
ライター歴43年のベテラン、オバ記者こと野原広子(65歳)が、介護を経験して感じたリアルな日々を綴る。昨年、茨城の実家で母ちゃんを介護したオバ記者。その母ちゃんが3月に亡くなりました。ありし日の姿を思い出すことも多いといいますが、ふと目に浮かんだのは母ちゃんがいつも首に巻いていたスカーフのことでした。スカーフを巡る母との物語をオバ記者が綴ります。
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「世話になったな」と言わなかった母ちゃん
痩せて青黒い顔をしていたときじゃなくて、家に帰ってきて、ちょっと太ってきて「あはは」と笑う顔をみんなに見せてからあの世に旅立たせてやれて、ほんとうによかった。
最近、ふとしたときに、去年の夏から冬にかけて茨城の自宅で母ちゃんと過ごした日々を思い出すんだけど、慰めになるのがこの写真だ。

母ちゃんからはただの一度も、「ヒロコ、世話になったな」としみじみとしたねぎらいの言葉はかけてもらわなかったけれど、私がスマホのカメラを向けるたびに見せたこの笑顔で、ヨシとするか!
「ここまで回復した人はまずいない」
母ちゃんが退院して数日の間に、あれよあれよという間に驚異的な回復をしたことについて、担当医のU医師はじめ訪問看護師さんたちが口々に同じことを言ってくれた。

「高齢者は病院から自宅に帰ってくると、ほとんどの人が元気になるけど、ここまで回復した人はまずいないですよ」
その言葉を何度も思い出しては、心の中で「母ちゃん、よかったな」と話しかけている私。
もちろん私だけの手柄でないことは言うまでもなくて、さくらがわ地域医療センターの医療チームの方々や、ケアマネジャーやヘルパーさん、訪問入浴サービスの人たちの総合力よ。

あと、顔を見せてくれるだけで母ちゃんを、“前と同じ、ふつうの暮らし“に戻してくれるご近所友だち。

回復の決め手はビューティーボルテージUP?
母ちゃんを見送って3か月。きっと私に少しゆとりができたのかもね。お世話になった人たちの顔が次々に浮かぶんだわ。そして、誰にもちゃんとお礼を言えてないな、とかね。
「しかし看取りに帰省したはずが介護になったんでしょ? そうなった決め手は何? 秘訣とか秘策とかあったんじゃないの?」

東京で元のライターに戻った私に、こんな質問をするのは、自身も親の介護をしている仕事仲間だ。
「秘訣ねぇ。タワマンに住んでいるマダムが大量に送ってくださったロクシタンのシャンプーとボディジェルを使ったら、母ちゃんの体がいきなり力がみなぎった話はしたよね? あとヘアマニキュアで少しずつ白髪をブロンドにして鏡を見せたりとか」
母ちゃんの場合、ビューティーボルテージを上げる作戦は効果てきめんだったわね。
同じスカーフばっかりしていた母ちゃん
話しているうちに思い出したのがスカーフだ。デイサービスやショートステイで外出するようになったら、出がけに、「ヒロコ、これ」と言って、首のあたりで手を回す仕草をするのよ。スカーフをつけるから用意しろってこと。

今、母ちゃんの写真を見返すと、どれだけ気に入っていたんだか、同じスカーフばっかりしているの。ときどき赤いスカーフのときもあったけれど、どっちもかなり年季が入っていて、ところどころスレたりほつれたりしていたの。
そりゃそうだよ。ピンク地に赤のスカーフは私が2002年にタイ旅行をしたときのお土産で、たしか1000円前後のタイシルクだ。赤いスカーフの方は1993年に叔母とふたりでパリ、ミラノ、ヴェネツィアの旅をしたときに土産物屋さんで買った8000円のイブ・サンローランだ。

私の初めての海外旅行は1983年のギリシャ、イタリアでそれから海外に行くというと母ちゃんは「金もねぇくせに遊び歩いでんじゃね!」と、怒るんだわ。私が「遊びじゃね。半分は仕事だよ」と言うと少しホッとした顔になって、「オレに派手なスカーフ買ってこ」と数枚の万札を畳に投げてよこす。こんなことを何回繰り返したかしら。

最初の旅行のお土産スカーフが母ちゃんの好みにドンピシャで、それで味を占めたんだね。
「なんだ、そら! 見かけねぇ柄だな。いいなや(いいね)」と、ずいぶん人からホメられたみたい。そのたびに、「おらじのドラ娘が外国に行って買ってくんだっぺな」と言うんだそうな。これは母ちゃんから直接聞いた。ま、自慢話よね。
母ちゃんの世話は「罪滅ぼし」?
だけど、“ドラ娘”の私は素直に喜べないどころか、胸がチクンと痛い。というのも30代前半からギャンブルに夢中になって、そのうち手元にあるお金はギャンブルの種銭にしか見えなくなったの。と同時にイタリアオペラを聴く旅という金持ち趣味にまで手を出したから、入出金の忙しいこと!
実のところ飛行機と宿だけの安ツアーで行って、1000円くらいの天井桟敷席に座っているんだから、“金持ち趣味“でもなんでもないんだけどね。それでも海外に1回行けば、どんなに節約しても30万円はかかる。母ちゃんがくれるのはせいぜい5万円だけど、その5万円が貴重なんだわ。現地の遊興費と食費だもの。
んな内幕はもちろん言わない。だけど実家に帰って、「○日からイタリアだから」と言うと母ちゃんは「なんだ、カネが!」とギロリとニラむんだよ。その目のおっかないこと!
そんなわけで、母ちゃんが死ぬ直前まで首に巻いていたスカーフは、実は私の遊び金を母ちゃんから引っ張るための釣り餌、な~んてことは今の今まで誰にも話したことがない。
私が母ちゃんのシモの世話をしたのは、放蕩娘の罪滅ぼしでもあったのよね。
◆ライター・オバ記者(野原広子)

1957年生まれ、茨城県出身。体当たり取材が人気のライター。これまで、さまざまなダイエット企画にチャレンジしたほか、富士登山、AKB48なりきりや、『キングオブコント』に出場したことも。バラエティー番組『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)に出演したこともある。昨年10月、自らのダイエット経験について綴った『まんがでもわかる人生ダイエット図鑑 で、やせたの?』を出版。
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