きっと気持ちは強張ったままだったんだと思う。
それが先日、YouTubeで音楽を聴いていたら、突然、なんの前触れもなく涙が溢れてきたのよ。いったん泣き出したら止まらない。わーっと声をあげて泣いたのは年子の弟が死んでから初めてだ。母ちゃんの死と、もう二度と会えないという現実がちゃんと私の体の中に落ちてきたの。
「初盆が終わると、肩の荷がすーっと降りるってこれはみんな言うね」と同級生のE子は言う。その前に再来週は四十五日。その後、私はどんな気持ちになるのか。とにかく今は、何かというと泣き崩れそうになるから、人と会うときは要注意だ。
◆ライター・オバ記者(野原広子)

1957年生まれ、茨城県出身。体当たり取材が人気のライター。これまで、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。昨年10月、自らのダイエット経験について綴った『まんがでもわかる人生ダイエット図鑑 で、やせたの?』を出版。
【295】母ちゃんが亡くなって1か月、心を癒やした焼き肉と若者の笑顔